2016年8月22日月曜日

Hayek, Competition as a Discovery Procedure, 1968   平井俊顕





  
Hayek, Competition as a Discovery Procedure, 1968
   

                                                  平井俊顕

文字通り、競争を発見的手続きとしてとらえることを強調する論文。

「わたしは、競争を、それがなければだれにも知られることのない、もしくは少なくとも利用されることのないような事実を発見する手続きとして考えることを提案したい」 (p.179)

  「それは、競争という行動を決定する事実をわれわれはまえもっては知らないという根拠による」 (p.179)

経済的競争と科学的方法の相違についての指摘は興味深い (p.181)

   経済的競争 - 特定の一次的な目的の達成に関係する特別な事実を発見する方法
 
 科学的方法 - 科学は、事象の規則性という、「一般的な事実」の発見を目的としている。

経済学の現状にたいする批判 - 競争が発見的手続きであるという理解が妨げられている。完全競争概念批判である。

「その仕事をすでに達成したと考えられている競争と呼ばれる行動にはなんの余地も存在しない」 (p.182)
  
ハイエクは、市場秩序を、異なるニーズを、ある優先順位で満足させることのできる経済として描く見解は誤りである、と強調している。そしてこうした見解は、社会主義者によってとられ、実行されようとしているものである、という。

次の一文は含蓄に富む。

  「競争の特性は、そのパフォーマンスは、競争が意義ある個々の事例で検証することができず、他の代替的な取り決めと比べて市場が優勢になるであろうとという事実によってのみ示される」(p.180)


  「事実は、特定の目的のために作られているのではない自生的秩序の存在は、
   目的をもっていると適切にはいえないけれども、それでもなお、それは、全体とし
ては知られていない多くの異なった個々の目的を、いかなる個人にたいしても、あ
るいは相対的に少数のグループにたいしても達成することに導く可能性が高いの
である」(p.183)

  「私は、均衡という概念よりも・・・好む「秩序」という概念は、秩序が、さまざま
な程度において接近してき、秩序は変化のプロセスを通じて維持されるということ
を、われわれが有意義に語ることができるという利点をもっている」(p.184)

  「われわれがこうして自然に到達する、いわゆる「最大」というのは、特定のことの「最大値」として定義することはできない。それは、見知らぬ人々がその相対的シェ
それは単一の価値尺度では測定することができない を可能な限り獲得することを提供する偶然というタームでのみ定義することができる。(p.186)

ハイエクはこの競争は、低開発国においてはなおさら重要である、ということを強調しているが、これはあまり説得力のある説明とは思えない。