2016年8月19日金曜日

ハイエク Economics and Knowledge (Economica, 1936) 平井俊顕








                     ハイエク Economics and Knowledge
(Economica, 1936)

            平井俊顕

この論文で気になるのは、ハイエクが伝統的な理論として想定しているものがどのようなものなのかという点である。彼はそれが何なのか、オーストリア理論なのか、一般均衡理論なのか、それともマーシャル理論なのか、について何も語っていない (マーシャルへの言及だけはあるが)。そのすべてを包摂して語っているようにも思われる。

この論文では「伝統的な理論」にたいしての拒否的な姿勢は認められないむしろそれに「知識知識の分業(division of knowledge) に注意を払うことを要求しそのことによって「伝統的な理論」を救おうというような柔らかい姿勢をとっているかに思われる

私には1930年の『諸価格と生産』よりも、伝統的理論にたいする姿勢が弱くなっているような印象を受けた。

この論文はコールドウェルによって、前期ハイエクと後期ハイエクを分ける分水嶺的な論文として位置づけられている。つまり、均衡理論にたいしてそれを受容するという姿勢がこれを契機になくなる、とされるのである。

「完全競争」という想定がもつ個人の完全な知識の保有という前提を、ハイエクは攻撃している。ここには知識の分散された社会にあって、しかもあたかも完全な神が存在するかのように秩序が保たれているのはなぜか、という問題意識が明瞭に認められる。

ハイエクが、「自生的秩序」論 (これ自体はC. メンガーにある) を前面に押し出した社会哲学を標榜(唱道する)ようになるのは、いつ頃からであったのだろうか。

1936年のLSEといえば、ヒックスがいて一般均衡理論を研究していた。この影響が考えられる。

またポッパーもいた。事実、この論文には、純粋論理、数学のような問題領域 (同義反復の世界) と、そこに外部からデータをもちこむことによる「現実世界」の問題領域という識別が認められる。そして、そのさいに、ポッパー的な反証主義もしくは検証主義についての言及が認められる。この点はミーゼスとの方法論的な違いでもある。

ハイエクが1人の個人には、「均衡」が存在する、というとき、それは、おそらくはオーストリア学派的な発想なのだろうと思う。