2016年8月19日金曜日

Hayek, Socialist Calculation I (1937) 平井俊顕








                         
               Hayek, Socialist Calculation I (1937)


                                                   平井俊顕

この論文で、ハイエクは古典派経済学が19世紀後半に衰退した理由として、(イギリス)

史学派の興隆をあげている点が注目される。そこでは次の点が注目される。 


(1) 古典派経済学は、市場の経済学を論じた、そして肯定的に評価されるものとしてと

  らえられている。

(2) いわゆる「新古典派」の興隆のことには、なぜか言及がなされていない。

(3) ここで歴史学派は、自然科学の方法にならって、個々の事実を集積することか

ら法則を見いだそうとする誤った方法を採用するもの、としてとらえられている。

(4) 古典派衰退の理由として通常あげられるのは、ミルの賃金基金説の撤回であるが、

  この論文ではそれへの言及はみられない。


 ハイエクは、マルクス経済学を反理論的なものとしてとらえている。

 社会主義がどのようなものかについて、長い間、マルクス主義者の方からの具体的な提

はなされなかった。それが明示的な問題となったのは、何よりも第1次大戦後のオース

リアであり、そのうえで重要な貢献をはたしたのはミーゼスである、とされる。なお、

れをさかのぼるものとして、オランダの経済学者とカウツキーのあいだの論争が指摘さ

ている。

 ハイエクは19世紀第三四半期以降の経済・社会思潮を社会主義的・集産主義的なものと

してとらえている。