2016年8月9日火曜日

高橋是清自伝 (中公文庫) (上) (下)  by 平井俊顕






高橋是清自伝 (中公文庫) () ()

                     by 平井俊顕


是清50代までの自伝である。幕末から日露戦争に至る日本の激動期に、足軽の家に里子として預けられ、その家の祖母に養育されながら、日銀の副総裁として、日露戦争時、外債募集を欧米で担当するまでの波乱に満ちた人生が語られている。
是清の行動を特徴付けるのは、職に拘泥する風情はなく、自らの見解を明快に述べることを第一義にしている点である。そのため、彼は幾度となく職を辞している。いつも辞職表を懐に入れているような観がある。激動の時代だからできたのか、そうでなくともできたのだろうか。そうでなくともできたように思うが、あの時代でなければ、こうも職を変えることはなかったのかもしれない。

是清はまともな教育を受けた人間ではない。かなりのたたき上げである。目前に現出せる問題にたいし、真摯に臨み、挑み、そしてそのための努力を惜しまない、そういうタイプの人間である。だが、黎明期の日本にあって、手探り状態で新たなことに臨もうとする日本にあって、彼のような人材はまことに貴重であった。

農商務省に特許局を創立したのは是清の業績による。彼が銀行家になるというのは、まったく彼の人生設計図にはなかった そもそも、彼に設計図が当初からあったということはいえないであろう。是清は英語の教師からスタートしている。それから、農商務省に入ったのだが、そこでの仕事を投げ打って、ペルー銀山会社の設立に至る ()。それは詐欺に巻き込まれたもので、是清は大失敗の憂き目にあう。そこから、彼は実業界に入り、(横浜) 正金銀行、日本銀行へと進んでいく。正金でも日銀でも、彼の活躍はすさまじく、黎明期の銀行システムの確立に、是清のはたした貢献度は目を見張るばかりのものがあった。

彼が英語の教師になる前の彼の辿ったみちも尋常なものではない。彼は渡米するのだが、そこで一種の奴隷的地位に騙されて置かれている。そしてそれを脱して仲間とともに日本に帰国をする。徳川幕府が崩壊した、というニュースを聞きつけてである。帰国後、是清らは追及を逃れるために、ある塾に身を寄せることになる。この辺りはすこぶる波乱万丈のできごとに満ちている。
ペルー銀山だが、是清は実際に現地視察のため、ペルーに赴いている。断崖絶壁の案です山地を登り、鉱山へと向かう旅路、そしてその鉱山には何も残っていない、つまり
詐欺に会ったことをそのときに、初めて気づくという話につながっている。

是清は、当時の大物に大いにかわいがられた。とりわけ井上馨や品川弥二郎のことがよく登場してきている。人情に厚き点、そしてきわめて几帳面な点 自伝はきわめて詳細な日時、人物名が記されており、それらは几帳面につけたノート類がなければ執筆が不可能であった は、是清のもう1つの側面である。

是清が他の人材と異なるのは、国際舞台で活躍できる英語力 これは上記の祖母が彼を横浜の学校に送り込んだこと、アメリカでの「奴隷的境遇下」で英語を学んだことがその下地となっている ―、判断力、論理力、交際力を兼備していたという点である。日露戦争時の外債募集のため渡米、渡英したときの彼の活躍ぶりは、まさに神がかり的であった。

すでに述べたことだが、是清は、日本の黎明期にあって、その金融システムの確立に最も重要な役割を果たした人物である。(横浜)正金時代から、彼は、イギリスの銀行、とくにHSBC (いまもイギリスの大銀行。この名は、香港 (H)、上海 (S) に由来する)
との能力の差を痛感していた だからこそ、改善への方策に熱心であった。

是清の思想は、この本では語られておらず、分からない。見受けられるのは、天皇制を崇拝する姿勢である。そして付き合いについては、官僚や薩長の元勲、海外の一流の金融資本家に集中している。少なくともこの本で見受けるかぎりでは、そうであり、貧困問題、格差問題といったことへの問題関心が語られることはまったくといってない。
また、日本の大陸進出にたいする問題は金融的側面からのみ語られている感がある。

是清が国際金融実務の第1人者であったこと、これはケインズとの関係を理解するう
えでも、また自伝 この自伝は1905年で終わっている 以降の時期における彼の活動を理解するうえでも、非常に重要である。 実業の重要性、その社会的地位の向上 (官尊民卑思想への批判)、殖産興業の重視 (そのための金融システムの発展。正金銀行はそのための組織であった) という考えは明白にもっていた。
是清が、金融事情に非常に精通していたのは、すでに見たように、たたき上げ的精神と問題解決のための信じられないくらいの調査・研究心によるところが大きい。因みに彼は若いときに、Marshall=MarshallEconomics of Industryを翻訳している。

繰り返すが、この自伝は是清50代までのものである。彼が歴史に名を残すのは、その後の30年である。彼が2.26事件 それは皇道派将校によるクーデターであったが、このクーデターの鎮圧にさいし、対立する統制派が自らの指導権を確保するうえでの大きな機会を与えることになった大事件である で非業の死を迎えるまでの30年は、後の伝記作家に任されることになったのである。

是清は政治家になるつもりはなかったのだが、諸般の事情で、その後、金融家に留ま
らず、彼はその道に足を踏み入れることになった。政治家として彼がどのような思想を抱くに至ったのか、これは興味深い点である。彼が肝っ玉の据わった人間であったことは、この伝記からでも十二分に理解することができる。

是清のこの自伝は、1936年1月に刊行されている。2.26事件の直前である。彼は、1905
年でなぜ叙述を完結させている。もちろん、彼は、その後から1936年までに至る自伝も考えていたに相違あるまい。だが、それはこの事件のためにかなうことはなかった。