2013年8月4日日曜日

オバマ政権の二大国内制度改革


オバマ政権の二大国内制度改革
 包括的健康保険改革法と金融規制改革法
1.はじめに
20092月の就任以来、オバマ大統領は、2つの国内改革の断行を、最も重要な政策目標として掲げてきた。包括的健康保険制度、ならびに金融規制改革が、それらである。
包括的健康保険制度について、オバマは次のように述べている。「メディケア、メディケイド、児童健康保険プログラムのような、重要な改革がなされてきたが、すべての人をカバーし、コストを引き下げる包括的改革を目指す努力はことごとく失敗してきた」。
包括的健康保険制度の確立を目指す運動の最近のものは、1993年にクリントン大統領の時に試みられたものである。しかし、秘密裏に進められた法案づくりは、突然の公表により、多くの反対に遭遇することになり、成立には至らなかった。
包括的保険法案に向けてのオバマの決意は次の言葉に示されている。
健康保険会社やその経営者は壊れたシステムから意外の利潤を得てきた。...現在の最も重要な政治をなんとか切り抜けよう。年末までに改革を通過させよう。
金融規制改革についてのオバマの決意は、PBSテレビでのインタビューでの次の発言に明らかである。
少なくとも、私がみてきた問題は、ウォール・ストリートの人々がこれらのすべてのリスクを負ったことに何ら後悔の念を抱いているようには感じられない点だ。... 生じてきたことの結果として文化・行動の変化が感じ取れない点だ。だからこそ、われわれが提案している金融規制改革案が非常に重要なのだ。」
オバマは、世界の金融システムを不安定化させてきた元凶であるSBS(シャドウ・バンキング・システム)を政府の監督下に取り込もうとしている。
今年のはじめ、オバマ政権は非常な苦境に陥っていた。トップ・プライオリティとして臨んできた2つの改革案が行き詰っていたからである。しかし、後述するように、奇跡ともいえる展開の末、オバマ政権は2つの、歴史的にみて重要な法案を成立させることに成功した。
 これら2つの健康保険改革法と金融規制改革法は、成立させること自体にまず歴史的な意義がある。しかし、いずれも法案が成立したという段階の話であって、直接アメリカ経済システムの回復・建て直しに貢献しているわけではない。ようやく制度をつくる基盤がつくられた、という段階の話である。
 本稿では、この2つの法案について、その経緯と内容を説明する。
健康保険改革法
オバマ政権が包括的な健康保険法の制定を重視するのは次のような認識による ― アメリカには、健康保険の適用を受けることのできない3100万人にのぼる国民がいる。彼らにたいし政府主導のセーフティ・ネットを構築することは、アメリカ資本主義の公平な展開と健全な成長にとって、必須である。それは自由化の行き過ぎのなかで生じた貧富の格差拡大を是正するうえでも有意義である。
 包括的健康保険法は、オバマ政権の国内最優先の公約であったわけであるが、大統領はこの成り行きを議会(の指導的民主党議員)に丸投げしていた。これは既述のように、クリントン政権のときには、ほとんど秘密裏に決めてきたものを、いきなり議会に提案したということが反発を招き、挫折したことへの反省に立つ戦略であり、議会での審議に最初から委ねたのである。
 包括的な「健康保険法」の制定をめぐっては、当初より、大統領および指導的民主党議員と保険業界とのあいだで、激しい攻防が繰り広げられることになった。
アメリカの政治にあっては、業界団体からの利権擁護のための行動はきわめて激しい。自らの利益を守るためにいくらお金を議員に渡してもそれは違法ではない、という判決も出ているほどである(2010121日のアメリカ連邦最高裁判決。企業、労働組合、非営利団体が政治(選挙)広告のために無制限に資金支出してもよいとするもの)。保険業界は金で大攻勢を仕掛けているという現実があり、それを最も代弁しているのは、もちろん共和党(民主党がその影響から完全に免れているというわけではないが)である。
2.1. 経緯
 下院に「アメリカの手ごろな健康選択法」(America's Affordable Health Choices Act of 2009)が提案されたのは、2009714日のことであった。
 下院議長のナンシー・ペロシは健康保険法案が、アメリカ経済の再生にとり、いかに重要であるかを力説すると同時に、それがモラルの問題、フェアネスの問題であることも強調する演説を行い、その年内成立への意欲、決意を披露した。
アメリカに存在する多数の無保険者、それに「既往症条件」(pre-existing medical conditions)に抵触する人がいる(これは例えば家庭内暴力を受けたことがある人、ガンを患ったことがある人などが含まれている)。こうした人々は、保険業界からも、政府からも見放されている。
 この法律が成立すれば、これら無保険者、既往症経験者が保険受給者になるが、それだけではない。新しい競争的な保険市場の設立も提案されているのである。
 そして、2009117日、健康保険改革法案は下院を通過するに至り(220:215)、この法案をめぐっての大きな前進がみられることになった。それは、「個人の保険加入と、小規模企業をのぞくすべての雇用主に従業員への医療保険提供を義務づけるもの」である。これにより、保険の恩恵に属さない国民がその享受を受けることになる。なおこの法案には、補助金についての考慮もなされている。
 続いて、ようやくのことで、上院でも健康保険法案(Patient Protection and Affordable Care Act)が通過した(60票:39)が、それは年も押し迫った1224日のことであった。
  
これらの法案審議のなかで紛糾してきた争点は次の2点である。第1点は、妊娠中絶への保険適用問題である。アメリカ社会のなかには、宗教的信念からこれに反対する人々が少なくないためである。第2点は、公衆が、保険会社の提供する保険と、政府が新たに設定する保険とのあいだで自由に選択できるようにすることをめぐるものである(いわゆるパブリック・オプション[public option])。保険会社は、これにたいし猛烈に反対の声をあげていたが、その結果、削除されるに至っている。
 なお、両院案にはいくつかの相違点がある。なかでも重要なのは、パブリック・オプション、避妊、課税 [とりわけカディラック税] の3点である。
年が明けて、2010年、残すは、コンファランス・コミティーでの審議という段取りに進む予定であった。これは、両院を通過した法案を一本にまとめるための委員会で、そこで決められたものが大統領に渡され署名され、正式の法案として成立する、というものである。ところが、ここで思わぬことが生じた。エドワード・ケネディ議員が死去し、それに伴うマサチューセッツ州の補欠選挙で、1月19日、共和党のスコット・ブラウンが勝利を納めたのである。そのことで、状況は一変してしまった。たった1票だが、この1票が決定的な差の1票だからである。民主党側は59票となり、共和党のフィリバスター(議事妨害)を避けることができない状況に追い込まれたのである。これを阻止するためには、60票がぜひとも必要だったからである。
この選挙での敗戦時に、大統領は次のような心境と決意が示したという。「用心深さなど打ち捨て、大胆な行動に打って出る」と。
 この頃の大統領とロペシ、リードのあいだでは、次のような会話がなされている。ナンシー・ロペシは強烈なリーダーシップを発揮している。興味深いワンシーンを書き出してみよう。
ロペシ「私とリードはこの法案にかけたいのですが、それには大統領、あなたもそのお覚悟であるという確証がいただきたいのです。」
大統領「私も、あなた方がこの重要な法案を通すことができるという確証が欲しいんだ。」
ロペシ「大丈夫です、大統領。」
大統領は、ロペシの要請に応じて、健康保険法案をめぐり、これまでの丸投げをやめ、積極的な行動に打って出ることになる。窮状を打破すべく、オバマ大統領は果敢な挑戦を開始した。大統領のその後の行動はすばらしく大胆、かつ政治的であった。そしてそれはナンシー・ロペシ下院議長との強力な協力関係を通じたリーダーシップによってもたらされた。
 大統領は、225日に、両院の議員を招いて健康保険サミットを開くことを決定し、それに合わせるべく、前日には、独自の健康保険案を打ち出したのであった (それは上院案とほぼ同じ内容のものである)
25日にホワイトハウスで開催された大統領主催の健康保険サミットは、7時間の討議がテレビ中継された。共和党は従来の路線を守り、要するに、この問題はゼロから検討し直すべき、との主張を繰り返した。アメリカの保険制度は世界一であり、大統領案だと巨額の財政負担を強いるばかりである。州際間の保険業の競争を認めればいい話ではないか、というような主張である。こうして健康保険サミットは完全な物別れに終わった。とはいえ、このサミットでのパフォーマンスは、多くの民主党議員が、共和党議員を変えることはできないから意味はない、と考えていたけれども、実際には非常に重要な意味をもつパフォーマンスになったのである。
当日のNYタイムズの社説やクルーグマンのオプ・エド(そこでは、共和党側の無策・無理解ぶりが書かれている)は、明確に大統領側を支持しており、共和党とのこれ以上の妥協の試みはもう不要で、リコンシリエーションに進むべきである、という論調を展開した。
実際、その後、大統領および民主党は、リコンシリエーション (reconciliation) という方針をとることになった。これは、上院で採用される方法で、共和党からのフィリバスター(議事妨害工作)をこうむることなく、かつ過半数で法案の可決(要するに50票以上)が可能になる、というものである。共和党は大統領がこの方針をとらないように食い下がったが、大統領はこれに応じることはなかった。共和党側はその手法をいままでにない暴挙と批判の声をあげたのであるが、実際には、共和党も与党であったとき、ずいぶんとこの方法を使ってきている。
このなかでやっかいな問題が妊娠中絶の費用を認めるかどうかで、これは民主党内部でも意見が対立している争点であった。
 こうしたなか、34日、オバマ大統領は包括的健康保険法の成立への協力を要請した。下院の民主党議員を招集し、小異を棄て法案の成立に邁進すべきことを促した。上院案に不満で、もっと政府支援を組み込んだ下院案でいくべしと考える下院議員との会合である。大統領は彼らにたいし、法案のもつポジティブな側面に注目すべきときであり、修正していきたい箇所があれば、それは後で行えばいいではないか、と述べたのである。大統領の最後の決意は次の言葉に明瞭である。
 
これが通らないと、他の重要な事項も達成するのはもっと難しくなるだろう。皆さんはそれでもいいのか。
会場に沈黙が流れた。
政府・民主党は、健康保険法案の成立を確実にするべく、最終的な努力を続けた。大統領もアジア訪問を延期し、事態の最終局面に貢献した。
下院議長ナンシー・ロペスは法案の成立に楽観的であった。健康保険サミットの後、ペロシは、どう議会をリードしていけばいいのかに努力を傾注した。
 ペロシの使命感、強烈な個性、リーダーシップは、下院での彼女の活動振りを示す次の表現に印象的である。

彼女は立ち上がったが、ハイヒールと傲慢さが彼女の身長を高くみせた。そして彼女は厳しい口調で応じた。
やがて下院で、上院で可決された法案 (Patient Protection and Affordable Care Act) に修正を加えた案 (Health Care and Education Reconciliation Act) を承認するかいなかの投票が行われた。結果は220:211票で通過した。3月21日のことである。
法案の成立のためには、最後の最後まで、ぎりぎりの説得活動が必要であった。とくに、妊娠中絶、堕胎に公費を支出することに反対する民主党議員を説得することが最後の難関であった。大統領は、それをしないという命令を出すことを約束することで、ようやく彼らの説得に成功したのである。
 2010330日、オバマ大統領は「健康保険ならびに教育リコンシリエーション法」(Health Care and Education Reconciliation Act of 2010)に署名を行った。 
9400億ドルのこの法案は、アメリカの国内政策における1960年代以来の最大の変革をもたらすものである2
 法案への署名にさいし、大統領は述べた、「われわれは依然として、大きなことを成し遂げることができ、われわれの最大の課題に取り組むことのできる国民である」。
表1 健康保険法案の経緯
2009714
下院にAmerica's Affordable Health Choices Act of 2009
が提出さる。 
117
下院を通過 (220票:215票)
1224
上院をPatient Protection and Affordable Care Actが通過 (60票:39票)
2010119
上院補欠選挙(マサチューセッツ)で共和党勝利
(民主党60議席から59議席に。)
共和党、フィリバスター(議事妨害戦術)を用いる。
224
オバマ大統領、独自の健康保険法案
(上院案とほぼ同じ)を発表
225
健康保険サミット開かる。
321
Health Care and Education Reconciliation Act Patient Protection and Affordable Care Actに修正を加えたもの)
下院通過
323
Patient Protection and Affordable Care Act 
大統領による署名
325
Health Care and Education Reconciliation Act 
上院通過
330
Health Care and Education Reconciliation Act
大統領による署名。健康保険法成立
2.2 概要
9400億ドルを要するとみられている健康保険法は、次のような内容をもち、10年間で完成の予定である。
(1) 現在無保険者である3200万人に保険を適用する。
(2) 小企業に、被用者に保険を提供するのを助けるために、税控除を提供する。
(3) ある所得階層の人々が保険を購入するのを助けるために、彼らに補助金を給付する。
(4) 病気になったり、既往条件のために、保険会社がそれらの人々に保険の購入
を拒むことを防止する。 
(5) 26歳まで両親の保険をもちいることを許容する。
(6) 2014年から、たいていの人は保険をもつか罰金を支払うかを要求される。
(7) 2014年から、メディケイドは、最低所得者の多くを含むように拡張される。
2.3. 当面の実施事項
当面の実施事項に言及しておこう。
年内 - 当初の給付金が切れているメディケア医薬品受益者に、本年、250ドルを払い戻す。
施行後、90日 - 既往症条件ゆえ未保険の人々のためのハイ・リスク・プールに即時アクセスできるようにする。
施行後、6ヶ月 - 病気にかかっている人および既往症条件をもつ児童、が保険の適用を受けるのを保険会社が拒否するのを禁止する。
          保険会社が適用範囲に年齢制限を課すのを禁止する。
     26歳まで両親の保険が適されるのを許容するように、保険会社に要請する。 
2011
     個人および小グループのマーケット・プランは医療サービスに掛け金の80%を費やすことが要請される。大グループのプランは少なくとも85%を費やさねばならない。
3.金融規制改革法
今回のメルトダウンの大きな原因がSBSにあること、したがってこれを金融当局の規制下におく必要があること、これはオバマ政権がきわめて強く認識していたことである。
オバマ大統領が、このことを金融規制法案(financial regulatory reform proposals)というかたちで公表したのは20096月のことであった
3.1. 経緯
金融規制改革法案は20091211日、下院では223:202票で可決されている。上院では1110にドッドによって提出されたが、その後、長きにわたって審議は難航することになった。内容的に重大な争点となったのは消費者保護金融庁の設置条項であった。それに加えて、20101月になると、ケネディ上院議員の死去に伴う補欠選挙で民主党敗北したこと(119日)大きな影響力を及ぼすことになった(同時期、オバマ大統領は、「金融危機責任税」構想やボルカーによって提唱された、金融機関の「自己勘定取引」の禁止 [いわゆる「ボルカー・ルール」を発表したりしてい)。
 上院での審議難航を続けた。それまでドッドはシェルビー (共和党)との協調路線で動いていたのだが、25にはそれが挫折を迎えたのである。幸いなことにコーカー(共和党)が名乗りを上げ、以後彼とのあいだでの協調路線がとられた211日)。だがそれも311には解消されることになった。こうして上院での金融規制改革法案の成立3中旬時点では絶望的な状況に追い込まれたのである
 ドッドはこのような逆境のなか、315日にドッド案 (Restoring American Financial Stability Actを発表し、それを銀行委員会での審議Full Committee Markupにかけることにした。同法案は20091110日のドッド案に代わるものである。これは下院の金融規制改革法(昨年1211日可決)とは多くの点で異なるものであった。
コンセンサス・パッケージを提案することが私の変わらざる目標でした。
そして、私たちは、法案をフル・コミティーに持ち込むことが、その目的のための最良の行動であるポイントに達しています。私は、3月22日から始まる週にフル・コミティーのマークアップを開催する計画です。
同案について、コーカーは次のように述べている。
われわれが話し合った多くのポイントが組み込まれている。が、支持できない多くの(a number of) 政策が導入されている。でも、委員会での修正過程を通じて、両党一致の法案が可決されるように努力したい
ドッド案にたいしての共和党議員の反応は、FT記事をみるかぎりは、予想以上に好意的で、両党一致の金融規制法案を通過させようとする意気込みが感じられるものであった。
ドッド案をめぐる上院銀行委員会でのマークアップは3月22日に開始されたが、これは翌日わずか21分で審議が終了し(13:10可決され、上院本会議で審議されることになったのである。4月から始まる本会議での成り行きは困難が予想されるものであった。共和党のシェルビーが好意的であるのが唯一の希望であった(コーカーはシェルビーよりも批判的であった)。現時点で党派的分裂を引き起こすような議論をすることをドッドは避け、本会議の場で成立への道をみつける、そしてそのための時間を稼ぐ、こうしたことをドッドは考えていたのだろうと思う。
ところが4月になるとオバマ陣営に神風が吹き始めた。SECによるゴールドマンサックスのインサイダー取引提訴、メガ・バンクの利益のまたまた巨額のボーナス払い(メガ・バンクは、巨額の利益を計上するに至っており、昨年秋に受けた公的資金返済を行うようになっていた)上院農林委員会(委員長リンカーンの決議(ヘッジ・ファンドやOTCデリヴァティブ規制、などがそれである(さらには、IMFによる世界レベルでの金融規制(銀行税)の提唱も加えることができよう)。世論の空気もメガバンクへの怒りに火がつき、オバマ陣営を大いに助けることになった。そしてついには共和党も金融界を弁護するという姿のもつ選挙への悪影響を考慮せざるをえなくなってきたのである。
4月20日、ドッドは採決を前にして、本会議で次のように述べた。

共和党の代表が述べているメモは、この法案ができる前からストラテジストによって提示されていた方針で、何が出てきても反対できる方策として書かれていたものである。・・・共和党のリーダーは「80-90%同意する。でもこれ以上議論するのはやめよう。TBTFが問題だから」といっているようなものだ。私は、こんなばかな議論をこれまで聞いたことはない。・・・
我慢の限界にきている。
上院の本会議で、ドッド案を審議する段階に入るかいなかの採決が行われた。共和党はここで結束し、全員で反対票を投じた。ドッドは3日間、同じ動議を続け、共和党はいずれもそれに反対票を投じたのである。ところが、である。4日目にして突然、共和党は本会議での審議に応じる構えをみせたのである。これは意外であった。共和党のこの変化は、ウォール街の味方という印象が公衆のあいだに強くなっていくことを恐れたからのようである。
 5月に入り、ドッド案 (S.3217. Restoring American Financial Stability Actの上院での修正審議が開始された。
 ドッド案の基本的内容は以下の通りである。
(a) 消費者保護庁をFRBのなかに、しかし独立した機関として創設
(b) 失敗した金融機関を清算する手続きの創設
(c) システミック・リスクを監視する委員会の創設
(d)  OTC (over the counter) デリヴァティブの規制システムの創設
(e) 1億ドル以上を運営するヘッジ・ファンドにSEC(証券取引委員会)への届出義務を課す。
(f) 証券業界を監視する機関を財務省内に設置する。
(g) スワップ・ディーラーの資格をもつ銀行は、スワップ・デスクを処分するか、さもなくばFRBからの助成が禁止されるかのいずれかとなる。
審議は民主党主導で、かつ共和党からも賛を得ながら、ドッド案の修正が図られている。民主党議員のなかには大統領やドッド案よりも過激な修正を提案している人も登場し、大統領側はそれを抑える方向で動いている部分も認められる。例えば、「1つの銀行が国の総預金の10%を保有することを禁じる条項」
(Sherrod Brown Ted Kaufman [民主党])「銀行の自己勘定取引の禁止条項」
(Jeff Merkley Carl Levin [民主党]などがある。
共和党修正を要求したものに、(g)があるが、何よりも共和党自らがこれまでの否定的受身的態度を変え、自らの金融規制改革法案を提示してきた。その特徴として消費者保護庁の権限を制限すること、巨大銀行の閉鎖の負担を債権者と株主に公平に課すこと、およびファニー・メイやフレディ・マックへの規制を強化すること、があげられる(いずれもドッド案と相違する点である。
しかし、共和党案はその後、問題にはされていない)。
3週間かけて続けられた上院本会議での審議は終了し、5月21日 賛成59票、反対39ドッド案は可決されるに至った。
 こうして上下両院でそれぞれの金融規制改革法が可決されたので、それを統一化するためのコンファランス委員会が組織されることになった。コンファランス委員会での争点は「リンカーン条項」であるが、これは政府側が難色を示しているから薄められるか削除される可能性が高い。もう1点はボルカー・ルールであるとされていた
 金融規制改革法のコンファランス委員会の審議数週間におよんだ。その結果としてコンファランス報告が採択された。ボルカー・ルール(銀行の自己勘定取引の禁止)そしてリンカーン条項(薄められたようだが)、つまりOTCデリバティブ規制と市場での取引は生き残った。消費者金融保護局はFRBのなかに創設されるかたちになる。
630コンファランス・コミティで統一された金融規制改革法案は下院を通過した (237: 192)。だが、上院ではバード議員の死去もあり、必要な60票が得られずにいたのであるが、共和党の3人が賛成の意思表示を示したことで、57+3=60票に達した。715日、コンファランス・コミティで統一された金融規制改革法案は、上院を通過した (60: 39)
 721日、多数の関係者を招いてのセレモニーのなか、オバマ大統領による署名が行われ、ここに、金融規制改革法 (ドッド=フランク法は成立に至った
          表2 金融規制改革法案の経緯
20096
オバマ大統領、金融規制改革法案(financial regulatory reform proposals) を公表。
20091110
ドッド、金融規制改革法案[discussion draft]の提出 (上院)
2010年1211
金融規制改革法、下院を通過 (223:202)
H.R. 4173, the Wall Street Reform and Consumer Protection Act
2010年1月6
ドッド、秋の中間選挙に不出馬を表明 (引退)
114
オバマ大統領、「金融危機責任税」案構想の発表
119
上院補欠選挙 (マサチューセッツ)に共和党勝利
(民主党60議席から59議席に)
1月22
ボルカー、金融機関の「自己勘定取引」の禁止などを提唱(ボルカー・ルール)
25
ドッド=シェルビーの協調路線の崩壊(上院)
211311
ドッド=コーカーの協調路線開始と崩壊(上院)
ドッド=コーカー案(上院)[224]
315
ドッド案を発表、銀行委員会での審議
Chairman's Mark of the Restoring American Financial Stability Act of 2010上記1110日のヴァージョンに代わるもの
323
ドッド案は上院銀行委員会で、わずか21分の討議で終了。可決された (13票:10)
4
ドッド案の上院での審議。ドッドの演説 (420日)
4
ドッド案の上院での審議に共和党3日連続拒否の後応じる。
5
ドッド案の上院での修正審議 (on the floor). 3週間かかっている。
521
ドッド案上院本会議で可決 (59:39)
628
コンファランス報告の成立
630
コンファランス報告下院を通過 (237票:192)
715
コンファランス報告上院を通過 (60票:39)
721
大統領の署名
3.2. 概要
ドッド=フランク法は、ルーズベルト大統領が1920年代のアメリカにあって金融的投機がもたらした世界金融不安、そして大恐慌の発生を根絶すべく成立させた1933年のGS(グラス=スティーガル法)の現代的再来である。
 GS法はその後、1970年代末頃まで、アメリカの金融システムを規定するものであったが、金融自由化を希望する声が高まるなか、そして新自由主義(ネオ・リベラリズム、ワシントン・コンセンサス、市場原理主義)の後押しを受け、また金融工学(効率的市場仮説など)からの後押しも受け、次第に骨抜きにされていった。その最終的象徴が、1999年のGLB(グラム・リーチ・ブライリー法)である。
 こうしたなか、SBSShadow Banking System)が肥大化し、ついには証券化商品の異常な多層化のもと、ついにはリーマン・ショックからのメルトダウンに突入していく。
 ドッド=フランク法案はSBSの根絶とそれを政府の監督下におくことで、健全な市場経済を復活させる法的枠組みを再構築しようとするものである。精神においてグラス=スティーガル法のそれを継承するも、この30年間の金融市場は複雑な発展を遂げてきており、当然ながらそれへの対処は1920年代とは異なる。GS法の現代版であって、GS法の復活ではない。

 ドッド=フランク法の要点を示そう。

(1)消費者金融保護局(Consumer Protection Agency)の創設
これをFRBのなかにおく。しかし、それは独立したものであり、それを明示するために、トップは大統領による任命である(これは上院案に従いつつ、下院案、大統領の見解を反映した妥協的なものになっている)。
 この趣旨は、サブ・プライム・ブームのとき、金融機関がついには無審査で住宅ローンを組む(Ninja Loan [no income, job or assets]など)までに至り、その結果多くの人が無謀なローンを組み、購入後、デフォルト状態に陥った。こうした事態の再発を防止すべく、消費者が金融機関に騙されたり、不公正な契約をさせられたりすることを防止するために設置されるのが、この消費者金融保護局である。
(2) ヴォルカー・ルール
これは銀行が「自己勘定取引」を行うことを禁ずる条項である。預金を預かる銀行が、同時に投機的行為に走ることで、預金者の預金を危険にさらすことを禁ずるものである。
(3)リンカーン条項(この言葉は実際には使われていない)
ブランチ・リンカーンによるもの。OTC (Over the Counterデリヴァティブ(相対取引によるデリヴァティブ)を廃止し、公開の市場を創設することで取引を透明・公正なものにすることを目的とする条項 (この条項はオバマ大統領は反対していたが、ドッド=フランク法のなかに組み込まれた)
(4) システミック・リスクを防止するための委員会
財務長官をトップにすえた9人からなる委員会
(5) ニューヨーク連銀のトップは大統領による任命制に変更する。
これはウォール・ストリートの影響力を遮断するというねらいがある
(6)巨大金融機関が破綻しそうな場合、そのスムーズな清算・解体を金融機関からの資金で遂行する。TBTF (Too Big Too Fail思想を禁止する。巨大銀行は、自分が巨大であるがゆえに、万一経営に失敗しても、国はかならず助けてくれる(もし助けなければ、アメリカ経済全体が危機にさらされるから)と考えがちである。そのことで、とんでもない危険な投機行為に走ることになる。典型的なモラル・ハザードである。こうした考えに挑み、破綻しそうな金融機関の清算処理に必要な資金を国民の税金ではなく、金融機関の自己負担で処理させようとするもの (当初銀行税 [大手銀行およびヘッジ・ファンドを対象に5年間に200億ドルの徴収] が考えられていたが、スコット・ブラウン議員賛成票を得るため、ドッドは最終局面にあって、この条項を棄却した。それに代わTARPからの110億ドルおよびFDICルールが掲げられている)。

なお、当初、FRBから4900の小銀行および850の州立銀行はFDIC [Federal Deposit and Insurance Corporation.連邦預金保険会社に監督権限を移す案あったのであるが、これは上院で否決されている (90:9)。
金融規制をめぐる今後であるが、2000ページを優に超える巨大な法案の具体的実行 (implementation) には1年半はかかるとみられている。個々の条文には解釈が必要であり、その解釈をめぐる対立、介入などが当然のことながらこれから生じてくる。アメリカではロビー活動 [revolving door] の勢いはものすごく、しかも金銭供与が合法化されている。ドッド自身、そうした圧力懸念を表明している。
  それに、アメリカだけが法案を策定しても、他のとりわけイギリスやEUが同様の対処をしないのであれば、抜け穴だらけになってしまうEUは、ユーロ危機の発生により、同じような動きをみせてきている)。なにしろ、金融はよくも悪しくもグローバルな展開が最も活発になされてきた世界である。アメリカが規制を強化しても、同調しなければ、そうした投機活動は場所を移して続けられることになる。残念ながらその恐れはかなり強い。でもアメリカが最初にやらなければどこがやる、ということはいえる。
4.むすび
こうしてオバマ大統領は、いくたの困難への遭遇にもかかわらず、みごとにそれを乗り越え、2つの重要法案の成立を成し遂げた。いずれも歴史的にみてもきわめて大きな改革である。
 制度としてきわめて重要な、そして偉大な一歩3であるが、しかしそれは一歩にすぎない。いずれもその実行と成果はこれからの活動にかかっている。
1) この法案に、学生教育ローンも付けられての可決というかたちになっている。健康保険法と学生教育ローンの改訂を、同時にリコンシリエーションに持ち込もうとするオバマ政権の方法には、民主党内でも危惧の念が出ていた。学生教育ローンが、現在の不況を反映して政府の財政負担予想をはるかに上回るものになっているからである。
2) 健康保険法にたいするアメリカ国民の反応は、法案成立直前のNBCニュース/ウォール・ストリート・ジャーナルの世論調査でほぼ同数で二分されている(46%の賛成と45%の反対)。全面的な賛成でないのがアメリカの現実である。
3) アメリカの政治システムにあって、保険業界の反発は猛烈でオバマ案への反対キャンペーンに莫大な広告費を費やしていること、金融界と財務省・FRBとのつながりはきわめて強く、ツーカーの関係にある(ポールソンは財務長官のまえはゴールドマン・サックスのCEOであったし、ガイトナーは財務長官のまえはニューヨーク連銀の議長であった)こと、などを考えるとき、オバマ大統領の決意とその遂行能力が並々ならぬものであることを、一層強く覚える