2013年8月17日土曜日



            世界資本主義はいずこへ
- 金融の自由化と不安定性を中心に 
平井俊顕(上智大学)
 1. はじめに
この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「市場にすべてを任せる」という「ネオ・リベラリズム」(サッチャリズムやレーガノミクス)であった。政府による経済介入は効率性を阻害し発展を妨げる、規制は可能なかぎり撤廃し構造を改革すべし、という思想である。ネオ・リベラリズムの信条に基づいて、金融、資本、労働の分野での自由化が、文字通りグローバルなスケールで進行してきた。
  そのなかでも最も重要であるのが金融の自由化である。本報告では、金融の自由化がどのように進められ、それがどのように世界経済を不安定なものにしてきたのかを、そしてその結果生じたメルトダウンにたいして政府がどのような対策を講じてきたのかを、アメリカを主たる対象に検討することを目的としている。
最初に、この30年間にアメリカで金融自由化がいかにして実現されていったのかをフォローし (第2節)、続いて世界金融システムが金融の自由化によっていかに不安定なものになっていったのかをみることにする (3)。次に、金融自由化が世界全体にどのような影響をおよぼすことになったのかを3つの側面からとらえ (第4節)たうえでなぜ金融規制改革が必要なのかを論じる (第5節)。最後に、アメリカで、こうした金融の自由化がもたらした不安定性除去を目指して成立した「ドッド=フランク法」(2010年7月)について、その構想と、その後の実施状況に焦点を合わせることにしたい (第6節1
2. アメリカの金融自由化
 ― 「グラス=スティーガル法」の換骨奪胎化と「グラム=リーチ=ブライリー法」
概要   1933年に施行された「グラス=スティーガル法」 (以下、GS法と略記)は、長きにわたりアメリカの金融システムの根底を規定する法であった。1920年代のアメリカは金融的不正・投機の横行した時代であり、そのことが世界金融不安、そして大不況の到来に大きな責を有することがルーズベルト政権によって認識され2、金融機関の行動に強力な規制をかけるべく施行されたものである。同法は、(i) 金利の統制 (「レギュレーションQ」)、(ii) 銀行業と証券業の分離、(iii) 州際間業務の規制、の3本柱で構成されていた。
GS法の適用緩和を求める動きは、1960年代に銀行が市債市場への参入を求め行ったロビー活動を嚆矢とする。1970年代になると、逆に、証券会社が利子を支払う貨幣勘定、小切手の利用、信用の供与を始めるかたちで銀行の領域に参入していくことになった。その際、「証券保管振替機関」 (DTCC) の果たした役割は大きい。1970-1980年代、電子化は大手の証券会社のみが可能であり、個人投資家はいわゆる「ストリート・ネーム」 によって取引を行なったため、それは銀行の部分準備率のような機能を有することになった。証券会社はこれを利用して新たな資金を獲得していくようになり、このことが翻って銀行を焦燥感に駆り立てることになった。
 議会でも、1980年代からGS法を緩和しようとする法案はいくどか出されていた。金利統制の撤廃が一番早く、1986年のことであった。続いて1995年、州際間業務の規制が「リーグル=ニール法」によって撤廃された。銀行業と証券業の分離が解除されたのは一番遅く、1999年の「グラム=リーチ=ブライリー法」 (以下、GLB法と略記によってである。
銀行業と証券業の分離規定の緩和化 - 以下、GS法がどのように緩和され、ついには廃止されるに至ったのかを、銀行業と証券業の分離規定に焦点を合わせてみていくことにしよう。
規定緩和に向けての動きは、FRBによってGS法第20節の拡大解釈(すなわち分離規定を緩和する方向での解釈)によって火が付けられたといってよい。198612月、同節にある、銀行が証券業に「原則的に携わる」のを禁止するという条項を、総収入の5%までは許容されるとしたのがそれである。さらに1987年春、FRBは、銀行がいくつかの「証券引き受け」業務を扱える旨の決定を下している。
 1987年にグリーンスパン (J.P.モルガンの役員FRB議長に就任して以降、GS法の規定緩和に向けての動きは加速していった。1989年には、上記の証券引き受け業務は、総収入の10%にまで拡張された (最初に認可されたのはJ.P.モルガン)FRBはさらに199612月、銀行持ち株会社が証券会社を子会社として保有することを、25%までという条件で認可した。19982月になると、トラベラーズ保険会社 (S. ワイル社長)とシティ・コープ (ジョン・リード頭取の合併話がもち上がったのであるが、当時の法律下ではこれは不可能であった。だがグリーンスパン、ルービン、クリントンといった政府首脳に猛烈なロビー活動が展開され、同年9月、FRBはついに両社の合併に同意を与えるに至ったのである。
 以上がアメリカで展開された「金融の自由化」運動である。FRBはさらにGS法第20節の「原則的に携わる」の「原則的に」を拡大解釈していき、GSをますます形骸化していった。その最後の鉄槌がGS法自体の廃止を求める猛烈な運動であり、その結果199911月、GLB法の成立をみるのである。
GLB法の推進者達 - GLB法を成立させるのに積極的な役割を演じたのは、ワイルやリードといった金融家のほか、ルービン、サマーズ(庇護者はルービン)、グリーンスパン、グラム上院議員 (共和党)といったネオ・リベラリスト達である。同法の策定者はサマーズとグリーンスパンであったが、これは「シティ・グループ認定法」の別名で知られる。
20007月に財務長官を辞任したルービンは、シティの経営執行委員会委員長に就任した。在任中、彼は「債務担保証券」(CDO) をはじめとするリスキーな投資ビジネスにシティ・グループを導いていった (因みに先の財務長官ガイトナーは、当時サマーズの庇護下にあり、ニューヨーク連銀の総裁であった。20089月、彼はリーマン・ブラザーズを倒産に追いやったが、巨額の公的資金を投入することでシティ・グループを救済することになる)
グラムであるが、彼は200012月の「商品先物現代化法」(以下、CFM法と略記の成立にも深く関与している。同法は、エネルギーの先物取引および「クレジット・デフォルト・スワップ」(以下、CDSと略記) の合法化をもたらす契機になったものである。
CFM法の制定されるまえ、商品先物取引委員会 (CFTC) にあって、委員長B. ボーンは、OTCOver-the-Counter. 相対取引)デリヴァティブ (とりわけCDS) がどこからの規制受けることなく販売されていることに警戒感を抱き、その規制の必要性を訴えていた。だが、この動きはグリーンスパン、ルービン財務長官、サマーズの猛反対のまえに挫折し、その後、逆に規制緩和への動きが加速化することになった。その成果がCFM法なのである。レーガン、G.H.ブッシュ政権時のCFTC委員長であったウェンディ(グラムの妻)は、CMF法を成立させるため強力な運動を展開した。彼女はその功績でエンロンに迎え入れられることになる。
エネルギー取引が監視対象からはずされたこと(いわゆる「エンロンの抜け穴」)で知られるCFM法の最大の特徴は、「シングル・ストック先物」が許容された点である。このことで、より巨額のレヴァリッジが可能となり、投機行為のさらなる拡大につながったのである(同法は2000-2001年のカリフォルニア州の電力危機に大いなる責があるとされている)。
エンロンだが、同社は1990年代からデリヴァティブ取引に積極的であった。1999年には「エンロン・オンライン」を設置し、デリヴァティブ取引を急激に拡大させたのであるが、その後大規模な会計不正が発覚し、ついには倒産に追い込まれ、アメリカ経済にいわゆる「ドットコム・バブル」の崩壊をもたらした。
グラム3はその後、大手投資銀行UBSの幹部として迎え入れられた。彼は、同社のCDSの拡大を推進するうえで中心的な役割を演じたとされる4
3. 世界金融システムの不安定性
金融の自由化がもたらした世界経済への影響を、どのように評価すべきなのであろうか。たしかに資本を、高い利潤率を獲得できる地域に動かせる可能性を開いたことで、そうでなければ機会のなかった地域の経済を活性化させ、経済発展をもたらすことになったという点は、金融の自由化の演じたポジティブな側面である。金融資本は利潤を求めてそれまでなら考えられなかったような地域にまで進出し、そのことでBRICSを代表とする多くの地域での経済発展を引き起こすことになった。
 この点は後に述べることにし、ここでは金融資本による「濡れ手に泡」的なもうけを狙う過度の投機行為が世界経済を非常に不安定なものにしてきたという点、そしてその程度が時を追うにつれて激しくなっていったという点に焦点を合わせる。とりわけ、世界経済を不安定にするうえで最大の要因となった「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化を取り上げ、そのうえで実際に生じた2つの事例をみることにする。
「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化 - 1980年代に本格的な展開を見せ始めた金融の自由化は、「シャドウ・バンキング・システム」(以下、SBSと略記を生み出していくことになった。それまでアメリカの金融システムは、銀行業の投機的活動を抑制すべく1933年に制定されたGS法のもと、FRBの監督下におかれていたのであるが、既述の規制緩和運動の結果、どの機関の監視からも逃れ、自由に (= 好き勝手に活動できるヘッジ・ファンド、「投資ビークル」(SIV)、「プライベート・エクィティ」などの金融機関が輩出することになった。その彼らが資金を調達する方法として編み出したのが(MBS [住宅ローン担保証券]CDOCDSなどに代表される)「証券化商品」であり、レヴァリッジであった。
  監視を逃れたこれらの金融機関は巨額の資金をもとに (それに、クォンツによる金融工学の手法を利用しつつ)、投機活動に邁進していくことになった。彼らが巨額の利得を獲得し続けたため、FRBの監督下にあった銀行も、「投資ヴィークル」に象徴されるオフ・バランス手法などにより、SBSに参入していくことになった。こうして金融の自由化は、グローバル・レベルで巨額の資金を用いて短期的投機行動を展開する、そしてその活動を規制する機構が欠落した金融システムであるSBS  ― それはグローバリゼーションの申し子であり、かつ鬼子である - を誕生させることになった。こうしたSBSの肥大化は、世界の金融システムを非常に不安定なものにしていく大きな要因であった。
金融自由化の行き過ぎは、これまでも世界経済を危機的状況に陥れることがあったが、20089月、ついに世界の金融システムは破裂し、今回の世界経済危機をもたらすに至った。はたして、このようなSBSは資本主義システムの発展にとり望ましいものなのであろうか。これらの金融機関が、科学的・客観的技術としての評価を受けてきた金融工学的手法を武器に展開する投機的活動は、いかなる意味で正当化されるのであろうか。
以下、金融自由化の行き過ぎが引き起こしたグローバルなレベルでの経済的不安定化について、2つの事例でみることにする。1つは 1997-1978年のアジア金融危機、もう1つは2007年から始まってリーマン・ショックに至ったサブプライム・ローン危機である。5
アジア金融危機 ― 1997年、マクロ・ファンドにより引き起こされたアジア金融危機は世界的な広がりをみせた。ドル・ペッグ制を採用していたタイは、世界的にドル高(円安)が生じてきたためバーツ高になり、輸出が不振に陥り始めていた。そこに目をつけたヘッジ・ファンドがバーツを売り浴びせたため、ついにバーツは切り下げられることになった。それまで短期で借り入れたドル資金に依存して経済成長を続けていたタイ経済は、返済負担の急増により深刻な不況に陥った (他方、ヘッジ・ファンドは膨大な投機益を手にした)。この不況の波は、マレーシアやインドネシアへと伝播していった。
それに連鎖して生じたのが、(1998年のロシア金融危機である。ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、「ビッグバン」型の資本主義化を強行したものの、その成果は無残のものであり、1997年当時、激しいインフレと財政危機に襲われ、最悪の経済状況にあった。ロシアは必要な資金を国債の発行で調達していたが、これに目をつけたのが、かの有名なヘッジ・ファンド「ロングターム・キャピタル・マネジメント」(LTCM)である。
LTCMは創設者に、オプション価格を決定する「ブラック=ショールズ式」で有名なノーベル経済学受賞者2名が含まれていることで有名であった。企業規模は高々150名ほどであったが、初期の成功ぶりに世界中の銀行が「白紙小切手」を切るばかりの勢いであった。LTCMは当初は資産50億ドルの「中立型ヘッジ・ファンド」であったが、1998年には1億ドルの資金を扱い、1兆ドル のポジションをとるまでになっていた
だがLTCMの投資行動はロシア政府の国債デフォルト宣言で頓挫し、放置すれば世界的な金融危機が到来する危険性が、一挙に高まった。そこでFRBはニューヨーク連銀の指導のもと、19989月、ウォール街のメガバンクにLTCMへの緊急融資をさせることで、この危機を切り抜けたのである。
サブプライム・ローン危機 - 2007年頃から深刻な経済危機を引き起こしそうなものとして現出したのがサブプライム・ローン危機であった。 2005年以降、高金利のサブプライム住宅ローンが信用力の低い低所得者層を対象に貸し付けられるようになった。大手金融機関はこの住宅ローンを買い上げ、これを担保に数多くの「証券化商品」が生み出され、それらが「パッケージ」として組成されていった。ムーディーズをはじめとする最高の権威を有する格付け会社は、これらにたいしきわめて安全な証券との認定を与え (サブプライム住宅ローンからの証券化商品の80%にトリプルAが与えれられた)、世界中に販売されていった。金融機関はといえば、審査らしい審査をすることもなくサブプライム住宅ローンを貸し出し、それをもとに階層化された証券化商品を組成する、さらにそれに格付け会社が最高の格付けを与える、その結果として証券化商品は高利回りの商品として人気を集める。こうした負の連鎖が続いたのである。
4. 「金融自由化」考
第2節でみたように、「金融の自由化」は「金融資本の自由化衝動」を起爆剤とするものであった。それは、アメリカの銀行界がGS法の規制下におかれている状況を打破し、その規制にかからずに発展していく証券業界との競争に対抗するための、さらには世界の金融市場を自己の支配下におくための活動であった。このような衝動に政府の有力者 (ルービン、グリーンスパン、サマーズ等は同調し、FRBや財務省は、GS法第20節の拡大解釈を通じ、その骨抜きを促進させていき、ついにはGLB法とCMF法を成立させるに至ったのである。以下では、この「金融の自由化」にどのような意義 (もしくは意味があったのかを、3点取り上げることにする。覇権国家的意義、経済的意義、日本およびBRICSにとっての意義、である。
覇権国家的意義 ― 金融の自由化は、超大国アメリカが世界支配を維持・継続していくうえで、彼らに残されている数少ない方法であると考える政府当局者の認識とも符号するものであった61980年代の惨めな経済パフォーマンスに苦しんでいたアメリカにあって、金融をテコにした世界への影響力の復権・拡大は、政府当局者(レーガンをみよ)にとってまたとない方法・機会であると考えられた。IMFや世界銀行を通じた「ワシントン・コンセンサス」 (「構造調整プログラム」) の推進や、1990年代に生じたソ連ブロックの瓦解に伴い、同地域の多くの政権がアメリカの経済学者 (最も有名なのはハーヴァード大学教授A. シュライファー [庇護者はL.サマーズ]) を招聘して、資本主義の「ビッグバン」的導入を遂行したこと [この試みは、最悪の経済パフォーマンスをもたらすことになったも、それと軌を一にする動きであった。
 これらの運動を強烈に後押ししたのが、「ネオ・リベラリズム」、ならびに金融工学や「新しい古典派」の「知的権威」であった。「ネオ・リベラリズム」はその表向きの顔とは裏腹に、非常に権力志向的なイデオロギーを漂わせている。「自由」、「民主主義」の唱道者として、自らが考える自由、民主主義が実現できていない国にたいしては、ときには「構造調整プログラム」により、ときには軍事力により介入するというのが「ネオ・リベラリズム」の特徴である。その意味で、「ネオ・リベラリズム」は「ネオ・リベラリズム+パワーイズム」である。社会主義圏の崩壊もこの動きを加速化させるうえで与って大きな力となったこともたしかである。
さらに政治力学的には、これらの運動は金融資本と金融政策当局との露骨な「ギブ・アンド・テイク」 ― 巨額の見返りを前提にする、金融資本と金融政策当局との「超」親密な関係 ― を機軸に展開されてきた「クレプトクラシー」(Cleptocracy) といえよう。
経済的意義 ― こうした「金融の自由化」は経済的にみると、どのような意義を有するものなのであろうか。金融の自由化は金融機関が資金の調達手法を自ら創造していくことのできる空間の拡張である。「証券の商品化」が多層化され、レバレッジも拡大していく。こうして獲得された資金をもとに、金融機関は投機的な利潤追究をかぎりなく展開していく。しかもそれは経営幹部間での利得の分捕り合戦の様相を呈しており、「企業の社会的責任」(CSR)といった認識を完全に喪失するまでに至っている。ヘッジ・ファンドによる、世界のなかの弱った地域に目をつけ、そこに投機的攻撃を仕掛けることで巨万の利得を得ようとする行為、当該国に多大の損失を与えることを意に介さない行為 (それは当該国の経済システムに責任があるのだとする姿勢) が近年、露骨なまでにみられた。
 こうした「金融のための金融」、実体経済を無視した投機行為は本来あるべき金融の役割 - 実体経済を成長させるうえで必要な資金を融通するという受身的役割 - からはかけはなれた、金融資本による利殖追究 (GDPの「分捕り行為」といってもよい。後述の第5節の1を参照の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である。この結果、ケインズのいう「実体経済が投機的渦に巻き込まれる」事態が生じたのである。
シャドウ・バンキング・システム (SBSの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(アメリカを筆頭とする)政府当局者による活動の産物でもあった。これは、金融業界と政府当局の間で「超」親密な関係が結ばれることにより、政府当局者が本来遂行すべき国民経済の安定的成長の促進というスタンスからの逸脱である。政府は金融界とは一線を画すべきであり、国民経済全般の福祉を第一義的に考えて政策運営に臨むべきである。然るに、「金融の自由化」に邁進する運動過程にあって、アメリカをはじめとする諸政府は金融界と一体化してきたのである。その代償が、ヘッジ・ファンドの暴走、「証券の商品化」の多層化であり、今回のメルトダウンであった。
日本およびBRICSにとっての意義  90年代の米英を中心に展開した金融グローバリゼーションと金融工学を応用した金融商品開発は、一方で米英金融資本による世界市場の支配を復活させた。しかも同時期、アメリカの若手企業者はIT革命により世界をリードすることになり、それまで日本や西ドイツに押される一方であった実業の世界でも、アメリカがリードすることになった7
 同じ時期、日本は自国の金融危機(さらにはBISの自己資本比率順守の要請)により、世界の金融市場から撤退せざるをえない状況に追い込まれた。そのうえ、企業者スピリットという点でアメリカの後塵を拝することになった。このことは80年代に既存の企業がイノヴェーション分野を組織内に取り込むかたちで成功裏に展開できたのときわめて対照的であった。その結果、日本経済は名目GDPを上昇させることはできなかった (実質GDPは下がってはいない)
  他方、金融のグローバリゼーションは結果的に新興国BRICSの高度経済成長にも貢献することになった。BRICSの台頭は、たんに開発途上国が成長したということではなく、21世紀の世界における重要な経済的・政治的プレイヤーになったという意味で世界史的意義を有する現象である。
 中国の場合、80年代から海外資本も活用しながら顕著な経済成長を歴史上どの国も成し得なかったスピードで達成してきた。ロシアの場合、共産圏の盟主として経済的にも大国であったから事情は異なる。90年代にとられた悲惨な資本主義化であったが、たまたま訪れた資源価格の高騰を契機として奇跡的といってもよい復活を遂げることになった (一次産品自身が「インデックス投機」の対象となったこともまた中国の経済発展が一次産品への需要を高めたことも、ロシアにとっては幸運であった。インドにあっては、アメリカで始まったIT革命が、劣悪なインフラ基盤にもかかわらず、優れた頭脳の経済的活用を可能とし、90年以降、BRICSの一員に押し上げる大きな要因となった。ブラジルの経済発展においては、中国の驚異的な成長があらゆる種類の一次産品需要誘発したことが少なからず貢献している。
 こうしてこの20年のあいだに、世界における日本経済のプレゼンスはあらゆる指標でみても劇的な下落をみせることになり、他方、BRICSのプレゼンスがいや増しの高まりをみせることになった。しかも中国やロシアはその経済力をも背景にかつての覇権国家への道を意識的に歩もうとしており8、アメリカとの覇権争いが激しさを増していく情勢にある。
5. 金融規制改革の必要性
ここで改めて問うことにしよう。なぜ金融規制改革が必要なのだろうか、と。2つの論点を取り上げてみたい。1つは「歪む資本主義システム」であり、もう1つは再考を迫られている「自由」・「市場」概念である。
5.1 歪む資本主義システム
現在の資本主義システムにあって金融は必須であり、これなくして経済の円滑な運営、発展は考えられない。これは事実である。私たちは物々交換の時代に生きているわけではない。経済取引は高度に分業が進展するなかで行われており、取引の一方には貨幣・信用が用いられている。
 問題は、金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係である。金融は、一般的な財やサービスと異なり、現在、中央銀行のみならず、金融機関にあっていくらでもただ同然で創出することが可能である。早い話、中央銀行が紙幣を輪転機で刷って、それを市中で財を大量に買い占めるために用いれば、中央銀行はその財を市場から奪い取ることが可能である。例えばりんごが市場に1000個存在するとして、中央銀行がこの方法で700個を買って自分たちで山分けしたとしよう。その後、公衆が受け取った給料でりんごを買おうとしたとき、中央銀行が買い占めていなかった場合1000個とは違い、300個しか購入できない。しかも数が減っているからりんごの価格は上昇しており、公衆は少なくなったりんごを入手するさいに、実質所得を減少させられてしまう。いわゆる一種の「強制貯蓄」が生じる
 金融のもつ1つの重要な問題はこれである。金融がいずこからのチェックも受けない場合、関係者は自己利益のために好き勝手なことをし、GDPからの受け取り分を異常なまでに多くすることに努める、結果として所得分配を大きく歪める。金融はそのあり方を間違えると、「歪んだ」資本主義を生み出す。金融についていわれる自由化は、金融資本にとっての好き勝手な行動の自由化をもたらすという危険性が絶えず存在する。
 先の事例は寓話であるが本質を突いている。2008年に生じたメルトダウンは、まさに金融工学の名のもとに、証券の上に証券を作り、その上に証券を重ね、さらにその上に証券を創造する、といういわゆる「証券の商品化」現象の爆発によって生じている。この行為は、見方を変えると、GDPの分配率を意図的に自らに有利なものにする「レント・シーキング」的側面をもっている。メイン・ストリートの発展に寄与するという金融本来の役割がないがしろにされているからである。この間、膨れ上がった証券化商品は、どの政府機関の監督下にもおかれずに、投資銀行やヘッジ・ファンドによるGDPぶんどり的行動に利用され、そのあげくのはてに経済システムの崩壊をもたらすに至ったのである。
 規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融機関が自由化の名のもとに2000年代に行ってきたことは、自由の名をかたった市場の「不在化現象」、市場の「不透明化現象」を現出させる行為であった。
金融市場に明確なルールをつくることはきわめて重要であり、それを放置することを金融の自由化と同一視するのは誤りである。自分勝手な行為、とりわけ「誤った」投機行動(例えば「裸のCDS [Credit Default Swap]」)が金融システムをきわめて不安定なものにしてきているが、これは金融自由化の美名のもとに暴走した無批判な行動の結果である。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場を無視し、透明性を欠如させた環境下での競争は、誰かが獅子の分け前を不当にせしめる行為につながる危険性が高い。
(次節で言及するドッド=フランク法の「リンカーン条項」にたいし、ウォール・ストリートは激しいロビー活動を展開して抵抗をみせている。それは政府による不当な市場への干渉である、と彼らはいう。だが、リンカーン条項が主張しているのは、「市場のルールを順守せよ」ということである。それを保証するための枠組みとして、デリバティブ取引を株式市場のように、公正で透明性をもったシステムの構築が提唱されているのである。リンカーン条項は「デリバティブ取引の問題は、どこからの監視も受けず、したがって秘密裏に巨額の資金をレバレッジ手法を用いつつ、しかもOTC取引で遂行するという秘密性、不透明性が今回のメルトダウンの大きな原因である」という反省の上に成立したものである。私たちは「市場とは何か、市場とはいかにあるべきか」がここで改めて問われている。
5.2 再考を迫られる「自由」概念と「市場」概念
80年代以降、世界経済をいくどとなく襲った金融危機、そして今回のサブプライム・ローン危機に端を発したメルトダウンは、ネオ・リベラリズムのもつ危うさと問題性を強烈に露呈させることになった。
資本主義経済は「自己責任のシステム」である、と声高に唱道されてきた。自らの責任で未来に立ち向かう、成功も失敗も自らの責任であり、政府に頼るべきではないし、政府は市場に干渉すべきではない。ネオ・リベラリズムの衝動者たちはこう主張し続けてきた。
だが、現状はどうであろうか。資本の短期移動が極端なまでに自由化され、 金融工学の勝利として「証券化商品」の多層化が極端にまで進んだあげく、その先頭を走っていた多数の世界的金融機関が破綻に追い込まれることになった。彼らは、金融工学のテクニックを駆使し、それに基づいて経営していることを誇りにしていた。多層化された証券化商品はその高度の技術に基づいて組成されてきたはずであり、それゆえ安全な商品として世界中に販売されたのである。しかるに、そのシステムが破綻に瀕するやいなや、政府からの莫大な公的資金を真っ先に要請・受け入れたのは、当の大金融機関なのである (そして原理的大失態にもかかわらず、経営陣が解雇されるということもほとんど生じることはなかったし、生じた場合でも巨額の退職金をせしめるというのが、通例であった)
こうした事態が生じたことの責任の一端は、「純粋な市場経済」を極端にまで信仰し、唱道したことに負っている。後先を忘れた自由化は、極端に短期的な投機行動を野放しにし、巨大資本ならびに大衆のあいだには一攫千金を求めるあまり、企業倫理・社会倫理を無視する行動が蔓延することになった。その行き着いた先が、「自己責任」原理の放棄と国家への救済要請である (巨額の公的資金を受けた企業の幹部が巨額のボーナスを自らに支払う、というスキャンダルがアメリカ社会を倫理的にも揺さぶってきた。経営幹部はそれを「契約の履行」で正当化しており、ここに経営倫理の崩壊は極地に達した観がある)
他方、サブプライム・ローンを組んで破産した大衆は住宅を差し押さえられ、ローンの支払いは残されたままの状態におかれることになった。彼らには、「自己責任」原理が押し付けられているのである。ネオ・リベラリズムは繁栄の大義名分のもとに貧富格差を拡大させてきたし、今回のメルトダウンにあっても、大衆は後回し状態におかれている。「市場に任せればいい、企業は自己責任原理で経営されている」とするネオ・リベラリズムの主張は、現実を前に崩壊しているのである。
  ネオ・リベラリズムがもたらした過失のなかでも重要なもの、それは、市場の「不在化現象」と「不透明化現象」9を推進させた点である。これは、市場を絶対視すると言いながら、じつは市場を無視した行動をとっているという問題であり、いわば「市場」を隠れ蓑にした利己的行為である。市場を食い物にする偽善的・欺瞞的行為ともいえるであろう。
6.ドッド=フランク法
本節では、上記に述べたような「歪んだ資本主義」、「自由概念と市場概念」の乱用という、資本主義システムをめぐる根底的な危機を是正すべく成立したドッド=フランク法について、それがどのような内容をもつものであるのか、そしてそのこれまでの遂行状況はどのようなものなのかを説明することにする。
6.1 枠組み
ドッド=フランク法は、「グラス=スティーガル法」(GS) の現代的再来である。
すでにみたように、GS法は1970年代末頃から次第に骨抜きにされて、その最終的象徴としての「グラム=リーチ=ブライリー法」(GLB法。1999年)の成立に至った。こうしたなか、「シャドウ・バンキング・システム」(SBSが肥大化し、ついには証券化商品の異常な多層化のもと、ついにはリーマン・ショックからのメルトダウンに突入していった。
 「ドッド=フランク法」 (20107SBSの根絶とそれを政府の監督下におくことで、健全な市場経済を復活させる法的枠組みを再構築しようとするものである。精神においてGS法のそれを継承するも、この30年間の金融市場は複雑な発展を遂げてきており、当然ながらそれへの対処は1920年代とは異なる。GS法の現代版であって復活ではない。

 ドッド=フランク法の基本的な枠組みは次のとおりである。

  (1) 消費者金融保護局 (Consumer Financial Protection Bureau. CFPB) の創設
これをFRBのなかに設置する。しかし、それはFRBからは独立しており、局長は大統領による任命となっている(これは上院案をもとに、下院案、大統領の見解を反映したものになっている)。
 この創設は、サブプライム・ブームのとき、金融機関が無審査で住宅ローンを組む(忍者ローン」[no income, job or assets])までに至り、その結果多くの人が購入後、デフォルト状態に陥ったことへの反省から来ている。こうした事態の再発を防止すべく、消費者が金融機関に騙されたり、不公正な契約をさせられるを防止するためにCFPB設置される。
(2) 「ヴォルカー・ルール」
これは、銀行が「自己勘定取引」を行うのを禁じる条項である。預金を預かる銀行が、同時に投機的行為に走ることで、預金者の預金を危険にさらすのを禁じるものである。
(3) 「リンカーン条項」(この表現はあまり普及していない)
ブランチ・リンカーンによるもの。OTC (Over the Counter) デリヴァティブ (相対取引によるデリヴァティブ) を廃止し、公開市場を創設することで取引を透明・公正にすることを目指した条項 (オバマ大統領はこの条項に反対であった)
(4) システミック・リスクを防止するための委員会の創設
財務長官をトップにすえた9人からなる委員会である。
(5) ニューヨーク連銀のトップは大統領による任命制に変更する。
これはウォール・ストリートの影響力を遮断するというねらいがある。
(6) 巨大金融機関が破綻しそうな場合、そのスムーズな清算・解体を金融機関からの資金で遂行する。TBTF (Too Big Too Fail大きすぎて潰せない思想を禁止する。巨大銀行は、自身が巨大であるがゆえに、万一経営に失敗しても、国は必ず助けてくれる (もし助けなければ、アメリカ経済全体が危機にさらされると考えがちである。そのことで、巨大銀行が危険な投機行為に走るインセンティブが発生する、という典型的なモラル・ハザードである。こうした考えに挑み、破綻しそうな金融機関の清算処理に必要な資金を国税ではなく、金融機関の自己負担で処理させようとするもの である。
(当初、銀行税 [大手銀行およびヘッジ・ファンドを対象に、5年間で200億ドルの徴収が考えられていたが、スコット・ブラウン議員の賛成票を得るため、ドッドは最終局面でこれを棄却した。それに代わり、TARPからの110億ドルおよびFDICルールが掲げられている)。
6.2 実施に向けての困難な歩み
オバマ大統領は、いくたの困難にもかかわらず、それを乗り越え、歴史的にみても重要なドッド=フランク法を成立させた。が、それから3年が経過しているが、いまだ実施への道半ばである。具体的実施過程は、法案成立にも増して困難が続き、今日に至っている。以下はその過程である。
20118月頃まで  ― 20107月成立のドッド=フランク法で新設された組織の長のポストがなかなか決まらないという状況は9月には生じていた。予想されたとおり、金融界のドッド=フランク法を糾弾するロビー活動も激しさを増していった。やがて11月の中間選挙が到来し、共和党がティー・パーティの波に乗りながら下院で多数党となり、上院でも民主党に肉薄する躍進振りをみせたため、事態は急変した。
 20111月、ティー・パーティに属する共和党議員がドッド=フランク法の廃案動議を下院に提出した。その趣旨は「同法は、銀行にたいする行政の過大な権限付与であり、大きな政府の出現である。それは失業をもたらす。それにファニー・メイやフレディ・マックなどのGSE (政府支援企業には何の処置もとっていない。そしてドッド=フランク法は違憲である」と全面否定に立つものであり、元の状況を保持することを要求するものであった。この動議は下院を通過したが、上院を通過しなかった (それに両院を通過しても、それが2/3以上の多数決 (supermajority) でないかぎり、大統領の拒否権を凌駕することはできない)。とはいえ、これは共和党の力・意思を力で表明する場面であった。
 共和党もドッド=フランク法の廃案は無理だと認識しており、現実策としては、それを骨抜きにする作戦に出た。例えば、金融規制に大きな役割をはたす機関への予算の大幅カットにより、実質的に動けなくしようとする行動がある。
 とりわけ重要な争点となったのが、CFPBの組織のあり方であった。まずは
その局長問題である。大統領側が推す最有力候補はE.ワレン (CFPB創設の立
案者であったが、これに共和党は強硬に反対を表明した (その後、大統領は
ワレンを諦め、2011718日、R. コードレイを指名した)
 翻って、共和党側は次のようなCFPBの組織変更を提示してきた。1は1
人の長ではなく (党指導部が指名する)  5人からなる委員会による合議制にす
ることである。2CFPB予算をFRB内部からのものではなく、議会の承
認事項10にすることである。あくまでも強力な活動が予想されるワレンを阻止
し、かつ予算を削減することでCFPB活動を弱体化させようという作戦であ
る。3CFPBの活動は、銀行監督機関の委員会での多数決に服するものと
する、というものであった
 その後も、共和党はドッド=フランク法にたいする妨害活動を続けた。一例を
示すと、共和党は下院に「消費者金融保護の安全と健全性改善法」(H.R.1315. S.
ダフィ議員) を提出している。同法は2011723日、下院を通過したのだが、
名とは真逆で、ドッド=フランク法の1023項を変更することで同法の骨抜き、
とりわけCFPBの無力化を目的とするものであり、ウォール・ストリート側が
さらなる抜け穴を完成させるための時間稼ぎも目的にしていた。が、これが上
院を通過するということはなかった。
 CFPBと並んで共和党が大きな攻撃ターゲットにしたのが、「商品先物取引委
員会」(CFTC)  および「証券取引委員会」(SECであった。税カットの必要性
にかこつけての行動である。これらの組織の重要ポストも決まらなかった。例
えば、CFTCの委員長として、82日、大統領はM. ウェチェン (Wetjen) 
指名したが、上院での承認が必要であった。共和党は彼らの主張が受け入れら
れなければ、大統領の推薦する長を容認しないことを明言していた。大統領は
相当の妥協を余儀なくされることになるかもしれない (唯一の抜け道として、
いわゆるリセス・アポイントメントで議会閉会中に任命してしまうという方法
がある)
20137月現在 ― 2012年になると、後述するようにCFPBが組織としての活動を開始できるようになった。とりわけ、2013年の春以降さまざまな項目がかなり確定することになり、かつての昏迷状態は抜け出してきているということができる。
そこで、ここでは711日に開かれた上院での委員会におけるFRB理事タル [Tarullo] による証言11に基づいて、ドッド=フランク法の実施をめぐる現状について述べることにしたい。
それによると、全体的には相当進行しており、ドッド=フランク法のほとんどの主要条項のルール策定は終了しようとしている。すでに最終決定がなされ、実行に移されているものもあれば、企業や市場がルールに慣れるための移行期間を設けているものもある。またいくつかの項目は数ヶ月ほどで完了することになっている。以下、具体的にみていくことにしよう。
(1) バーゼルIIIによる資本ルールの遂行
7月、FRB「通貨監督庁」(OCC)、「連邦保険預金公社」(FDIC、アメリカでのこの実施に向けての総合的な資本枠組みについての最終案に同意した (ただし、大金融機関には20141月までの、また中小金融機関には20151月までの猶予期間が与えられた)
(2) 大銀行へのストレス・テストおよび資本計画の要求
今秋、フルセットのストレス・テストの要求を、資産500億ドル以上の 10数行に拡張することが予定されている。

(3) 大銀行への堅実性 (prudence) 向上の要求
解体計画およびストレス・テストについての規則は、決定済みである。

(4) 大銀行の破綻処理の実行可能性の改善
 「秩序ある解体機構」 (OLA) が設置され、そのもとでFDIC は、株主およ 
び債権者に損失を負担させ、経営陣を入れ替えるとともに、健全な部分の運営は残すかたちで金融機関を分解することができるように決められた。
(5) 銀行機関の構造改革
キーとなるのは、ヴォルカー・ルール [自己売買の禁止] とデリヴァティブ排除条項 [リンカーン条項の領域]である。
ヴォルカー・ルール ―  2011年秋、FRBおよびSECは共同でヴォルカー・ルールを実施する規則を提案した。CFTCも数ヵ月後に同様の提案をしたが、実現には至っていない。ヴォルカー・ルールは年末までに完成することが期待されている。
  デリヴァティブ排除条項 ― 2013716日、実行に移された。ただし、預
金保証のない外国銀行のアメリカ支店にはすぐに適用されるが、預金保証のある機関は2年間の延長を要請することができる。
(6) シャドウ・バンキング・システム対策
極度にレヴァレッジを用いる金融機関に巨額の短期資金が行くことを防止する対策である。今週、ノン・バンクの2つの機関 (AIGはその1つ)がその対象に指定された。
(7) 単独での相対取引 (OTC) への貸付額規制問題
検討中である。
(8) FRBCFPBFDIC、「連邦住宅金融庁」(FHFA)「国家信用ユニオン庁」 
(NCUA)OCCは高度のリスク性のある不動産ローンについての評価要請を
実施する最終規則を発した。
最後に、ドッド=フランク法(金融規制改革)の目玉の1つであるCFPBの局長問題に言及しておこう。オバマがコードレイを指名したのは既述のように20117のことであった。共和党はそれにたいしても反対の論陣を張り続けた。オバマはこの事態に直面して、20121月、「リセス・アポイントメント」により、彼を就任させここに、CFPBはようやくトップを得たことで「動き始めた」(それまでは動けなかった。ドッド=フランク法が制定されてから1年半が経過していた)。だが、上院はその後も共和党が中心となってコードレイの局長就任を認めないまま、2013年の7を迎えたのである (その間、さらに1年半が経過している)
 この事態を打開すべく、7月、民主党の上院リーダー、ハリー・リードは、いわゆる「原爆オプション」を出すとの脅しをかけた。これにより、共和党も妥協もしくは休戦に同意し、716コードレイをCFPBの局長として承認することになった。金融規制改革の実施の遅れを象徴する問題の解決である。
***
こうした遅れは何をもたらすことになるのであろうか。金融界は政府にベイルアウトされて急速に立ち直ったうえ、今度は共和党の力を借りて自らの投機的行動を監視する機関の設立を阻止してきている。金融界は巨額の資金を政界に投入し12ロビー活動を通じて同法の効力をそぐこと、抜け穴を大きくしていくことに全力を注力してきた。そしてそのことにかなり成功してきているのである13。そのため、SBSは健在で、再び巨大な金融危機が世界を襲うという事態が、近い将来に生じる危険性は高いということになる。
  もとより、金融規制法案が成立しているのはアメリカだけである。アメリカ
が法案を成立させても、他の国、とりわけイギリスやEUが同様の対処をしな
いのであれば抜け穴だらけになってしまう(イギリスおよびEUの状況につい
ては後述の補論を参照)。金融はよくも悪しくもグローバルな展開が最も活発に
なされてきた分野である。アメリカが規制を強化しても、他が同調しなければ、
そうした投機活動は場所を移して続けられることになる。それでもアメリカが
最初にやらなければどこがやる、ということはいえる。
ドッド=フランク法は、上記に示したように、最近になってかなりの組織化
が進行してきたといえるのだが、まだ最終的な実施に向けて、解決しなければならない課題も少なからず残されており、道半ばの状況にある。
6.3 補論イギリスとEU
金融規制改革は、アメリカだけでなしえるものではない。そこで、ここではイギリスとEUの現状について補足的に記しておくことにする。
イギリス  『ヴィッカーズ報告』は、イギリスで検討が進められてきた金融規制改革についての重要な報告 (4月に中間報告が出ている)で、20119月に「銀行に関する独立異委員会」(ICB)によって発表された14
 ヴィッカーズ報告の一番の特徴は、商業銀行と投資銀行のあいだに「リング・フェンス」を張ることで前者の預金を後者が投機的目的に使用することを防止しようとするものである。アメリカでのグラス=スティーガル法と精神において似ているが、両銀行の分離ではなく「フェンス」を張るという点が異なる。もう1つの特徴は、イギリスの銀行の「損失吸収力」を高める工夫が講じられているという点である。
 注目すべきは、これがたんなる報告書に終わっておらず、政府がこの勧告のほとんどを承認するかたちで、法案の制定に向けての活動を展開している点である政府は、20155月までに「リング・フェンス」に関連する政策および法案提出を明言している。そして銀行にたいしてはただちにそれに応じた変革を行うこと要請ている。さらに「損失吸収力」については2019年までに完成させることを明言している。

EU - ユーロ圏は、ヴォルカー・ルールをとるべきか、リング・フェンス方式をとるべきか (ドイツは3月に、「リング・フェンス法」を下院に提出した。これは『リッカネン報告』に応じたものである。ECBはリング・フェンス方式に懐疑的である)、あるいは双方を取り入れるべきかを考慮中である。さらに「バンキング・ユニオン構想(EUの一番好むものだが実現は至難や「金融取引税」 (FTT.トービン税が浮上している。以下では一番進行しているFTTについて述べる15
  これはEC(欧州委員会によって提案されたもので、20141月までにEUのなかで希望する国 (現在11カ国で設定されることになっている。株式や債権の取引にたいしては0.1%、デリヴァティブにたいしては0.01%が課税される
(これは銀行課税 (bank levy) - いくつかの国が将来生じうるベイルアウトにたいし、それを保証するものとして銀行にかける税 - とは異なる)。
  FTT20106月に初めて討議されたが、EU全体ではうまくいかず、201210月、ECは、参加希望国に対しては「増強された協力」(enhanced co-operation) が認められるという案に変更した。11カ国のEUメンバー国が賛成し、201212月に欧州議会で承認されるに至った。20132ECは多少変更した案を提出し、それは7月に欧州議会で承認された。これが実施されるには、参加国全員の承認が必要となっている、というのが現時点の状況である (だが、EUにとっては、金融規制改革はトップ・プライオリティの問題ではない。ユーロ・システムの危機的状況が続いており、それはシステム自体のもつ固有の問題に根ざしている)
7むすび
以上、この30年間に生じた金融の自由化と、それが資本主義システムにもたらす不安定性の増大という問題を、世界資本主義の中心たるアメリカを対象にみてきた。わたし達は金融を抜きにして資本主義システムを考えることはできない。しかし、だからといって金融を自由放任の状態のままにおくならば、より深刻な経済破綻が今後も生じる恐れがある。この金融システムを適切にコントロールしながら、「正しい資本主義」を維持・発展させていくことができなければ、資本主義の将来はきわめて危ういものとなるであろう。
「リーマン・ショック」により、世界経済は新たな局面を迎えることになった。証券化商品の暴走を止める手段はなくなり、メルトダウンに至った。それにたいし、破綻した巨大金融機関を超法規的手段(ゴールドマン・サックスを商業銀行に改編することで、ベイルアウトを遂行したことなどは最たるもの)により救済したが、これは「ネオ・リベラリズム」の激烈な破綻劇であった。
 アメリカではSBSの解消、本来的な市場の役割を重視した枠組み作りである「ドッド=フランク法」は大幅な遅れをみせながら、(そして道半ばとはいえ)その実行に向けてようやく歩み出そうとしている。またEUでも、イギリスでも金融システムを安定化させるためのシステム作りが、(まだ何も実現には至っていないが)遅ればせながら始まっている。その意味で、いまは30年ぶりに訪れた資本主義システムの大転換期であるということができるであろう。
だが、金融規制の取り組みは遅々たる歩みであり、SBSはリーマン・ショック後も野放し状態で今日に至っているのが実情であり、現状では第2のリーマン・ショックの到来を防ぐ手段を世界は持ち合わせていないままである。
 第5節の2で若干、言及したのだが、「規制」が「自由」に反するかのような主張には警戒が必要である。ネオ・リベラリズムが展開してきた「市場」や「自由」には自己矛盾的要素、もしくは「市場の不在化現象」や「市場の不透明化現象」を含んでいる。それらを解消し、本来の市場、本来の自由のあり方を問うこと、これがいまほど求められているときはない。
最後に、今後の世界経済に言及しておこう。先進国経済は停滞が続く。とくにユーロ圏はユーロ・システムを防衛することが自己目的化しており、超緊縮政策のもと、メンバー国内での社会不安が大きな高まりをみせている。だが、それ以上に懸念されるのが中国の不良債券問題に端を発したシャドウ・バンキング(これまでのSBSとは意味が異なる)の肥大化による金融不安であり、政府はこれをコントロールできない状況になっている。これが破裂すると、リーマン・ショックを上回る衝撃波が世界経済を襲うことになる。90年代の日本、21世紀になってのアメリカ、アイルランド、スペインといずれも似たパターンで繰り返されてきた金融危機が、いま中国で不気味なうなりをあげようとしている。

 1) 本報告ではこの30年を対象にしているが、次の点に言及しておく必要はあるであろう。19718のニクソン・ショックである。これにより、戦後のIMF体制が終焉を迎えることになった。IMF体制はドル本位制であったが、同時に固定為替レート制度であり、かつドルも金1オンス = 35ドルという規制が設けられていた。これがニクソン・ショックによって消滅することになり、国際通貨体制は、先進国において変動相場制となり、金との接続をもたない制度に変わった。これは、いわば各国が平価を維持する義務、したがってつねに市場への介入を要請されるシステムから、すべてを外為市場に委ねるという市場への信頼を前面に押し出したシステムへの転換を画するものであった。
  2この事実の解明に大きく貢献したのが「ペコラ委員会」(Pecora Commission) である。
3グラムは1996年、共和党の大統領候補を目指したことがある。今回はマケイン陣営の主要な支援者であり、マケインが大統領に当選した暁には財務長官の椅子が用意されていたとされる。
4) UBS銀行は今回の金融危機にさいし大きな痛手を受け、200810月、スイス政府から、60億スイス・フランの公的資金の注入ならびに720億スイス・フランにおよぶ不良資産の買取を受けた。
5世界的な影響を及ぼすことはなかったものの、アメリカ国内において生じた金融不安定性現象として重要なものにS&L危機(1990年前後)、ドット・コム・バブル (2001年頃。エンロンに象徴される) がある。
  6) この動きはイギリス当局者の認識とも符合するところであり、イギリスの動きは金融のグローバリゼーションを大いに進めるうえで寄与するところが大であった。そしてそれはイギリス経済の復権にもつながることになった。
  7) この前史として重要なものに1985年のプラザ合意がある。これは日本にとっては大きな試練になり、後年のその対応への失敗が90年代の「失われた20年」につながることになった。大幅な円の切り上げがG5による協調介入で実施された。政府は「到来する円高不況」に対処するため、多くの景気刺激策、金融緩和政策をとり、企業はロボットの導入による合理化を推し進めた。
 8) 中国はアフリカ大陸をはじめ、かつての欧米による帝国主義的な行動をとり続けている。
 9) 簡単にいえば、「不在化」とは、市場そのものが存在しない現象で、証券化商品が多層化していくなかで生じた。また「不透明化」とは、どこへも届出義務のない、そして営業活動を秘密裏に行えるヘッジ・ファンドが巨額のマネーを動かすようになった金融市場がそれを具現している。  
10) FedFDICOCCは独立した資金をもって活動しているこれにたいし、SEC CFTC予算制度になっており、議会の承認を必要としている。
  11) Tarullo [2013]を参照。
12) 1990年以来、ウォール・ストリート、不動産部門が議員に直接献金してきた総額は15億ドルになる (ロビー活動は含まれていない)
13もう1つ根本的な問題がある。ウォール・ストリートの構造改革はドッド=フランク法の目指すところではないという点である。その結果、構造的にはウォール・ストリートは政府のベイルアウトを受けて立ち直り、経営陣は何の刑事責任も問われるなく居座り、かつ経営統合を通じて巨大金融機関は一層巨大化している。そしてTBTFに基づくモラル・ハザードも健在である。
  14) Vickers [2011]を参照。   
  15) Wikipedia [2013] に依拠している。

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