2013年8月4日日曜日

金融規制改革はなぜ必要なのか


金融規制改革はなぜ必要なのか*
1. はじめに
5月20日、アメリカ上院で審議されてきた金融規制改革法 (「アメリカ金融安定回復法」[Restoring American Financial Stability Act of 2009])がついに可決された。年初より、落胆と望みが交錯する複雑な軌跡を描いた末の成果であった。3月に成立をみた健康保険改革法とならび、オバマ大統領が国内の制度改革の最重要課題として取り組んできたものである。
アメリカでは、金融規制改革法をめぐる激しい攻防が、民主党、共和党のあいだで、そして背後での激しいロビー活動を伴いつつ、展開されてきたが、(メイン・ストリートを尻目に)ウォール・ストリート自体はかなり以前に立ち直りをみせている(問題視されてきたのは、むしろ巨額に稼ぎ出されてきた利潤の性質とその配をめぐる点である)。
同5月、リーマン・ショックに匹敵するような深刻な金融危機がEUを襲った。当初生じた問題はギリシアの財政危機であったのだが、ユーロ首脳がその対処に手をこまねいているあいだに、事態はユーロ危機へと急速な展開を遂げたのである。ここにきてユーロ首脳は、ようやく重い腰をあげ、ギリシアへの総額1100億ユーロの緊急融資枠、ならびに同様の事態を防止するための(7500億ユーロの)「危機基金」の設立に合意をみた。彼らはあわせて、ヘッジ・ファンドやデリバティブの規制に向けても同意に至っている。ユーロ危機も、2008年9月に発生したリーマン・ショックが受けた衝撃が大きな原因である。メンバー国の多く (PIIGSがとりわけ注目されている) は経済的困難に直面するなか、財政政策によりそれに対処してきた(金融政策、外為政策はECBに委ねているから用いることができない)。その結果、これら諸国は財政危機に直面することになり、(こうした問題への対処策を講じたことのない) ユーロ・グループはユーロそのものの存立を問われる事態に陥ったのである。
 さて、アメリカでは、シャドウ・バンキング・システム(SBS)の廃止・縮小を目指す重要な制度的枠組みの構築に向けての画期的な一歩が踏み出された。EUでもユーロ危機への対処のなか、同様の方向への一歩が踏み出されようとしている。だが、いずれも(重要とはいえ)一歩が踏み出されたにすぎない。
いまのところ、金融のグローバリゼーションのもとで膨張してきたSBSは手付かずの状態におかれたままである。SBSが受けた打撃は、金融規制によるものではなく、金融バブルの爆走の崩壊によるもののみである(しかもウォール・ストリートのメガバンクはアメリカ政府によるTARP救済されたのである)。さらに問題なのは、EUはメイン・ストリートの回復への道筋がまったくみえない状況にあるし(超緊縮財政を余儀くされ、今後一層深刻なデフレに突き進んでいく可能性が高い)、アメリカもメイン・ストリートの回復への道は緩慢である(雇用に至っては、回復のきざしは依然としてみられない)。
 本稿では、現在進行中の金融規制改革について、いくつかの視点から探っていくことにする。最初に、アメリカの金融規制改革法案をめぐるこの2ヶ月の攻防1を紹介するとともに、法案の内容に言及する。続いて、金融規制改革の必要性、ならびにそれとの関連で「自由」と「市場」概念の再考の必要性について述べる。
2アメリカの金融規制改革法案
2-1 これまでの経緯
オバマ大統領は、就任以来、国内政策の最優先課題として、健康保険改革とならんで金融規制改革を掲げてきた。包括的健康保険法 (健康保険ならびに教育リコンシリエーション法については、困難な状況に追い込まれた大統領は、ロペシ下院議長との強力な協力関係を通じたリーダーシップを発揮することで、3月下旬に法案の成立をみていた。
金融規制改革構想は、オバマ大統領によって、2009年6月に発表された。その後、下院では12月にほぼ大統領案に沿うかたちでの金融規制改革法が可決された。だが上院では、1月のエドワード・ケネディ議員の死去とそれに伴う補欠選挙においてブラウン共和党議員が当選したことで、法案の推進派(ドッドやライド)は非常な困難に直面することになる。民主党単独では59票となり、共和党からの議事妨害(「フィリバスター」)を受けずに可決するには1票足りないからである。
この法案(以後、起草の中心者である銀行委員会委員長ドッド民主党議員の名をとり、「ドッド案」と呼ぶ)をめぐるその後の情勢は非常に複雑な軌跡をたどることになった。ドッドと協力関係にあったシェルビー(共和党)との決裂、さらにその直後に救済の手をあげたコーカー(共和党)との協議もやがて決裂を迎えることになり、3月末の時点では、法案の上院通過はほぼ絶望的という状況になったのである。
 だが4月に入ると、2つの大きな情勢変化が議会の外で生じた。第1は、証券取引委員会 (SEC) による、ゴールドマン・サックスが2008年に行ったとされるインサイダー取引をめぐる訴追である(ヘッジ・ファンドのポールソン社はCDO[Collateralized Debt Obligation]から売りで巨利を得たが、これインサイダー取引ではないかという嫌疑である)。第2は、メガバンクの好調な決算報告と、いまやおなじみになった巨額のボーナス支給の発表である。いずれも、依然として高率の失業率(4月は9.9%)に苦しむ大衆のウォール・ストリートにたいする怒りに油を注ぐものであった。
 同時期、意外な展開が上院農業委員会(委員長はブランチ・リンカーン民主党議員)から発生した。デリバティブ取引を規制し、それを株式などと同じように透明性を高めた市場取引にするという条項が通過したのである(以後、「リンカーン条項」と呼ぶ)。
 こうした事態が展開するなか、膠着状況を打開すべく、上院の民主党リーダーであるライドは、本会議での審議に入る動議を提出する。だがそれは3日間続けて否決された。ところが、である。4日目に状況に劇的変化がみられた。共和党が折れたのである。これは、上記のようにウォール・ストリートにたいする大衆の批判・怒りが高まるなか、ウォール・ストリートの代弁者という印象が強くなっていくことが、11月の中間選挙に悪影響を及ぼすと判断したからであろうと思われる。共和党の指導者マッコネルはそれまで、「法案案はかえって金融界の救済を前提としたものであり、事態の悪化を招くだけだから廃案にすべきである」、と述べていた。それが以降、表面的には世間の批判をかわすべく、金融規制の必要性を訴えるスタンスにするりと乗り換えたのである(その極め付けが、共和党の金融規制改革法案なるものの提示である)。
 こうして上院本会議での審議が始まった。リンカーン条項を加えたドッド案をめぐり、数多くの修正案が提出され、それらについて審議がなされ、逐一採決がなされていった。その多くは両党議員の圧倒的な賛成をもって可決されていった。
3週間続いたこの審議の後、ライドは審議終了動議 (cloture) を提出した。が、最初それは否決された(57票 対42票。3名の民主党員が反対に回った)。その大きな原因、リンカーン条項をめぐる民主党内部での対立であっただが、最終的には60票対40票で審議終了は可決された(同意には60票が必要)。共和党3名が賛成に、民主党が反対に回るという複雑な投票結果であった。
そして最後の判定が5月20日に下された。59票の賛成、39票の反対、2名の棄権という結果 (可決には50票が必要)であった。共和党議員4名が賛成に、民主党議員2名が反対に回り、主党議員2名が棄権、という複雑な投票構成であった。
 投票の直前、共和党のリーダーであるマッコネルは、この法案を激しく批判するスタンスに戻った発言(「金融産業の乗っ取り」発言))を行っていた。修正案審議での賛成は、かなり取り繕った行動であったことを示唆するものである(一時期、ドッドに理解を示していたシェルビー、コーカーも反対票を投じている)。
 今後の予定であるが、昨年12月に通過した下院案と上記の上院案を1つの法案にする「コンファランス」と呼ばれる調整・検討が行われ、その後、大統領の署名を待って晴れて成立となる。シンボリックな意味を込めて7月4日(独立記念日)での発表が予定されている。
2.2 主要内容
 紙幅の都合上、これらの法案の主要内容について、以下では上院案を中心にしながら、括弧書きで下院案との相違を記すというかたちでみていく。以下に明らかなように、それらはきわめて包括的・網羅的、かつ厳しいスタンスに立ち、SBSの解消、市場の「不在化現象」、「不透明化現象」の解消をめざすべく、金融システム崩壊を防止する枠組みの構築が提示されている。
(1) TBTF (Too Big Too Fail.大きくて潰せない)という考えを採らないことの明  
  記
  危機に陥った金融機関にたいする「秩序ある清算」過程の遂行 (下院案では2000億ドルの「清算基金」の設立を謳っている)
(2) 不動産ローンやクレジット・カードに関しての消費者保護
  FRB内に「金融消費者保護局」(Financial Consumer Protection Bureau)設置(下院案では、独立した保護局の設置。下院案ではこの監督から免除されるビジネスが多い) 
(3) ボルカー・ルール
  銀行の自己売買取引(proprietary trading)の禁止(下院案にはない)
(4) OTC [Over The Counter] デリバティブ規制(リンカーン条項)
  600兆ドル規模のOTCデリバティブを規制するもの。これらを可能な限り、透明性、リスク認識を高め価格競争を促進するため、取引所や清算所を通じて売買するようにさせる2(下院案では多くのエンド・ユーザーは適用除外になっている)。
(5) システミック・リスクの予防
  財務相をトップにした9名からなる委員会の設置(下院案ではFRBにより大きな権限が与えられている)。
(6) 銀行の監視体制
  資産500億ドル以上を有する銀行をFRBの監視下におく(下院案ではFRBとともにFDIC [連邦預金保険会社にも監督責務を残す)  
(7)経営陣の給与ならびに選出についての株主の権利
 株主に経営陣の給与ならびに経営陣の選出にたいし、ある権限を付与する(下院案では経営陣選出権限は弱く設定されている)。
(8) ヘッジ・ファンドの規制
 1億ドル以上の規模のヘッジ・ファンドにたいし、政府への登録を義務づける3(下院案では、1億5千万ドル以上。オフショア・ファンドのも登録を要請 [上院案にはない]。 
 (9) 証券化商品 (Securitized Papers) の是正
   組成者は証券化商品にたいし5%のクレジット・リスクを負うことが要請される。
(10) 格付け会社へのSEC (証券監視委員会)の権限強化
(11) FRBの監視
  危機に際してのFRBの緊急貸付に関して、貸付先を公開する責務を要請(下院にはない)。
3. 金融規制改革の必要性
3-1 なぜ必要なのか
なぜ金融に規制が必要なのだろうかこの点について簡単に述べることにしたい。
 現在の資本主義システムにあって、金融は必須であり、これなくして経済の円滑な運営、発展は考えられない。これは事実である。私たちは物々交換の時代に生きてはいない。経済取引は高度に分業が進展するなかで行われており、取引の一方には貨幣・信用が用いられている。
 問題は、金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係である。金融は、一般的な財やサービスと異なり、現在、中央銀行のみならず、金融機関にあっていくらでもただ同然で創出することが可能である。早い話、中央銀行が紙幣を輪転機で刷って、それ市中で財を大量に買い占めるために用いれば中央銀行はその財を市場から奪い取ることが可能である。例えばりんごが市場に1000個存在するとして、中央銀行がこの方法で700個を買って自分たちで山分けしたとしよう。その後、公衆が受け取った給料でりんごを買おうとするとき、中央銀行が買い占めていなかった場合に比べて300個しか購入できない。しかも数が減っているからりんごの価格は上昇しており、公衆は少なくなったりんごを入手するさいに、実質所得を減少させられてしまう。これはいわゆる一種の「強制貯蓄」である。
 金融のもつ1つの重要な問題はこれである。つまり、金融がだれからのチェックも受けない場合、その担当者は自己利益のために好き勝手なことをし、GDPからの受け取りを異常なまでに多くする、つまりは所得分配を歪める。だから、金融はそのあり方を間違えると、いびつな資本主義を生み出す。金融についていわれる自由化は、金融資本にとっての好き勝手な自由化をもたらす危険性が絶えず存在する
 いまの事例は寓話的であるが、本質を突いている。今回のメルトダウンは、まさに金融工学の名のもとに、証券の上に証券を作り、その上に証券を重ね、そしてさらにそのに証券を創造する、といういわゆる「証券の商品化」現象(私は「親亀・小亀・孫亀・ひ孫亀現象」と呼んでいる)の爆発によって生じている。この行為は、見方を変えると、GDPの分配率を意図的に自らに有利なものにする「レント・シーキング」的行為という側面をもっている。メイン・ストリートの発展に寄与するという金融本来の役割をないがしろにしているからである。
この間、膨れ上がった証券化商品は、どの政府機関の監督にもおかれずに、投資銀行ヘッジ・ファンドによるGDPぶんどり的行動に利用され、そのあげくのはてに経済システムの崩壊をもたらすに至ったのである。
 規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融機関が自由化の名のもとに2000年代に行ってきたことは自由の名をかたった「市場無視」市場の透明性の無視」という側面が強くみられる行為であった。金融市場に明確なルールの枠組みをつくることは、きわめて重要であり、それを放置すること金融の自由化と同一視するのは誤りである。自分勝手な行為、とりわけ「誤った」投機行動(例えば「裸のCDS [Credit Default Swap]」)が金融システムをきわめて不安定なものにしてきているが、これは金融自由化の美名のもとに暴走した無批判行動結果である。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場と透明性を無視した環境下での競争は、誰かが獅子の分け前を不当にせしめる行為につながる危険性が高い。
リンカーン条項にたいし、ウォール・ストリートは激しい抵抗をみせ、ロビー活動を展開している。それは政府による不当な市場への干渉である、と彼らはいう。しかし、リンカーン条項が主張しているのは、「市場のルールを順守せよ」ということである。それを保証するための枠組みとして、デリバティブ取引を株式市場のように、公正に、そして透明性をもったものにすべく監視するというものなのである。リンカーン条項は「デリバティブ取引の問題は、どこからの監視も受けず、したがって秘密裏に巨額の資金をレバレッジ手法をも用いながら、しかもOTC取引で遂行するという秘密性、不透明性が今回のメルトダウンの大きな原因である」という反省の上に成立している。私たちはあらためて「市場とは何か、市場とはいかにあるべきか」がここで問われている。
3-2 (再考を迫られる)「自由」概念と「市場」概念
1980年代以降、世界経済をいくどとなく襲ってきた金融危機、そして今回のサブ・プライムに端を発したメルトダウンは、ネオ・リベラリズムのもつ危うさと問題性を強烈に露呈させている。
資本主義経済は「自己責任のシステム」である、と声高に唱道されてきた。自らの責任で未来に立ち向かう、成功も失敗も自らの責任であり、政府に頼るべきではないし、政府は市場に干渉すべきではない。ネオ・リベラリズムはこう主張し続けてきた。
だが、現状はどうであろう。資本の短期移動が極端なまでに自由化され、 金融工学の勝利として「証券商品」の多層化が極端にまで進んだあげく、その先頭を走っていた多数の世界的金融機関が破綻してしまった。彼らは、金融工学のテクニックを駆使し、それに基づいて経営していることを誇りにしていた。多層化された証券化商品はその高度の技術に基づいて組成されてきた(はずであった)。しかるに、そのシステムが破綻に瀕するやいなや、政府からの莫大な公的資金を真っ先に要請・受け入れたのである (そして原理的大失態にもかかわらず、経営陣が解雇されるということはめったに生じてない。生じても巨額の退職金をせしめている)。
こうした事態が生じたことの一端は、「純粋な市場経済」を極端なまでに唱道したことに負っている。後先を忘れた自由化は、極端に短期的な投機行動を野放しにし、巨大資本ならびに大衆は一攫千金を求めるあまり、企業倫理・社会倫理を無視する行動を蔓延させることになった。 その行き着いた先が、「自己責任」原理の放棄と国家への救済要請である (巨額の公的資金を受けた企業の幹部が巨額のボーナスを自らに支払う、というスキャンダルがアメリカ社会を倫理的にもさぶっている。経営幹部はそれを「契約の履行」で正当化しており、ここに経営倫理の崩壊をみる)。
他方、サブ・プライム・ローンを組んで破産した大衆は住宅を差し押さえられ、ローンの支払いは残されたままの状態におかれている。彼らには、「自己責任」原理が押し付けられているのである。ネオ・リベラリズムは繁栄の大義名分のもとに貧富格差を拡大させてきた今回のメルトダウンにあっても、大衆は後回し状態におかれている。「市場に任せればいい、企業は自己責任原理で経営されている」とするネオ・リベラリズムは、現実を前に崩壊している。
  ネオ・リベラリズムがもたらした過失のなかでも重要なもの、それは、市場の「不在化現象」と「不透明化現象」4を推進させた点である。これは、市場を絶対視しながら、じつは市場を無視した行動をとっているという問題であり、いわば「市場」を隠れ蓑にした利己的行為である。市場を食い物にする偽善的・欺瞞的行為ともいえるであろう。
4. むすび
アメリカではようやくSBSの解消、本来的な市場の役割を重視した枠組み作りが1つの法律として成立する日が近づいている。またEUでも、ユーロ危機が発生するにおよんで、金融システムを安定させることをめざしてのシステム作りが、遅ればせながら始まっている。その意味で、いまは30年ぶりに訪れた資本主義システムの大転換期である。
 しかし、繰り返すが、これは大きな一歩であるが、一歩でしかない。SBSはリーマン・ショック後も野放し状態で今日に至っているうえ、メイン・ストリートの回復はアメリカでは緩慢であり、EUに至ってはめどが立っていない。先進地域の抱える経済的課題の解決はまだこれからなのである。
 本稿が明らかにしようとした重要な論点、それは「規制」が「自由」に反するかのような誤解への警告である。ネオ・リベラリズムが展開してきた「市場」や「自由」には自己矛盾的要素、もしくは「市場の不在化現象」や「市場の不透明化現象」を含んでいる。それらを解消し、本来の市場、本来の自由のあり方を問うこと、これがいまほど求められている時はない。
(* 多くの情報はインターネット上から得たものに基づいているが、煩雑を避けるため省略する。本質的に私的、だがある程度公開の、私のブログ [下記に掲載]を参照されたい。)
1) この法案がもつ歴史的意義、および3月頃までの状況については、本誌3月号の平井[2010]を参照。
2) 市場の「不在化現象」と「不透明化現象」の解消を目指すものといえる。
3) 市場の「不透明化現象」の解消を目指しているといえる。
4) 簡単にいえば、「不在化」とは、市場そのものが存在しない現象で、証券化商品が複層化していくなかで生じた。また「不透明化」とは、どこへも届出義務のない、そして営業活動を秘密裏に行えるヘッジ・ファンドが巨額のマネーを動かすようになった金融市場がそれを具現している。平井[2009]を参照。
参考文献
平井俊顕[2009], 「資本主義(市場社会)はいずこへ」『現代思想』5月。
平井俊顕[2010], 「金融の自由化と不安定性」『統計』3月。
平井俊顕ブログ「世界経済ウォッチング」
G.ソロス[2008], 『ソロスは警告する』(徳川家広)講談社。