ケインズ学会編、平井俊顕監修『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』作品社、2011年、284ページ
(作品社)
まえがき
戦後、「福祉国家」的思想(「ケインズ=ベヴァリッジ体制」)のもとで再開した資本主義は70年代中葉から自由放任主義的思想へと大きく舵を切り始めた。90年前後には社会主義体制の崩壊を迎え、この動きは一層加速度を増した。とりわけ「金融のグローバリゼーション」はそれを象徴する。この過程のなかで、「自由」は極端なかたちをとるに至り、一部の組織(とくに金融部門)にとっての自由のかたちをとるに至る。そのあげく、存在しない市場も市場として扱われ(多層化された「証券化商品」の頂上部分)、透明性は無視され不透明性領域が拡大していった。さらには自由化の名のもと、投機行為が野放しになり、資本主義は不安定度と不平等度を拡大させていった。さらに危機的状況が発生すると、真っ先に金融機関が政府によって救済されるも、彼らの経営責任は何ら問われないばかりか巨額のボーナス支給を継続させるというモラル・ハザードぶりである。
この「まえがき」を執筆している時点 (2011年10月中旬)で、世界経済は文字通り危機的状況に陥っている。2008年9月に発生したリーマン・ショックからすでに3年以上が経過するも、アメリカは高率の失業(そして記録的な長期失業者数)を抱えたまま、政治的なデッド・ロック状態に陥っている。ユーロ圏は2009年秋に顕在化したギリシア危機への対処に手をこまねいているうちにPIIGS問題へと拡大し、いまやユーロ危機の状況に陥っている。「金融システムの防禦と超緊縮政策の強要」、「独仏政府だけで決定されるシステムと両国政府の本国での脆弱性」という2つの顕著な対照性のなかで、ユーロ圏には激震が走っている。日本はといえば、2009年秋に発足した民主党政権はリーマン・ショックの激震に沈む日本経済を立て直すための積極的な経済対策を怠り、円高の進むなか産業の空洞化を顕在化させてきた(それに、世界的視点でみると、世界での日本経済のプレゼンスはこの20年間に著しい低下をみせてきた)。そこに2011年3月に福島原子炉の水素爆発という驚愕的な出来事が日本を襲うことになった。この問題は経済的な打撃ももちろんであるが、それ以前に長期にわたる深刻な社会問題 (除染問題、居住環境問題、健康問題、農漁業問題、食の安全問題など)を引き起こしてしまうことになった。
いつしか先進国資本主義経済は、どう舵取りをすれば経済を立て直せるのか、その方策を見失ってしまっている。財政政策は財政健全化の名目のもと止められ、金融政策はというと、政策金利のみで経済の繁栄を持続できるとした政策論はいまではすっかり効力を喪失、「量的緩和政策」(QE)を追加するも、その効き目はほとんど認められない。機能マヒに陥った資本主義をどうすれば立て直すことができるのか、回答をもち合わせている者は今どこにもいない。
こうしたなか、近年、1人の人物に大きな脚光が集まるようになった。ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)である。その大きな理由は、戦間期の混乱する世界経済にあって、大胆な経済理論・経済政策論を提唱したばかりか、世界システムの構築にも大胆な構想を打ち出し、既存の経済学や思想に果敢な挑戦を挑んだ人物だからである。本書が目指すのは、ケインズ・スピリットを尊重しつつ現在世界の経済と思想状況を検討することを通じて、何らかの光明を見出そうとする大胆な試みのささやかな一歩である。
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経済学者のなかで、その活動の多彩さと影響力の大きさの点で、ケインズを凌駕するものは絶えてない。「ケインズ革命」という名で知られる経済学・社会哲学上の現象は、この点を端的に表現したものである。だが、それでいて、それは彼の行動の一角を占めるにすぎない。
今日のマスメディアでは、表層的な一面、場合によっては戯画化されたケインズの一面が取り上げられがちである。ケインズが残した経済理論の構築、経済政策活動、社会哲学等の諸側面を照射する知的空間を創り出すこと、そしてそれを通じて現在世界を捕捉し、そのもつさまざまな困難の改善を目指していくこと - ケインズに注目することがいま私たちに要請されているのは、何にも増してそのためである。
彼の功績の紹介は本書の他所に譲ることにし、ここでは、ケインズが実行し、理論化し、設計したことが、今日の世界経済のあり方を考えるうえで、いかなる重要性を有しているのかにつき、具体的な事例をあげながら触れていくことにしたい。
経済理論・経済政策 - 「新しい古典派」による長年にわたるバッシングの後、(「ニュー・ケインジアンの理論」ではなく)「ケインズ自身の理論」に最近注目が集まっている。ここでは差し当たり、次の2点を指摘しておこう。
1つは、リーマン・ショック後の経済の深刻な悪化にたいし、「新しい古典派」が何の政策も打ち出せない状況下、オバマ政権が,明示的にケインズ的政策を唱導したという点である。「アメリカ復興・再投資法」はそれを象徴するものであった。同時期、EU、中国も同様の方針を打ち出しており、それらを象徴するのが、2009年4月のロンドンでのG20であった。
ところが、2010年6月頃から、ユーロ圏を筆頭に世界は「超緊縮財政」
という「有効需要の大削減政策」の道に踏み込んでしまい、世界経済は
悪化の一途を辿っている。景気刺激策は、共和党の政治家や「新しい古
典派」が喧伝するのとは異なり、規模が小さくかつしりすぼみで終わっ
てしまった点に問題がある。ケインズ的財政政策が無効であったというのは
実証的に論駁されている。いま必要なのは大胆な景気刺激策である。2011年9
月にオバマ大統領が「アメリカ・ジョブ法」の実施を訴えたのは、そうした方
向に沿うものである。
もう1つは、ケインズの理論には、資本主義システムを不安定性、不
確実性、複雑性に満ちたものとしてとらえる、という側面があり、この側面が、今回の世界経済の金融破綻を経験するなかで多くの経済学者の注目を集めたという点である。「リクイディティ・トラップ」、「美人投票」、「アニマル・スピリッツ」、といった側面を代表する概念が『一般理論』には存在しており、そうした側面に大きな注目が寄せられてきている。
ユーロ危機へのケインズの対応は? - 現在の世界経済は「第二のリーマン・
ショック」にいつ陥るかという問題で揺れている。その発生源は「ユーロ危機」
である。じつはこの問題を考えるうえで、ケインズの戦間期の活動は大いに重
要な視点を提供している。
ケインズは、第一次大戦で瓦礫と化したヨーロッパの再建案として『平和の
経済的帰結』で「石炭共同体」、「自由貿易同盟」、「保証基金」構想を、また第二次大戦の途上で、戦後ヨーロッパの救済・再建案として「中央救済・再建基金」を提唱している。何よりもこれらは「マーシャル・プラン」とも浅からぬ関係がある。それだけではない。1950年代にヨーロッパで採用された「ヨーロッパ支払い同盟」(EPU)はケインズの「国際清算同盟案」に大きなインスピレーションを得たものである。
これらのことは、現在のユーロ危機を考察するにさいして、彼が戦間期に行
ったことが参考になるというレベルではなく、2011年の現状を是正・打開していくうえで大いなるヒントを含んでいるという意味で重要である。
国際通貨体制 - 今日に至るまで国際通貨体制はドル本位制である。これは1940年代にアメリカ側の「国際安定化基金案」の変質したものである (1970年初期までは固定相場制であった) が、それと対抗して出されていたのがケインズの「国際清算同盟案」である。そこでは「バンコール」という中央銀行間の決済勘定システムを根幹にする国際通貨体制が唱道されていた。事実上のドル本位制でいまに至る国際通貨体制のもつ欠陥についてはいくども問題にされてきた。近年、国際清算同盟案がクローズアップされたのは、2009年、中国中央銀行が新たな国際通貨体制として言及したことによるところが大きい。が、ドルの権威が一層低落し、新興国家の経済力が大きくなるなか、現状のドル体制が維持できるはずもない。そうしたなか経済成長を阻害することのないこのプラニングは、今後の新システム構想において一層の注目を浴びていくことになるであろう。
一次産品問題 ― 現在の一次産品は激しい価格変動にさらされている。この背後にはそれらの市場が極端に自由化されたことと大いに関係がある。しかも現在ではそれらは「インデックス投機」の対象になっており、MMF、銀行、ヘッジ・ファンド、銀行などから巨額の資金が流れ込む事態になっている。いま必要とされているのは、こうした現状にたいし、ケインズの警告、立案がどのように生かされるかである。ケインズの生きた時代にも一次産品の激しい価格変動が生じており、彼はその解決策として「国際緩衝在庫案」を提唱していた。この提案は現代の野放図な自由化への警鐘となっている。
資本主義観 - ケインズは一貫して「自由放任哲学」ならびにそれに依拠する「自由放任経済学」を批判し、それに代るものとして「ニュー・リベラリズム」ならびに「貨幣的経済学」を提唱していた。市場による需給法則は資源の最適配分をもたらすという考えは現実を無視した想定に立っており、実際の資本主義社会では政府による調整が不可欠である、とケインズは考えている。「社会正義および社会的安定のために、経済的諸力をコントロールし指導することを意識的に目的」とする立場である。
だがこの30年間、世界を支配してきたのは「市場原理主義」や「ネオ・リベラリズム」である。政府による経済への介入は効率性を阻害し経済の発展を妨げるから、規制を可能なかぎり撤廃するように構造を改革すべきであるという思想である。この考えに基づいて金融の自由化が推し進められた。そしてその「やみくも」の自由化が今日の世界経済危機をもたらしたのである。
これらの「自由化」、「市場化」は「マネー・ゲームに狂奔する企業・個人の
行動の無条件的な是認」、「投機活動が実体経済を撹乱することの容認」、「格差の容認」、「福祉の切捨て」という価値観をもたらすことになった。資本主義社会のもつ病弊を鋭く指摘しその改革を求めたケインズ(ならびにロバートソン、ホートリー、ピグーなどケインズの同僚)の資本主義観は今後の資本主義システムの改革を考えるうえで大きな道しるべとなる。
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本書の概要を紹介しておこう。第一部、第二部、第三部は2010年12月12日に上智大学で開催された「ケインズ・パイロット・シンポジウム」そのものである (豪華な布陣をそろえたシンポジウムは、200名近くの熱心な参加者で大いなる盛り上がりをみせた)。
第一部ではケインズの経済理論・経済政策論の視点から「世界経済のゆくえ・日本経済のゆくえ」を、第二部ではケインズの経済思想・社会哲学・哲学の視点から「現代資本主義をどうとらえるのか」を、わが国を代表する研究者に自由闊達に語ってもらった。第三部「ケインズと日本の経済学の歩み」では、ケインズ研究をはじめ、多面的な活躍をされている伊東光晴先生に「私のケインズ研究」と題し若き日の学的状況を語っていただいた。
第四部「ケインズをとらえる視座」は、ケインズの活動を、さまざまな側面から照射すべく、国際的巨匠、第一線で活躍中の経済学者に新たに執筆を依頼し、それぞれの視点から自由にご執筆いただいた論考で構成されている。
最後に付論「ケインズとは何者か?」では、ケインズがどのような活動をした人物であるのか、また彼の主要著作はどのような内容をもっているのかが、簡潔に紹介されている。
本書は読者対象として、経済・社会問題に関心を寄せる、ビジネス・パーソンおよび大学生が念頭におかれている。本書が、ケインズならびに彼が提起している現在世界への提言に関心をもっていただく契機となれば、それに優る喜びはない。
本書は2011年5月に創設されたケインズ学会の企画として始まったものであるが、その構図は当初から定まっていたわけではない。作品社からの刊行が決定して以降、作品社編集部の福田隆雄氏との綿密な打ち合わせのなかで、徐々に現在のかたちに落ち着いた。この過程で発揮された氏の発意と熱意がなければ、本書をこのようなかたちにすることはできなかったであろう。改めて氏に謝意を表したい。
なお、本書にありうる編集上の誤りは、すべて監修者に帰すものであることは論を俟たない。
ケインズ学会「設立委員会」を代表して
平井俊顕
(2011年10月記)