2013年8月5日月曜日

混迷する今日の世界経済を前にケインズなら何を言い、どう行動しただろうか

混迷する今日の世界経済を前にケインズなら
何を言い、どう行動しただろうか
平井俊顕
ケインズは「今日」世界にとって、どのような意義を有する存在なのであろうか。つまり、彼が活動した時代に彼が投げかけたさまざまの領域におけるさまざまの提案が、私たちが生きる「今日」にあってどれほどの意義を有しているのであろうか。本稿で取り上げるのはこの問題であり、具体的には国際システムを対象に据える。
ケインズといえば、マクロ経済学や財政政策による経済の回復といった側面が専ら取り上げられてきた。これは彼の立論に賛成する者だけではなく反対する者も含めて然りである。だが、彼がだれにもまして優れた国際システムの構築者であったというは、(とりわけ経済学者のあいだでは)長きにわたって看過されてきた。そのため、現在の混迷する世界経済のあり方をめぐり、彼の提言が幅広い、かつ重要な意義をもつものであることも看過されてきている。本稿で取り上げるのは、まさにこの側面である。紙幅の都合上、とくに今日的意義の深い、ヨーロッパ危機、国際通貨体制、一次産品問題をとりあげてみたい。最初に、ケインズが世界経済システムをめぐる偉大なグランド・デザイナーであったことを述べたうえで、もしケインズが生きていれば何を言い、どう行動したであろうかを、戦後についても言及しつつ、今日の世界についてみることにしたい。彼は1946年に亡くなっているから、これは「もしも」の話になるが、それでいてかなりの信憑性のある話であることが明らかにされるであろう。
1.  2つのグランド・デザイン
世界経済システムの建て直しをめぐるケインズのグランド・デザイナーとしての才能は、第一次大戦直後および第二次大戦時に発揮されている。それぞれをみることにしよう。
1.1 第一次大戦後
第一次大戦は中途半端なかたちで終戦を迎え、イギリスを中心とする連合国側とそれを圧倒的な軍事力と経済力で支えることになったアメリカがリードするかたちで、戦後処理が検討された。これがヴェルサイユ講和会議である。大蔵省首席代表として同会議に出席したケインズはその進展状況に落胆し、その地位を辞し帰国するに至った。彼はその直後から講和条約を弾劾する著作の執筆を開始し、そしてそれを世に問うた。それが『平和の経済的帰結』(1919) ある。第7章「治癒策」は、ケインズの大胆で創造的なプランナーとしての面目が躍如である。すべての戦債の相殺を提案した後、彼は瓦解したヨーロッパ再建のため、次のようなグランド・デザインを提唱した。 
    
(i) 石炭共同体を再編して全ヨーロッパに石炭を供給・配分する一種の共同
システムを構築する。
 (ii) (イギリスを含む)「自由貿易同盟」を立ち上げる。
 (iii) ヨーロッパ再生のため「国際貸付」 食糧や原材料をアメリカか
ら得るための借款と「保証基金」からなる ― を実施する。後者は、
国際連盟加盟国からの拠出で設立される。それは一種の国際救済機関
であり、貨幣の全般的再編の基盤とる。

驚くべきことに、これは (第一次大戦ではなく第二次大戦後のヨーロッパが歩むことになる道を暗示している。石炭の共同供給・分配システムは「欧州石炭鉄鋼共同体」 (1952のプロトタイプ、「自由貿易同盟」は「ヨーロッパ共同体」(1967のプロトタイプである。「保証基金」は一種の国際救援組織であり、かつ一種の国際通貨システムのベースとみなされている後者は「ユーロ」の領域属する問題である
『平和の経済的帰結』が世界的なベスト・セラーであったことを考えると、以上に提案されたケインズのグランド・デザインがヨーロッパの救援・再建を考える人々に大きな影響を与えていたとしても、それほど不思議ではない。
1.2 第二次大戦後
以降、20年が経過したヨーロッパは安定した国際システムを構築することに失敗し、1939年、ふたたび壊滅的な打撃をもたらす戦争に突入していくことになった。
1940年、ケインズは、戦争状況から生じる特別な問題について蔵相を助け、アドバイスをるために設置された諮問会議の委員になった。爾後、彼は多岐に渡る重要な問題についてイギリス側から陣頭指揮をとっていくことになった。  
本稿との関連では、重要なのは戦後世界経済秩序の構築に関係する仕事である。ケインズはそれらのシステム構築に卓越した才能を発揮した。とりわけ次の3つの計画案が注目に値する。(i) 国際通貨体制案、(ii) 「中央救済・再建基金」と呼ばれる国際救済機関の設立案、そして (iii) 「コモド・コントロール」と呼ばれる国際緩衝在庫案である。
   
国際通貨体制案 ― ケインズは国際通貨体制のあり方をめぐり、若いときから批判的な意識をもって考察を続けていた。『インドの通貨と金融』 (1913) や『貨幣改革論』 (1923) における金本位制批判、さらには「チャーチル氏の経済的帰結」における再建金本制批判をあげれば十分であろう。
 そのケインズが、第二次大戦後の国際通貨体制として提案したのが「国際清算同盟案」である。国際清算同盟案は、本質的に、多角的な清算を同盟に設定された加盟国の勘定間で行うシステムである。国際取引はすべてこの勘定に「バンコール」と呼ばれる国際貨幣単位で記帳される。バンコールは国レベルの取引にのみ用いられる貨幣であるが、信用創造機能をもち合わせている (各国通貨は、バンコールとのあいだで交換レート [平価を設定する)。このシステムの最も革新的な点は、(i) バンコールが国際通貨になり、ドルもポンドもローカルな通貨になること、(ii) 世界経済の成長に合わせて信用創造が可能になること、である。勘定の相殺の後も、貸方 (借方が累増していく国にたいしてはペナルティが課され、それでもうまくいかない場合には、平価の切り上げ (切り下げ措置がとられる。国際取引の金融的舞台は清算同盟に集中することになるが、財・サービスの取引は民間企業の自由な活動に委ねられている。ケインズは、この案を、国内銀行業務では当たり前になっていることを国際的銀行業務に拡張しようとするもの、と特徴づけている。
 これに対抗する案がアメリカのホワイトによる「国際安定化基金案」である。これは本質的に、加盟国が拠出することで成立する「基金」であり、信用創造機能は備わっていない。加盟国には同意した自国通貨の平価を維持するため、外国為替市場への介入が義務づけられる。さらに、それはドルを事実上の国際通貨とするドル為替本位制であった。
 両案をめぐりブレトンウッズでの討議は白熱したが、交渉ホワイト案で合意をみるに至ったことは周知の通りである
 
「中央救済・再建基金」 ― ケインズは、危機に陥ったヨーロッパの救済・再建に深く関わった人物であ先ほど、第一次大戦で瓦礫と化したヨーロッパの再建案として提案された『平和の経済的帰結』第7章での既述の構想に言及したがここでは第二次大戦の途上で、戦後ヨーロッパの救済・再建案として提案された「中央救済・再建基金」構想を紹介しておきたい。
 この構想は、1941年秋に作成された「戦後ヨーロッパ救済の金融的枠組みに関する大蔵省覚書」と題する文書 (作成の中心人物はケインズため、以下「ケインズ案」と呼ぶに示されている。
  ケインズ案は、「中央救済・復興基金」(以下CRRFと略記の設立により救済を遂行すべき旨を謳っている。CRRFさまざまな国からの現金もしくは現物拠出に基づく共同基金の運営にあたる。そのさいの基本コンセプトは次の2点にある ― (i) CRRFが必要なすべての救済物資を集配する(それは、必要な物資をいかなる国からも公正な価格で購入できるとされている: (ii) CRRFは、受取国がどれだけを贈与として受取り、どれだけを支払うべきなのかを、何らかの原理に基づいて決定する。
  これらすべての取引は、共同勘定に記帳される。そしてCRRFがその規模を推定するために、次のような手続きが提案されている。一方は、連合国諸政府にたいし物資の必要量リストの提出要請、ならびに敵国、フランス、中国にたいする配慮であり、他方はCRRFが利用できる物量の推定である。さらに、贈与なのか、支払いを要求するのかを決定するための前提として、関係諸国の財務状況を調査する必要性が指摘されている。
  このような特徴を有するCRRFを創設しようとしたケインズの意図は、それが、様々な国が個々別々に現物援助を行う方法よりも優れている、と考えたからにほかならない
国際緩衝在庫案 - 第二次大戦前、一次産品価格は激しい変動を繰り返していた。ケインズは多数の一次産品の統計調査を実施してきており、その結果、それらの価格の安定化がいかにすれば達成可能なのかをめぐり考察を続けていた。それが具体的な政策の場提唱されたのが国際緩衝在庫案である。同案は、競争的市場制度は緩衝在庫を嫌うため価格の激しい変動を引き起こしており、それを防止し、生産者の所得を安定させるには「国際緩衝在庫」が必要、との基本的認識に立っている。一次産品の国際統制を行なう方法としては生産規制を目指す方法と価格の安定化を目指す方法があるが、生産規制は全般的な利益をもたらすことはないので、主として個別的ならびに全般的の双方における価格の安定化が目指されている。その中心的な構想が「コモド・コントロール」と呼ばれる国際機関の設置である。それは緩衝在庫を設け、その操作を通じて世界市場での需給の変動を吸収することにより、価格の安定化を実現することを目的にしている。この計画にはもう1つ、関係する生産者に適切な所得を保証することにより、彼らの生活を安定させるという目的があった。
2. ケインズなら何を言い、どう行動しただろうか
ケインズは戦後国際システムの構築に深く関与していたが、その展開をみることなく1946年に亡くなった。したがって以下に述べることはあくまでも「もしも」の話ではある。だが、それは空想的な話ではない。彼の生前の考え方、行動を勘案しながら、述べていくことにしよう。最初に、ヨーロッパの統合過程に言及したうえで、今日の混迷する世界経済を取り上げることにしたい。
2.1 ヨーロッパの統合過程
ヨーロッパの救済・復興計画が実施されたのは、「マーシャル・プラン」 (European Recovery Program) のもとであった。借款はアメリカ側の 「経済協力局」(ECA)からヨーロッパ側の「ヨーロッパ経済協力機構」(OEEC)を通じてシステミックに配分された。終戦直後の時期ですらヨーロッパの問題に関与するのを極度に敬遠していたアメリカだが、冷戦の始まりで自らの役割を自覚し、1949年以降、新国際秩序の西側のリーダーとして活動を始めたのであった。巨額の国際収支赤字、巨額の戦債に苦しむイギリスがリーダーシップをとれる時代は過ぎ去った。事実、マーシャル・プランの恩恵を最大限に享受したのは、他でもなくイギリスであった。
 さて、もしケインズが生きていて、マーシャル・プランの進展をみていたならば、彼はどのように行動したであろうか。一言で言えば、EUにまで至る過程に大きな貢献をしたマーシャル・プランは、『平和の経済的帰結』での3構想 (1.1(i)(ii)(iii))CRRF (1.2で言及の融合であるから、ケインズはおそらくはマーシャル・プランを受け入れたことであろう。マーシャル・プランの主要な設計者クレイトンやアチソンはOEECのプラニングや運営を指導したが、彼らはケインズとその構想においても親近性を有する友人であった。さらに、OEECのイニシアティブをとったのはアトリー内閣の外相ベヴィンであった。だが、世界の政治力学のなかでイギリスの地位にたいし彼はいかなる態度をとったのかは不明である。マーシャル・プランに認められる確かな特徴である大英帝国への配慮の欠如にたいし、ケインズはどのように反応したであろうか。実際のその後の進展 - イギリスの低落的傾向、米ソの台頭、そしてスエズ危機 - を考慮に入れるとき、マクミラン内閣がそうであったように、ケインズが大英帝国の解体を防ぐために何もできなかったことであろう。こうした状況やEECへのイギリスの参加へのドゴールの反対に直面して、ケインズはどのように感じ、どのように動いたであろうか。それは誰にも分からない。
2.2 ユーロ危機
2008年頃まではユーロ圏には好調な経済状況にある国がいくつあり、それはユーロに起因するという評価で溢れていた。ところが、2009年の秋頃ギリシアに財政問題が発生し、以後、ユーロ指導部が手をこまねいているうちに事態はいわゆる「PIGS問題」に発展、事態は一周縁国の問題ではなく、ユーロ・システムそのものの危機に進展して今日に至っている。これらについては、わたしも本誌でいくどか扱ってきた。
 ここでは、ケインズならユーロ・システムをどのように評価したであろうか、そしてユーロ危機にたいしてどのように反応したであろうか、だけをみることにする。
EPUに賛成したであろう- EPUは極度のドル不足の時代に、ケインズの国
際清算同盟案構想からの大いなるインスピレーションのもとにOEECによっ
て創設された。EPUは決済システムであるため慢性的な不均衡を防止するこ
とができ、さらに信用機能も備えていた。EPUは個々の中央銀行の独立性は保
たれているから、独自の金融政策ならびに外為政策を実施することができた。 
それゆえケインズは「ヨーロッパ決済同盟」(EPU. 1950-1958)をさぞかし支援し
たことであろう。
EPUに賛成したであろう- ケインズは自由貿易ゾーンとしてのECに賛成し
たことであろう。それがその地域の経済成長に寄与すると信じていたことであ
ろう(1.1で言及の「自由貿易同盟」を参照)
ユーロ・システムに反対したであろう- ヨーロッパでは通貨システムとして、
EPUの後、「欧州通貨協定」(EMA [1958-1972])、「ヨーロッパ通貨スネーク」(ECS 
[1972-1979]そして「欧州通貨制度」(EMS [1979-1998]) が採用された。これら
はいずれも、メンバー国あいだでの為替レートを安定させることを目的として
おり、清算機能や信用機能を欠いていた。
  ケインズはEPUからユーロ・システムへと至るプロセスに疑問を発し続け
たことであろう。そしてユーロ・システムを正しい方向への進化とはみなさなかったであろう。
   彼は次のように考えたことだろう。ユーロ・システムは致命的な欠陥を有し
ている。メンバー国は金融政策および外為政策を剥奪されている。唯一、自由
にもちうる政策は財政政策であるが、これはユーロ・システム防衛のために使
うことができないばかりか、超緊縮政策を(トロイカにより)強要されている
が、これは要するにデフレ政策である。こうしたことはユーロ・システムの崩
壊へと至ることであろう、と。
 ケインズが、こうした超緊縮政策に反対したことであろう。それは経済学から出てくる命題ではなく、一種のイデオロギー的信念ともいうべきものである。金融システムは、どのメンバー国も流動性不足に陥ることなく経済成長を達成することができるように構築されなければならない。そうした状況の出現を不可能にするユーロ・システムは根本的な欠陥を有している、と。
2.3 国際通貨体制
ケインズの国際清算同盟案に勝って、戦後世界の通貨体制をリードしたのはアメリカ側のホワイトによる「国際安定化基金案」であった。これは本質的に、加盟国が拠出することで成立する「基金」であり、信用創造機能は備わっていない。加盟国には同意した自国通貨の平価を維持するため、外国為替市場への介入が義務づけられる。さらに、それはドルを事実上の国際通貨とするドル為替本位制である。
 爾来、今日に至るまで国際通貨体制はドル本位制である。その間、1970年頃の「ドル危機」を契機に固定相場制から変動相場制へと大きく変わった ― これは「国際ノン・システム」 (non-system) とも呼ばれることがある ― が、ドル為替本位制は維持されている。そしてこの制度のもつ欠陥はこれまで多くの人々によって指摘されてきている。近年、ケインズの国際清算同盟案が大きくクローズアップされたのは、20094月に中国中央銀行総裁の周小川が、この案をドル為替本位制に代わる新たな国際通貨体制としてげたことによるところが大きい。ドルのもつ問題性は益々顕在化していくことが予想されるから、ケインズ案は継続的に論議の的になっていくことであろう。
  ケインズは、国際的な清算システムの手段により、各国が成長に必要な流動性を
確保でき、他方、国際的な不均衡(とりわけ特定の国が恒常的な黒字を続けるよう
な傾向)を防ぐことができるように構築されるICU案を唱道した。だからケイン
ズが、現在のドル体制という「ノン・システム」を批判し続けたであろうこと
は論を待たない。 
  ところで1990年代になると、金融のグローバルな自由化が急激に進められ、それともに世界の金融システムの不安程度が増していき、ついにはリーマン・ショックによる世界経済のメルトダウンが引き起こされるに至った。これは1920年代に同様の現象が生じ、それが引き起こした金融の不安定化が世界恐慌をもたらしたことの再現である。
 ケインズは、金融市場(ならびに商品市場)がこのようなカジノ・プレイの場と化すことに異を唱えた人であったことを想起するならば、彼がこの20年間にネオ・リベラリズムに支援されて展開された金融のグローバリゼーションに反対し続けたことは容易に想定できるであろう。

2.4 一次産品問題
ケインズによる既述の「コモド・コントロール」案は実現には至らなかったが、その後生じてきた国際的な一次産品問題に対処するさいに、絶えず参照にされてきたことはここで強調しておいてよいその代表的なものとしてUNCTADによって提唱された「コモン・ファンド」(1989がある。
 今日、一次産品第二次大戦前と同様に、激しい価格の変動に晒されるようになっている。この背後にはこれらの市場が自由化されたことと大いなる関係がある。 今日における最も重要な一次産品は原油である1970年代、その価格はOPECによって決定されていたが、いまではブレント原油市場とWTI原油市場で決定されている。しかも現在では、原油を含む多数の一次産品市場が「インデックス投機」の対象になっており、MMF、銀行、ヘッジ・ファンドなどから巨額の資金が流れ込む状況に至っている。これら金融の自由化 ― とりわけ「商品先物現代化法」(2000が決定的であった ― によって現出したものである。これにより一次産品市場が純粋に投機的要因によって激しい変動をみせるに至っているのである。
 いま必要とされているのは、こうした現状にたいし、ケインズの警告、立案をどのように生かすかという点である。「コモド・コントロール」案はこうした「現在」の市場の極端な自由化にたいする警鐘として鳴り続けている。
***   
以上の立論により、ケインズがだれにもまして優れた国際システムの構築者であり、その考察・立案は混迷する現在の世界経済のあり方をめぐり、じつに幅広い、かつ重要な意義をもつものであるという私の主張の一端は明らかにされたものと思う。
 最後に、ケインズが最も情熱を注いだ救済・再建の対象たるヨーロッパの現況を付論として述べることにする。
[付論ユーロ危機の行方
トロイカは超緊縮政策をPIIGSに強要しており、それを受け入れないかぎり、一切の支援を拒否するという姿勢をあらわにしている。そして「フィスカル・コンパクト」をメンバー国が憲法に書き入れることすら要求している。
 この頑なな法律的イデオロギーは何であろうか。「支援」はベイルアウトであり、ECBによる無制限の貸付ならびに国債の買い支えである。これらはいずれも金融システムの擁護・保護・強化のための政策である。他方、各国の財政政策執行権は剥奪され、トロイカの超緊縮政策が強行され国民の生活を塗炭の苦しみに追い込んでいる。
 自由奔放な金融政策を許容する一方で、頑なな超緊縮財政政策を押し付ける、という非対称的な政策がとられている。メンバー国には金融政策もなければ外為政策もない、財政政策も許されていない。いわば、経済政策手段をすべて剥奪された状況のもとで、トロイカの指令下におかれるという事態が常態化している。これにメンバー国の国民がいつまで耐えられるのか、これが今後の大きな問題であ
 ギリシアはとに限度を超えている。アイルランドは「フィスカル・コンパクト」をめぐる国民投票がまもなく実施され、これが否決される可能性は低くない。ポルトガルは最も危機的状況にあり、第2のベイルアウトが囁かれている。スペインで改正労働法が実施され、ただでさえ異常な失業率がさらに上昇している。イタリアも、モンティ内閣の超緊縮政策がどこまで実現されるのか疑問の声があがっている。
 反対陣営に目を向けてみよう。そこにも現在のユーロ体制を脅かす要素が少なからず存在する。フランスではサルコジ大統領選に敗北する可能性は、世論調査結果によるとほとんど確実である。決選投票でオランドに敗れる可能性が高い。あまり注目されていないが、メルケルも重要な地方選挙を控えており、そこで敗北する可能性がある。その場合、ヘタをするとその政治基盤が瓦解する可能性がある。強硬なPIIGS批判の先頭に立ち続けてきたオランダも「フィスカル・コンパクト」を実現できていないことが明らかになっている・・・。
 
<関連文献>
『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』作品社、2011年  『エコノミスト』、『週刊東洋経済』、日本経済新聞、東京新聞などでの紹介
『ケインズ100の名言』東洋経済新報社、2007年  名言によるケインズの紹  
  介
『雇用と商品』 (ケインズ全集 第27巻。立脇和夫氏との共訳東洋経済新報社、1996年  救済・再建、一次産品関連の資料を収録