2013年8月6日火曜日

『ケインズの理論』




平井俊顕 『ケインズの理論』東京大学出版会、2003年、857ページ

以下には「謝辞」「序」「目次」を掲載しています。
  

謝辞



 本書の中核を形成する構想は、1980年代中葉にさかのぼることができる。それを書籍のかたちで公刊したのが、本書の前身ともいうべき『ケインズ研究  『貨幣論』から『一般理論』へ』(東京大学出版会、1987)である。
 その後、ケンブリッジ大学のヴィジティング・スカラー(198710-19883)としてイギリスに滞在中、同書の英訳を行う機会があったが、その作業中に、より広い視座に立ち、かつより詳細に、ケインズの理論的・思想的展開過程を論じる必要性を感じるに至った。以降、そのような方針のもと、関連するさまざまな領域についての研究を進めていくことに努めた。その作業は、当初考えていたよりも、相当大がかりなものとなり、それが原因でいくどか行き詰まり中断を余儀なくされることになった。思いもよらぬほどの時間を費やすことになったのは、そのような事情とも関係している。そして、ようやくいま本書のかたちで刊行することにになった次第である(前著との関係は、序章第3節で言及する)
 このような次第で本書は長い期間に及んでいるため、非常に多くの方々の恩恵をこうこうむっている。まず、旧著があって本書が存在するという関係があるから、謝意は旧著から記すのが妥当である。
 旧著について、根岸隆教授(東京大学名誉教授)からは、計画段階、初校段階、そして刊行に至るまで貴重なコメントをいただくことができた。()早坂忠教授(東京大学名誉教授)主宰のケインズ研究をめぐるワークショップ(1982-1984)への参加を許されたことは相当に刺激的であった(その成果は早坂編(1986)として刊行されている)。加藤寛孝教授(創価大学)、長谷田彰彦教授(東京学芸大学名誉教授)ならびに玉垣良典教授(専修大学名誉教授)、白井孝昌教授(北海道大学名誉教授)、浅野栄一教授(中央大学名誉教授)からも、いろいろな機会にコメントをいただき、また議論を交わすことができ、旧著の完成にさいして大いに有益であった。専修大学勤務時に同僚達(中村秀一郎教授、吉岡恒明教授、正村公宏教授、鶴田俊正教授、中島巌教授、平川東亜教授、宮本光晴教授、原田博夫教授等)ともったいくつかの研究プロジェクトからも、多くのサジェスチョンと刺激を得ることができたのは、今となっては懐かしい思い出である。
  ハーコート教授(ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジ)、およびライムズ教授(カナダ・カールトン大学)からは、(英文での)旧稿をお読みいただき、貴重なコメントと改善へ向けての激励をいただくことができた(この英文の存在証明は、スキデルスキー教授のJohn Maynard Keynes - The Economist as Saviour 19201937(Macmillan, 1992) 'Unpublished Papers' に掲載されていることで、かろうじてなされている)()安井琢磨教授(大阪大学名誉教授)からは、旧著をお読みいただき賞賛の手紙をいただくことがあったが、このことは望外の喜びであった。久武雅夫教授(一橋大学名誉教授)からは、長年にわたり暖かい激励のお言葉をいただいてきており、このことは、この研究を継続していくうえで大いなる支えとなった。
 旧著の刊行後、同書にたいして多くの刺激的で啓発的な議論ならびにコメントをさまざまな機会に与えて下さった以下の方々に謝意を表したい  明石茂生教授(成城大学)、池尾愛子教授(早稲田大学)、池田幸弘助教授(慶応大学)、小原英隆講師(明治大学)、柿本和夫教授(千葉大学)、瀬地山敏教授(京都大学)、原雅彦教授(明治大学)、藤井賢治助教授(青山学院大学)、渡会勝義教授(早稲田大学)、八木紀一郎教授(京都大学)。また、経済学史学会、金融学会、経済理論史研究会等での報告のさいに、受けたアドバイスならびにコメントも有益であった。
 ケインズの理論的業績ならびに政策立案家としての活動についての私の議論を拡張していくうえで、経済学史学会での同僚と取り組んだ2つのプロジェクトが有益であったことを記しておきたい。これらは平井・深貝編(1993年。これは実質的に早坂忠教授に捧げるものであった)、および平井・野口編(1995年。これは根岸隆教授に捧げたものである)。また立脇和夫教授(早稲田大学)と共同で行った『ケインズ全集第27  雇用と商品』(東洋経済新報社、1993)の翻訳作業からも得るところが大きかった。またライムズ教授の編集になる『ケインズの講義  1932-35年』の翻訳作業(東洋経済新報社、1993)からも得るところが大きかった。さらに、西沢保教授(一橋大学)、服部正治教授(立教大学)、栗田啓子教授(東京女子大学)を中心に進められた2つのプロジェクトへの参加(その成果は西沢・服部編(1999)、および西沢・服部・栗田編(1999)として公表されている)からも、大きな刺激を得ることができた。
 本書の原形は、科学研究費(1994-1996)の助成を得て行われた研究に基づいている。このプロジェクトを完成させるうえで、勤務先の上智大学から与えられた在外研究(19978-19989月。Institute of Historical Researchに籍をおくことにした)はきわめて貴重であった。風呂敷を広げすぎたため、渡英前もかなり長い中断状態に追い込まれていたからである。自由な時間がもてたことで、全体をまとめることが可能になったのは幸運であった。その成果は『科学研究費研究成果報告書』(No.06630010, pp. xxx+74719988)として発表し、また'A Study of Keynes's Economics (I-)', Sophia Economic Review, December 1997-March1999としても発表している。その後、少なからぬ改訂作業を行ったが、本書はそれらをもとにしつつ、相当な改訂・増補のうえ、新たに日本語書籍としてまとめられたものである。
 上記英文論文について、幾人かの研究者から貴重なコメントをいただくことができた。とりわけ、オブライエン教授(ダーラム大学[イギリス])からは、幾度にもわたり、詳細なコメントをいただき、感謝の念に堪えない。ピーデン教授(スターリング大学[イギリス])、グローネヴェーゲン教授(シドニー大学[オーストラリア])からも貴重なコメントをいただくことができた。
 また経済学史学会での発表や相互交流を通じて、有形・無形の刺激を得ることができたことにたいし、同学会に謝意を表したい。上智大学の経済学部大学院での討議、ならびに経済学部でのゼミ・講義(それは主として市場社会観もしくは社会哲学をめぐるものであった)は、自らの考えを深め、広げることに大いに役立った。参加した学生諸君に感謝する次第である。さらに、私が主宰している小さな研究会「市場社会をめぐる研究会」と「ケインズ・セミナー」での、若手研究者を相手にした徹底した討論も、新鮮な刺激を与えてくれている。参加研究者に感謝の意を述べたい。
 以上、多くの方々からいただいたコメントは、本書の至るところで考慮されている。
もとより、本書に含まれるあらゆる誤りは、筆者の責に帰するものであることはいうまでもない。なお、本書で用いられている引用については、翻訳書がある場合には、できるだけ参考にしているが、本文の論調に合わせるために自ら訳したり、あるいは変更を加えたりしているものも少なくないことをお断りしておく。また引用ページは原則として原書のページ数(p., pp.表示)である。訳書の場合は、「ページ」表記を用いている。
 本書は平成14年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費。課題番号145246)の助成を受けている。これがなければ、本書が公刊される日がいつになったのは、まことに定かではない。本書の出版にさいしては、東京大学出版会編集部の黒田拓也氏に大変お世話になった。本書のような大部なものを縮小することなく、そのままの状態で出すのを勧めてくれたのは、ほかならぬ氏である。また、校正過程にあっては同出版会の池田知弘氏の非常に優れた校正― 形式面はもとより、相当程度内容に入っての指摘―により、草稿段階に比べ大幅に改善させることができた。両氏に心から謝意を表する次第である。
 もとよりこの研究に至らぬ点が多々あることは、著者自身自覚している。研究はまだ半ばである。不十分な点は、現在進行中の研究プロジェクト「戦間期の経済理論、経済政策論、社会哲学の相関的探究―「ヴィクセル・コネクション」を中心として」(科学研究費補助金[基盤研究((C)(2)。課題番号13630017]、ならびに共同研究プロジェクト「ケンブリッジ学派の多様性とその展開―思想、理論、政策の複合的研究」(科学研究費補助金[基盤研究(B)]。代表:西沢保教授[一橋大学])等を通じて明らかにされていくことを望んでいる。
 本書の編集作業は、直前に黒坂大次郎博士(慶應大学病院)のおかげで視力の回復したことが、精神的にも肉体的にも大いなる力となった。そうでなければ幾倍ものエネルギーを要する仕事になったことは確実である。
 最後に、私事にわたり恐縮であるが、本書を両親である平井俊次=貞子に捧げることをお許しいただきたい。
                                                 2002322

(神宮の森をみやりて詠む)
トンネルを 抜けて瞳に 桜花かな

著者記





序章 ケインズの理論
  複合的視座からの研究  

1. ケインズ

 本書は、20世紀前半の主導的な知識人ケインズを取り上げ、その経済理論の変遷過程を明らかにすることを中心的な課題としている。その際、理論家ケインズを複合的視座から捉えるべく、一方でケインズの経済政策活動、社会哲学(市場社会観)等についての検討を行うことに、他方でケインズに先行する時代、ならびに同時代の経済学の状況、それにケインズの生きた時代のイギリス経済・世界経済の状況についても注意を払うことに、努めた。
 ケインズの活躍した時代は、第一次大戦で瓦解した「パックス・ブリタニカ」を回復させようとする努力が、結局のところ挫折してしまい、世界は安定したシステムを回復させることなく混乱と分裂の度合いを深めつつ第二次大戦に突入していく、という時代である。こうした時代状況にあって、ケインズは経済学者、経済政策立案家としてつねに最前線に立ち、新たな経済理論、経済政策論、ならびに新たな世界システムを次々に提唱していった。その多くは常に注目を浴び、同時代の指導的な経済学者と多くの論争を展開していくことになった。
 ケインズは、パックス・ブリタニカの崩壊から第二次大戦に至る期間に登場した、疑いもなく最も大きな影響力をもった経済学者であり政策立案家であった。死後も、『一般理論』(1936)を通じ、その後のマクロ経済学、経済政策論、ならびに社会哲学の領域で「ケインズ革命」と呼ばれる深甚なる変革を引き起こしていくことになった。彼の影響力は、20世紀の第3四半期を通じて圧倒的であったので、この時期が「ケインズの時代」と呼ばれるのも、けだし当然といえよう。
 本書では、ケインズの理論的進展過程を、諸著作、諸論文、諸草稿、講義ノート、論争的書簡などの詳細にわたる検討を通じて、解明していく。とりわけ『貨幣論』(1930)から『一般理論』に至る彼の知的な旅程を構成する理論的形成の過程に検討の中心がおかれる(『貨幣改革論』(1923)から『貨幣論』に至る過程にも、相応の検討は行われている)。これらの検討を通じ、ケインズの理論的進展過程を1つの理論仮説として提示すること(そして、副次的に、それが従来の諸研究と比べどのような特徴を有するものなのかを示すこと)が中心的課題として目指されている。
 1970年代以降、ケインズの理論的進展過程を明らかにしようとする研究は、『ケインズ全集』の刊行や「ケインズ・ペーパーズ」のマイクロフィルム化等により、原資料に容易に接することができるようになったこともあり、急速な蓄積をみることになった。にもかかわらず、筆者のみるところ、『貨幣論』(193010)から『一般理論』(19362)にかけての複雑な進展過程を綿密に、そして客観的に追跡した研究は、それほど多くはないし、また豊かともいえない。
 その原因は、研究者の眼前に広がる既存のケインズ理論理解(しかもそれは多様なスペクトラムを有している)という壁である。各研究者は、意識的・無意識的に有しているケインズの経済学にたいするヴィジョンから、諸資料を読み、そして与えられた濾過装置を通じて諸見解の取捨選択を行っているという現状である(この点についての本書のスタンスは第5節で述べる)

2.執筆構成  本書の概要

 本書の構成に触れることにしよう。本書は全部で(序章を含めて)17の章と4つの補章からなる。
 第1章‐第3章は、ケインズの理論的進展過程を理解するにさいし有益と思われる経済学史的背景、ならびに経済史的背景を示すために設けられている。
 第1章「イギリス経済の相対的衰退」では、19世紀末から戦間期にかけてのイギリス経済の変遷が国際経済のコンテクストで描かれている。
 第2章「新古典派経済学の興隆」は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての経済学の展開が描かれている。ここでの議論のための基本的フレームワークは、経済学は実物経済学  翻って、実物経済学の歴史はプルートロジー(富の理論)とキャタラクティクス(交換の理論)のタームで描くことができる1  と貨幣的経済学のあいだの相克としてみることができる、というものである。古典派経済学の時代は圧倒的にプルートロジーの時代であった。この時期、キャタラクティクスが存在していたことは、今日、知られてはいるが、当時の主流派の経済学からは、ほとんど  セリグマンの言葉を借りると ―「忘れられた」存在であった。他方、貨幣問題は当時にあって最も白熱した論争を引き起こすものではあったが、得られた理論的成果といえば貨幣数量説だけであり、貨幣的経済学の樹立が試みられることはなかった。このことは、ヘンリー・ソーントンの偉大な業績がほぼ100年間忘れられていた2という事実が雄弁に物語っている。
 翻って19世紀後半は、新古典派経済学が支配的な経済学になっていく時期  もっとも新古典派経済学は今日に至るまで強固であり続けている  として特徴づけられる。第2章では、その指導的な経済学者であるマーシャル、ワルラス、フィッシャー、カッセル、ヴィクセルの理論(合わせて、マーシャル的伝統に属する景気変動理論としてピグー、ラヴィントンの理論)を取り上げる。
 第3章「ヴィクセル・コネクション」では、ヴィクセル(の「累積過程の理論」)に始まり、異なる学派に属する多くの経済学者(ミュルダールやリンダール[ストックホルム学派]、ミーゼスやハイエク[オーストリア学派]、そして『貨幣論』のケインズやロバートソン[ケンブリッジ学派])によって展開された貨幣的経済学の流れ(これを「ヴィクセル・コネクション」と呼ぶことにする)を追う。本章は、ケインズの思考の進展過程をとらえようとするわれわれの努力において重要な位置を占めている。経済学者としての彼の出発点は、ヴィクセル・コネクションに求めることができるからである。

 第4章‐第5章は、経済学者、政策批判者、政策立案家、そして社会哲学者としてのケインズの諸活動を検討することに当てられており、ケインズ(の考え)を広い視座から理解するうえで不可欠となる背景が示される。
 第4章「ケインズの生涯」では、経済学者、ならびに政策立案家としての側面に焦点が合わされ、第5章「ケインズの市場社会観」では、社会哲学者としての側面に焦点が合わされている。1920年代中葉、ケインズは、市場社会の本性を()道徳性と経済的効率性のディレンマとみており、道徳的見地から市場社会に厳しい批判の目を向けていた(だが1930年代以降、そのディレンマは漸次的に解決が可能と論じるだけではなく、さらには、市場社会をその道徳性の見地からすら積極的に評価するようになっていく、という小さい変化が認められる)。ケインズは生涯を通じて、市場社会のなかに出現した組織の成長・進展を通じ、その欠点が漸次的に改善されていく、と堅く信じていた。
 ケインズの理論的進展は、理論経済学の世界の展開からと同様、現実世界の出来事からも大きな影響を受けている。彼は、有効需要の理論というかたちで貨幣的経済学の理論を開発し、そしてその基礎に立ちつつ、戦間期を特徴づける大量失業という難題を解決するための経済政策を唱道した。そしてそれらは、彼の社会哲学である「ニュー・リベラリズム」と密接な関係にあった。それは、経済の秩序ある機能を保つために政府の賢明な介入の必要性を主張する見解3であり、19世紀のレッセ・フェールに対峙するものであった。ケインズはたんなる経済学者ではなかった。経済政策問題への彼の関与は、第一次大戦前に始まり、晩年に至るまで継続するものであり、イギリス政府の政策形成に多大の影響を与えるものであった。晩年には、イギリス政府を代表してアメリカとの数々の交渉に当たり、戦後世界の秩序構想に、その具体的な提案を通じて重要な貢献をしたのである。

 第6章‐第17章は本書の中核を形成するもので、『貨幣改革論』(1923)に始まり、『貨幣論』を経て『一般理論』に至るケインズの理論的変遷過程が分析されている。うち第6章をのぞくと、『貨幣論』から『一般理論』に至る理論的変遷過程に分析の焦点がおかれている。
 このような分析には2つの中心的な課題が横たわっている。第1は、『貨幣論』(分析の出発点)および『一般理論』(分析の終着点)の理論構造についての解釈を提示するという課題である。第2は、理論的進展過程の個々の段階に焦点を合わせて、関連する諸草稿を検討・解釈するという課題である。
 研究者に直面する問題は、この2つの課題は、ある程度独立であり、ある程度依存的である、という点である。かなりの程度、第2課題の成果は、第1課題の成果に依存してくる。ケインズの主要著作について何らかの明確な枠組みをもつことなしに、第2課題を遂行することは困難である。だが翻って、第2課題の遂行を通じて得られる知見により、第1課題についての理解は変更を迫られたり、あるいはより確実なものにされたりする可能性が生じる。第1課題は、たいていの場合、ケインズの主著のみを対象に作り上げられてきたものであるが、第2課題はほとんど未着手の状態におかれているといえよう。だからこそ第2課題を遂行する価値も存するわけで、この作業を通じ、第1課題における「定説」に、修正や変更が加えられる可能性が生じてくる。
 と同時に、ケインズの考えの複雑な展開を追究するさいに  問題の性質上、細々とした資料を扱っていかなければならないので ―、太き道を見失わないように注意していかなければならない。4かくして、ケインズの理論的変遷過程の追究は、複雑で微妙な知的作業を伴う。第6章‐第17章は、こうした相互依存的(行きつ戻りつの)作業の成果として得られたものである。
 第6章「『貨幣改革論』から『貨幣論』へ」では、『貨幣改革論』(1923)から『貨幣論』(1930)に至る理論的進展過程が扱われている。ここでは、『貨幣改革論』について、それがどのような理論と政策を提示したものなのかを、「基本方程式」と「購買力平価説」を中心に、また『貨幣論』については、その閉鎖体系と開放体系の理論・政策を「基本方程式」を中心に、述べる。続いて、「時論の先行」(『貨幣改革論』の刊行後、ほどなく彼の時論は変化をみせ、『貨幣論』で展開される世界を先取りするものになっているという点)を明らかにされたうえで、経済理論家ケインズが、『貨幣改革論』の刊行後、どのような理論的変遷を経て『貨幣論』に至ったのかのが検討される。
 第7章「『貨幣論』」では、『貨幣論』の理論構造が詳細に検討されるとともに、(3章で論じた)ヴィクセル・コネクションとの比較が行われる。『貨幣論』の理論的フレームワークにおける最も重要な特徴は、「ヴィクセル的理論」と「ケインズ固有の理論」との併存にあるという点が、論じられる。「ヴィクセル的理論」は、自然利子率と貨幣利子率との関係というタームで経済の変動を説明しようとするものであり、「ケインズ固有の理論」は、消費財の価格水準を決定するメカニズム、投資財の価格水準を決定するメカニズム、ならびに前期に実現した利潤に基づき今期の産出量が決定されるメカニズムにより、経済の動学過程をモデル化したものである(その後のケインズの理論的展開過程を理解するうえで重要なのは、「ケインズ固有の理論」であることが、本書では強調される)
 第8章「『貨幣論』の持続期」では、『貨幣論』の刊行後から1932年の中頃までを扱う。この期間を通じ、『貨幣論』のうち「ケインズ独自の理論」が維持されているという点が、本章で最も強調したい事項である。この点は、われわれが「TM供給関数」と呼んでいるところの、『貨幣論』にみられる産出メカニズムの重要性をケインズが繰り返し強調していることにより確証される。
 第9章「質的転換」では、『貨幣論』の世界から『一般理論』の世界への、ケインズの思考の質的変化  1932年の末頃に生じたと考えられる  が扱われる。草稿「貨幣的経済のパラメーター」は、この期に執筆されたもので、この章の中心的な検討対象である。この草稿は、財市場のシステムが、投資と貯蓄の均衡を意味する同時方程式のかたちで定式化が試みられるとともに、流動性選好の理論が提示されているという意味で、『一般理論』に向けての最初の1歩を告げるものといってよいであろう。ここにおいて実質的に、TM供給関数はその役割を喪失しており、超過利潤とTM供給関数を用いた動学的モデル構築は棄却されている(だが、この段階で、ケインズはTM供給関数を完全に捨てているわけではない)
  また1932年のミカエルマス講義(その内容は、受講した学生たちの手になるノートから知ることができる)からも、ケインズのスタンスのシフトが確認できる。なお以降(9章‐第14)学生ノート(1932-1935)は大いに利用していくことになる(これらのノートについては、ライムズ教授の次の2つの編纂に負っている ―『学生たちのノート』(1988)および『ケインズの講義:1932-1935  代表的学生のノート』(1989)s)
  10章「新しい雇用理論を求めて」では、本書で「準TM供給関数」ならびに「準TM供給関数mk2」と呼ぶことになる概念をケインズが用いている点に、焦点がおかれている。これらは、TM供給関数とは本質的に異なるものだが、ケインズ自身は継承的にみている(これらの概念をそのように命名したのは、ケインズの思考におけるこの幾分混乱した特徴を表したかったためである)
 現代経済学にたいするケインズの最も重要な貢献は、過少雇用均衡の理論を樹立した点に求められる。このことは、主として財市場の領域でなされており、そこでは『貨幣論』と『一般理論』のあいだに、理論的連続性は認められない。両著の中間期に、この領域での理論がどのように変っていったのかを理解する1つの鍵は、ケインズがTM供給関数をどのように扱ったのかを追跡することである。このことは、TM供給関数  それは『貨幣論』における財市場の本質的要素(供給サイドの経済学および動学的分析)を具現している  の棄却が『一般理論』に向かう最も重要なステップの1つだからである。換言すれば、TM供給関数の棄却は、1932年の半ばまで維持されていた理論的枠組みに重要な変動を引き起こしたということである。『一般理論』を構成する主要な要素― 消費理論、投資理論、流動性選好理論等  はこの基本的な変動(これは主として、ケインズが「ケンブリッジ・サーカス」と交わした議論の成果であった)に合わせて考案されていった、といってもよいであろう。
 第10章では、1933年に執筆された3つの草稿が検討される。草稿「貨幣的経済のパラメーター」は終着点ではなく、『一般理論』に向けての「転換点」であった。ケインズは、1933年の「第1草稿」で初めて、雇用水準決定についての理論を定式化した。この定式化は『一般理論』の第3章で提示された「有効需要の原理」のプロトタイプであり、そこでは「会計期間」というフレームワークのもとで、財市場における需要サイドが、消費関数とともに、初めて陽表的に論じられている。1933年の「第2草稿」および「第3草稿」では、有効需要は「可変費用を超過する予想売上高」のタームで定義されている。本書で「準TM供給関数mk2」と呼んでいるのはこれのことで、均衡雇用水準の安定条件と解することができる。
 第11章「投資理論および消費理論の確立」では、2つの「日付不明の草稿」に焦点が合わせられている。現存する草稿に関するかぎり、ケインズが基本的心理法則および乗数理論を初めて定式化したと思われるのは、「日付不明の第1の草稿」においてである。また『一般理論』の投資理論に近いものを初めて定式化したのは、「日付け不明の第2の草稿」においてである。これらの草稿は、1933年の末、もしくは1934年の前半に執筆されたものと推定されるが、この段階で、ケインズは『一般理論』の理論構造を構成するほとんどすべての要素を用いて、雇用水準決定の理論を築いていた。それゆえ、1933年の末には、本質的に『一般理論』の状態に達していた、といってよいであろう。
 第12章「生誕前夜」では、1934年の春に執筆された草稿「一般理論」、ならびに1934年の夏に執筆された、その第8章および第9章の改正版を含む草稿(これを「夏の草稿」と呼ぶことにする)を検討する。草稿「一般理論」では、すでに「日付不明の草稿」に明白であった消費理論および投資理論の確立が認められる。と同時に、1933年の3つの草稿においてみられた、有効需要の概念と雇用水準の決定理論における不整合性が依然として認められる。
 話はこれで終わるわけではない。第1に、有効需要や雇用関数のような主要概念の定義が、『一般理論』に至るまでに数度変更されている。それゆえ、これらの概念のさらなる変化を明らかにする必要がある。このことは、本書の目的  『貨幣論』から『一般理論』に至るケインズの理論的変遷過程を、途中での理論的混乱状態をも含めて、明らかにしていくという目的  にとって重要である。
 ここで注意を払うべき2つの追加的な問題がある。第1は、各々の草稿とそれに先行する草稿との異同点を明らかにする作業(いわば前方比較)であり、第2は、後続の草稿との異同点を明らかにするという作業(いわば後方比較)である。これらの検討は、『貨幣論』ならびに『一般理論』についての理解に依存するところが大きいのは、事の性質上、当然であろう。
 『貨幣論』については、第7章で述べたとおりである。また『ケインズ『一般理論』の再構築』(1981。以降、『再構築』と呼ぶ)で、『一般理論』の財市場メカニズムを詳細に検討し  いくつかの理論的不整合性を指摘しながら ―、 その再構成を試みたが、この理解は、本書での諸草稿の分析に、ある程度は反映されている。例えば、第12章での草稿「一般理論」の検討において、消費理論および投資理論の領域において、『一般理論』ほぼ同じ理論的フレームワークが提示されていることを認めるとともに、有効需要概念の曖昧さや若干の理論的不整合性を指摘している点である。
 第13章「『一般理論』の校正過程(1)」、および第14章「『一般理論』の校正過程(2)」では、それぞれ、1934年の夏から「初校ゲラⅢ」に至る期間、および本書で「大改正」と呼んでいるものから刊行に至る期間に分けて、『一般理論』の校正過程が検討されている。これら2つの章では、『一般理論』の生成について、実質的な側面のみならず、形式的な側面にも注意が払われている。実質的な側面についていえば、雇用関数の進展、および有効需要、投資、主要費用といった基本的な概念の進展に特に注意が払われている。
 第15章「『一般理論』」での目的は、いうまでもなく『一般理論』の理論的構造を明らかにすることである。『一般理論』には2つの顕著な特徴が認められる。第1に、それは市場経済を2つの対照的な様相を有するものとみている  一方で安定性、確実性、単純性であり、他方で不安定性、不確実性、複雑性である。第2に、それは不完全雇用均衡を論じた貨幣的経済学である。
 経済学の歴史についてのケインズの立場をみた後(ここでは、『一般理論』がヴィクセル・コネクションとは識別されるものであることが論じられる[双方とも貨幣的経済学ではあるが])、『一般理論』の理論構造ならびに「ケインズ革命」の本質がいくつかの角度からの検討が行われている。
 第16章「『貨幣論』から『一般理論』へ」では、『一般理論』の中核を形成する諸命題がどのような変遷過程を経たものかが検討されるとともに、『貨幣論』の理論構造と『一般理論』の理論構造の直接的な比較が行われている。
 ケインズの理論的変遷過程は、『貨幣論』と『一般理論』のあいだに執筆された草稿類の検討なしには、正確にとらえることはできない。そして検討の途次、変遷過程における連続性と断絶性を、その都度、識別していかなければならないという困難な作業に直面する。さらにまた、ケインズの考えの変遷過程を全体的な視点に立って、各段階での連続性と断絶性についてのケインズ自身の評価の適切性を評価していかなければならないという同様に困難な作業に直面する。
 第17ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開では、『一般理論』に関連するこれまでの諸見解(『一般理論』自体の解釈とケインズの経済学の展開過程についての解釈の双方を含む)、ならびに(『一般理論』との関連での)戦後のマクロ経済学の展開が扱われている。

 以上の本論の他、4つの補章が用意されている。補章1ケインズのイギリス経済分析  主要経済データの比較検討では、ケインズが統計データに非常な関心と情熱を示し、またそれを正確にとらえていたことが、戦間期の状況の数値的描写とともに示される。
 補章2ケインズの雇用政策  政策における「ケインズ革命」をめぐって」、ならびに補章3「福祉国家システムの構築  ベヴァリッジとケインズ」では、政策立案家ならびに戦後世界システムの構築者の1人としてケインズがはたした多くの貢献の一例として、それぞれ、雇用政策問題、「ベヴァリッジ報告」が取り上げられる。これらは、戦後の社会経済システムとして知られる「ケインズ=ベヴァリッジ体制」の当初の含意を明らかにするという点でも、またケインズの思想の最終的局面を理解するうえでも、重要である。最後に、補章4「『貨幣論』の数学的定式化」が第7章の補論としておかれている。

3.前著との関係

 「謝辞」で触れたように、本書の直接的な前身は、1987年に刊行の『ケインズ研究  『貨幣論』から『一般理論』へ』(東京大学出版会)である。本書とこの著作がどのような関係にあるのかを示すため、(細かい点はさておき)主要な変更点を記すことにしよう。
 A. 新しい検討領域

 旧著にはなかった新しい検討領域は以下の通りである。
 (1) 19世紀後半から1920年代にかけての経済学の状況描写。
 具体的には新古典派経済学の興隆、ならびに「ヴィクセル・コネクション」が扱われている。ケインズの経済学が生まれる前段階の経済学の状況を記すこと、そしてそれとケインズとの関係を明らかにすることが目的である。新古典派経済学は第2章で、「ヴィクセル・コネクション」は第3章で、それぞれ主題的に論じられている。
 (2) ケインズの社会哲学。
  前書では議論はケインズの経済理論に限定されていた。だが、経済理論の前提には社会哲学が存在する。ケインズがどのような社会哲学を標榜していたのかは、彼の経済理論を理解するうえで重要であるのみならず、彼の社会哲学自体が大きな影響力をもつものであったという事実からも、検討に値する。第5章「ケインズの市場社会観」が該当章である(因みに、拙著『ケインズ・シュムペーター・ハイエク』(ミネルヴァ書房、2000)では、「ブルームズベリー・グループ」や「若き日の信条」等の関連するテーマが扱われている)
  (3) 政策立案家ケインズ。
  ケインズは、インド省入省の頃から現実の経済問題に深い関心と才能をみせていた。本書では、第二次大戦の勃発時から死に至るまでの期間に、彼が展開した政策立案活動に焦点が当てられている。関連する章は、補章2「ケインズの雇用政策」、および補章3「福祉国家システムの構築」である。補章2は、『一般理論』刊行後のケインズ、ならびに彼の周辺で展開された雇用政策をめぐる重要な論争過程(それは有名な『雇用政策白書』に結実する)を扱っている。また補章3は、福祉国家システムの原型となった『ベヴァリッジ報告』にたいし、ケインズ達がいかに関わったかを扱っている(第二次大戦時の政策立案家としてのケインズの活動は、きわめて広範囲におよんでいる。前掲書『ケインズ・シュムペーター・ハイエク』では、「救済問題」と「一次産品の国際規制案」が取り上げられている)
 (4) イギリス経済の歴史的位相。
  ケインズは、覇権国家としての大英帝国、そして世界システムとしての「パックス・ブリタニカ」が激しく揺さぶられ、歴史の波に翻弄されるなかで、ついには崩壊していく時代に、自らの活動を通じて参画した、文字通りこの時期を代表する知識人である。彼の考えには、絶えずイギリス、そしてイギリスを中心とした世界システムの擁護と、それを無限の力で脅かすアメリカへの警戒という問題がつきまとっていた。そのため、彼の生きた時代の歴史を示しておくことは、ケインズの理論・思想を理解するうえでも、必要である。該当章は、第1章「イギリス経済の相対的衰退」、第4章「ケインズの生涯」、補章1「ケインズのイギリス経済分析である。
 (5) 『一般理論』の検討。
 前著では紙幅の制約もあり、終着点である『一般理論』の検討を、以前に刊行の『ケインズ『一般理論』の再構築』(白桃書房、1981)に委ねるかたちになっていた。だが、『一般理論』そのものについての、より忠実な理解を提示しておかないと、ケインズの理論的変遷過程を主題とする著作においては、画龍点晴を欠くことになるであろう。第15章「『一般理論』」はそのために設けられている。
 (6) ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開。
  本書の主要な目的はケインズの諸著作、諸論稿、諸草稿についての著者な理解を提示することにあるが、それをより明快にするには、これまでになされてきた諸研究、ならびに諸解釈との距離を確かめ、そしてそれらに本書での視点から評価を行っておく必要がある。「ケインズ解釈」はそのために設けられている。また「戦後マクロ経済学の展開」は、きわめて簡単にではあるが、ケインズの経済学と戦後マクロ経済学の展開との関係を振り返ったものである。第17章「ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開」が該当章である。

 B. 同一対象での新たな論点
 旧著と同じ対象をカバーしている残りの諸章(6章から第14章、および第16)での新たな論点を記しておこう。

 (i) ミカエルマス学期でのケインズの講義。
 ケインズはケンブリッジ大学で講義を行っていたが、その講義内容は、確立された理論を教えるというものではなく、むしろ自らが構築しようとする理論を、その形成途上のまま、伝えようとするものであった。そのため、1932年から1935年にかけての講義内容は、『貨幣論』から『一般理論』にかけての彼の理論的進展状況を探るうえでの格好の研究資料になっている。ライムズ教授により編纂された、ケインズの講義ノートに基づき、そこからの情報が適宜取り入れられている(因みに、この作業は、『ケインズの講義 1932-1935年― 代表的学生のノート』(東洋経済新報社、1993)の翻訳作業とも関係がある)
 ()『貨幣改革論』から『貨幣論』にかけての進展過程についての新たな検討。
 これは、第6章「『貨幣改革論』から『貨幣論』へ」で主題的に取り上げられている。
とりわけ、第4節の諸目次を利用した推測的検討は深められており、『貨幣改革論』から『貨幣論』への推移の問題が、「時論の先行」をキー・ワードに扱われている。
  ()『貨幣論』についての説明の詳細化。
 とりわけ、ケインズがその当時の諸理論にたいしどのような見解を抱いていたのか、そして『貨幣論』は他の「ヴィクセル・コネクション」とどのような関係にあるのかの検討がその中心である。第7章「『貨幣論』」の第1節および第5節が該当個所である。

 以上のほか、近年展開されてきた、この分野での諸研究について、本書の視座をも考慮に入れつつ、論究することに注意が払われている。それらは第17章の第2節「ケインズの経済学の展開をめぐる諸解釈」を除くと、すべて該当個所の脚注に散布されるかたちで配置されている。

4.主要な結論

  最後に、本書での主要な結論を、要約的に示しておこう。

 (1) ケインズが利潤と産出量との関係をどのように扱ったのかという点に注目することは、きわめて重要である。『貨幣論』では、この関係は「TM供給関数」というかたちで動学的メカニズムを表すものとして強調されていた。多くの批判にもかかわらず『貨幣論』の刊行後も、ケインズはこの関数の重要性を強調していたが、1932年の末頃になると、いく分の躊躇をみせながらも、それを棄却するに至り、『一般理論』につながる財市場体系についての新しい定式化を提示していくことになった。
(2) 『貨幣論』は、ミュルダール、リンダール、ミーゼス、ハイエク等を含む「ヴィクセル・コネクション」に属する著作である。本書では、「ヴィクセル・コネクション」を、正統派である新古典派経済学を批判し、それに対峙する貨幣的経済学を唱道する経済学者ととらえている。
   だが、『貨幣論』には「ヴィクセル的理論」と「ケインズ固有の理論」の2つが存在する。『貨幣論』刊行直後から、ケインズは「ヴィクセル的理論」を捨て、「ケインズ固有の理論」の維持・改善に努めた。
  本書は、『貨幣論』後のケインズは、「ヴィクセル・コネクション」から離れていったとみており、その結果、『一般理論』は「ヴィクセル・コネクション」とはまったく独立したものになっている、と考えている。
(3) 『貨幣論』と『一般理論』には次のような共通点が存する  (i) ともに貨幣的経済学に属しており、正統派たる新古典派経済学に対峙する立場にある。(ii) 諸価格および産出量は内生変数として扱われている。(iii) 金融政策と財政政策の重要性がともに強調されている(ケインズは生涯を通じて、経済をコントロールするうえでの利子率政策の有効性を信じていた)
(4) 『一般理論』の革命的性格は、明晰なモデルの提示を通じ、市場経済が自由に放任されるならば不完全雇用均衡に陥ることを示した点にある。そのモデルは、(ポスト・ケインズ派や「不均衡経済論的」ケインズ派等の主張とは異なり)均衡分析をもとにして、雇用量がどのように決定されるのかを示そうとしたものである。雇用量がどのように決定されるのかのモデルを、ケインズが提示するようになったのは1933年になってからのことである。その後、彼は、有効需要概念、資本の限界効率概念、流動性選好理論を改良していくことで、そのモデルを精緻化することに努めた。本書では彼のこの努力の軌跡が、可能なかぎり追跡されている。同時に、本書は、『一般理論』では、市場経済が2つの対照的な可能性  一方で安定性、確実性、単純性、他方で不安定性、不確実性、複雑性  を有するものとして描かれている、という点を重視している。

5. 補論:方法論的覚書

  いうまでもないが、経済学史的研究はできるだけ客観的なものであらねばならない。だが、このことが容易に実行できると考えるのは早計であろう。われわれは、誰が何を、いつ、どこで書いたか、といったようなきわめて単純な事実から離れるやいなや、意識的であろうと無意識的であろうと、われわれのもつ価値判断や価値前提といったフィルターを通してしか「現実」をみることはできない。このことはわれわれの研究課題に本性的に内在するものであるがゆえに、いかに客観的であろうと努めても、われわれの仕事から主観的要素を完全に除去することは不可能である。
 われわれにできることといえば、できるだけ公平にみるということであるが、これ自体、実にデリケートで困難な作業である。このことがまた、ある偉大な経済学者の理論・思想についての解釈のスペクトラムが非常に幅広いものとなる理由でもある。5容易に予想できることだが、当該経済学者のおよぼした衝撃が大きいほど、スペクトラムは広がりをみせることになる。さらに、解釈の範囲は、社会的、政治的、および経済的条件の変化に応じて相当な変動を蒙るというのもまた事実である。ある解釈はかなりのあいだ支配的であるかもしれないが、事態の変化とともに、全く異なる解釈に取って代わられるということもある。さらには、影響力のある経済学者は、しばしば、自らの考えにたいする支持を取りつけるために、伝統理論を自らの好み・趣向に合わせて縫製し直すことがある。そうした知的行為が経済理論の歴史には充満している。
 こうした知的影響力のもとで、経済学史家は、さらに2つの圧力  すなわち、現在の解釈およびこれまでの解釈の影響力  のもとで、自らの研究を遂行し、そして個々の文献について自らの解釈を示していかなければならない。ケインズ研究の場合、こうした制限は相当に強いように思われる。
 研究者は、市場経済についての自らの見解を、その時時の支配的な経済思想・経済理論から影響を受けながら作り上げている。そのこと自体は疑いもなく有益なことであるが、その結果、しばしば、過去の理論は、イデオロギー的なバイアスのかかった視座から光を当てられることも多く、結果的に経済学の歴史についてのわれわれの理解を歪めてしまうという事態も生じてくるであろう。
 どのような視座から研究がなされるべきなのか  とくに、歴史的アプローチをとるのか、非-歴史的アプローチをとるのか(すなわち、歴史的な理論をそのオリジナルな状況のなかで解すことに努めるべきなのかいなか)  というのも、また非常にデリケートな問題であるが、本書で採用しているのは前者である。すなわち、本書では、ケインズの理論をそのオリジナルな意味でとらえることに重点がおかれている。とはいえ、このことは、理論化がわれわれの論議において意味をもたないとか、場所をもたないとか、いう意味ではない。理論化は、ケインズの書簡、草稿、著作、論文等を整合的に理解することを可能にするうえで、不可欠で重要な知的作業である。そのうえで、このアプローチはまた、現在主張されているケインズの経済学をめぐる理解のなかに重要な誤りをみいだしたり、あるいはその正しさを補強したりするうえで有益であることを、ここで強調しておきたい。
 いずれにせよ、何人も自らが採用するアプローチが課すディレンマに直面して、かなりの知的緊張下に、不断に、そして不可避的に曝される運命にある。本書での論述がどの程度客観的なものであるのかいなかは、読者諸賢の判断に委ねる他はない。


  1)「キャタラクティクス」は、例えば、ホエィトリー、J.S.ミル、ミーゼス、ハイエク、ブキャナン(正確にはミーゼス、ハイエクは「キャタラクシー」を用いている)等によって、用いられてきている。「プルートロジー」は、イギリスに関するかぎり、最初に用いたのはW.ハーンであったが、それはキャタラクティクスと同じ意味であった。それを富(=国民所得)の生産、成長および分配を目的とする経済学という意味に変換させたのは、Hicks(Latsis ed., 1976, pp. 214-215)である。ここでは、ヒックスの分類に従っている。
  2) 『一般理論』の先行者、そして貨幣的経済学者としてのジョプリンに光を当てた研究にO'Brien(1993)がある。
  3) この思想の根底を流れる社会観は、しばしば「ハーヴェイ・ロードの前提」と呼ばれる(Harrod, 1951)。宮崎(1980)は、ケインズの社会哲学は1925年頃に変化を遂げており、この呼称は不適切と述べている。この点をめぐっては、早坂(1982)、西部(1983)、塩野谷(1983)を参照。
  4) 例えば、パティンキンの言明(Patinkin = Leith eds., 1978, pp. 125-126)を参照。
  5) 『一般理論』の刊行後、多数の指導的な経済学者が、その中心的なメッセージをめぐり、自らの理解を表明してきた。この点については、Gordon (1970)を参照。経済学はどのように構築されるべきかという点についての見解の分裂とは別に、同一のテキストにたいして示す解釈に、明確で幅広い分裂が認められるという事実は、社会科学のもつ特性を考察するうえでも、非常に興味深いものがある。本書第17章第1節で、以上の問題が取り上げられている。



   


ケインズの理論
     
 複合的視座からの研究 



目次


 謝辞

  序章 ケインズの理論  複合的視座からの研究 
 
       1. ケインズ
             2.  執筆構成  本書の概要
             3.  前著との関係
        A. 新しい検討領域
        B. 同一対象での新たな論点  
             4.  主要な結論
       5. 補論:方法論的覚書


  第1章  イギリス経済の相対的衰退

        1. 世界の工場
       2. 相対的衰退
 A. アメリカおよびドイツの産業化
 B. 革新技術採用の遅れ
 C. 企業者精神の弱体化
  3. 戦間期
 A. アメリカ経済
 B. イギリス経済
 C. 国際金融危機

 第2  新古典派経済学の興隆

1. 1870年代  1880年代のヘゲモニー争い
2. マーシャルの時代
    A. マーシャルの業績
    B. マーシャル的伝統
3. 新古典派経済学の支配
    A. ワルラスとフィッシャー
          B. カッセルとヴィクセル

 第3章 ヴィクセル・コネクション

1. 市場経済をめぐる対立的見解
       2. 批判的見解
            A. ヴィクセル
           B. ミュルダールとリンダール
           C. ミーゼスとハイエク
           D. ロバートソン
             3. 若干の代表的な理論
             A. ヴィクセル
            B. ミュルダール
             C. ハイエク
                 D. ロバートソン
                 E. ホートリー
         4. 補論  貨幣的経済学者としてのカッセル


 第4  ケインズの生涯

             1. 経済学者の形成
         2. 第一次大戦
             3. 1920年代
             4. 1930年代
             5. 第二次大戦

  5  ケインズの市場社会観

             1. ケインズの基本的なヴィジョン
                 A. 1920年代
                 B. 1930年代および1940年代
 2. 市場社会のメカニズム
A. 自由放任主義の社会哲学・経済学批判
B. ケインズの社会哲学

  6 『貨幣改革論』から『貨幣論』へ

 1. 『貨幣改革論』
            A. 理論と政策
             B. 基本方程式
         C. 購買力平価説
D. 論評―「基本方程式」
 2.『貨幣論』
                 A. 閉鎖体系
                 B. 開放体系
             C.『貨幣改革論』と『貨幣論』の比較・対照
 3. 『貨幣論』的世界の出現
A. 1924  時論の先行
B. 現実世界についての『貨幣論』の分析
C.『貨幣論』の世界と『一般理論』の世界
.補論  1930-40年代におけるケインズの低利子率政策の唱道
   4.『貨幣改革論』から『貨幣論』へ  諸目次による推測的検討
A. 諸目次の検討
B. 検討結果

 第7章  『貨幣論』

 1. それまでの諸見解にたいするケインズの批判的評価
A. バンク・レート
B. 投資と貯蓄をめぐるケインズの理解
     C. 貨幣数量説にたいするケインズのスタンス
 2. 『貨幣論』の理論構造
A. 基本的な想定
B. 市場メカニズム
C. 投資理論
D. 貨幣理論
E. 消費理論
F. 信用循環の理論
G. 短期と長期
H. ヴィクセル的理論
 3. 2つの問題
A. 基本方程式の評価
B.  3つの二重性
 4. 主要な概念
A. 利潤
B.TM供給関数」
 5.『貨幣論』と他のヴィクセル的理論との比較対照
A. 異同の度合い
B. スペクトラム

  8章 『貨幣論』の持続期

 1. 19316月‐1932年初頭
A. 19316
B. 1931920日付手紙と2つの草稿
 2. 草稿「生産の貨幣的理論」
         A. 短期分析
          B. 長期均衡  不完全雇用均衡
           C. 産出水準にたいする投資の関係
         D. 流動性選好理論の起源
          E. 草稿「生産の貨幣的理論」の位置づけ
 3. ケンブリッジ・サーカスからの批判(19325)
              A. 193252日の講義
           B.ケンブリッジ・サーカスの批判 ―「マニフェス            ト」と書簡
   4. ホートリーの経済学と彼のケインズ批判
  5.  2つの目次(1932)
      A.鬼頭仁三郎との書簡
    B. 2つの目次 
6.補論 1932年中頃のケインズの思索状況

 第9章 質的転換

 1. 草稿「貨幣的経済のパラメーター」
A. 積極的な要素
B. 評価
C. 不完全性 ―「モデル2
 2. 1932年のミカエルマス講義
                A. 中心的な内容
        B. 時系列的分析
 3. カーンの貢献
    A.  2つの予備的考察
      B. カーンの影響
 4. マルサスとケインズ
                A. マルサスの理論
        B. ケインズの見解

 第10章 新しい雇用理論を求めて

 1. 第1草稿
A. 有効需要の原理に通じる最初の方程式体系
B. 「会計期間」
 2. 2草稿
     A. 「準TM供給関数mk2
        B. 体系の安定性に関する示唆
C. 第1公準の承認
D. 財の異質性
        E.  2種類の期間概念
F. 2公準の拒絶
 3. 3草稿
   A. 有効需要
         B.「企業家経済」
        C. 「古典派経済学」の欠陥
 4. 3草稿の評価
 5. 1933年の3つの目次の比較
          A. 第1草稿
   B. 2草稿
   C. 3草稿    


 第11章 投資理論および消費理論の確立

 1. 1933年のミカエルマス講義
         A. 核となる内容
                B. 時系列的分析
 2. 日付不明の2つの草稿
        A. 「日付不明の第1の草稿」
        B. 「日付不明の第2の草稿」

  12  生誕前夜

            1. 草稿「一般理論」
        A. 「有効需要」と雇用理論
        B. 消費理論
        C. 投資理論
        D. 若干の他の基礎概念
        E. 目次
            2. 「夏の草稿」
        A. 「有効需要」
           B.  雇用理論
        C. 「夏の草稿」と『一般理論』のあいだの関係
       3. 1934年のミカエルマス講義
        A. 核となる部分
        B. 時系列的分析

  13章 『一般理論』の校正過程(1)

            1. 校正過程の概観
            2. 前初校から初校ゲラⅢまで
            A. 前初校
        B. 初校ゲラⅠ(第1章‐第19)
          C. 初校ゲラⅡ(20章‐第25)
                D. 初校ゲラⅢ(26章‐第28)

  14章 『一般理論』の校正過程(2)

1. 「各校正ゲラに共通の目次」の第2章、第3章、および第6      - 9
 E. 「大改正」
  F. 「切り換え」
2. 1935年のミカエルマス講義
  A. 核となる部分
  B. 時系列的分析
 3. 形成過程
 A. 『一般理論』を構成する主要理論の生成経緯
 B. 『一般理論』各章の進展過程

  15章 『一般理論』

 1. これまでの経済学者にたいするケインズの見解
 A. 「古典派経済学」批判
 B.「新古典派経済学」(=「ヴィクセル・コネクション」)批判
 C. 擁護された理論
 2.  不完全雇用均衡の貨幣的経済学
A. 中心的な特性
B. 理論モデル
 3.  ケインズ革命の本質
A.『貨幣論』と『一般理論』の関係
B.『一般理論』の本質
C.『一般理論』のいくつかの構成要素をめぐる解釈にたいするコメント
D. 経済政策
E. 経済学の歴史における『一般理論』の位置

  16章 『貨幣論』から『一般理論』へ

 1.『一般理論』の主要命題の生成経緯
A. 一貫して持続している命題
B. 途中でかなりの変貌を遂げている命題
C.『一般理論』の成立近くになって誕生し(ないし採用され)ている命題
                D. 動力因
 2. 『貨幣論』と『一般理論』の直接比較
   A.『貨幣論』と『一般理論』の関係―2つの見解
   B.直接比較 

 第17章 ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開

 1. 『一般理論』理解のスペクトラム
A. ケインズ派
B. 反ケインズ派
 2. ケインズの経済学の展開をめぐる諸解釈
A. レィヨンフーヴッド
B. メルツァー
C. ディマンド
D. アマデオ
 3. 『一般理論』と戦後マクロ経済学
A. ケインズ派マクロ経済学
B.  新古典派マクロ経済学


            *******************

  補章1 ケインズのイギリス経済分析  主要経済データの比較検討

 1. 物価指数
 2. 生産指数
 3. 国民所得
 4. 失業率
 5. 貨幣量
 6. 利子率
 7. 政府収支
 8. 国際収支
 9. 帰結

 補章2  ケインズの雇用政策  政策における「ケインズ革命」をめ                                 ぐって

.戦費調達論』(1939 1941年度予算
2. 戦後見通しの楽観論と悲観論 生産性と失業率をめぐっ                                 
3.ミード(経済部)vs. ヘンダーソン(大蔵省)
4.ミード(経済部)vs.イーディ(大蔵省「戦後雇用に関            する運営委員会」と『雇用政策白書』

 補章3 福祉国家システムの構築  ベヴァリッジとケインズ

1.「ニュー・リベラリズム」
              2.戦間期の社会保障立法
              3.『ベヴァリッジ報告』の策定過程  ケインズ達による援護
              4.『ベヴァリッジ報告』(194212)と『社会保険白書』(1944                   9)
                    A.『ベヴァリッジ報告』
                    B.『社会保険白書』

 補章4 『貨幣論』の数学的定式化

       1.モデル
   A. 消費財部門
B. 投資財部門
C. 定義方程式部門
 2.  
A. 基本となる方程式
B. 投資財部門の生産量
C. 消費財部門の生産量
 3.  時間経路
A.  g > 0のケース
B.  -1 < g< 0のケース
C. 主要な命題


 参考文献

 1. 一次資料
 2. 『ケインズ全集』
 3. 欧文文献
 4. 邦文文献
 5. 本書に関連する論稿




図表


 8-1  1932年の2つの目次
 9-1  1932年のミカエルマス講義
 9-2  『貨幣論』から草稿「貨幣的経済のパラメーター」まで
10-1  1933年の3つの目次
11-1  1933年のミカエルマス講義
11-2  19331934年の状況
12-1  草稿「一般理論」の目次
12-2  1934年の状況
12-3  1934年のミカエルマス講義
13-1 「大改正」前の校正過程
13-2  初校ゲラIと『一般理論』
13-3  初校ゲラIIと『一般理論』
  14-1   1935年のミカエルマス講義
14-2  『一般理論』の主要理論の進展過程
14-3  『一般理論』の各章の展開過程
15-1   古典派経済学とケインズの経済学
16-1  主要命題(もしくは概念)の変遷
16-2  ミカエルマス講義  19321935
   A-1   イギリスの物価指数(ケインズとファインシュタインの比較)
    A-2   イギリスの物価指数(Clark(1932;1937))
    A-3   イギリスの生産指数(ケインズとファインシュタインの比較)
  表 A-4   イギリスの国民所得勘定(Clark(1932; 1937)
  表 A-5   (名目)国民総生産の比較(Clark(1932; 1937)Feinstein(1972))
  表 A-6   Clark(1932)からの結果(イギリス経済)
    A-7   イギリスの労働生産性(Clark(1932)
  表 A-8   Clark(1937)からの結果(イギリス経済)
  表 A-9   イギリスの労働生産性(Clark(1937)
  表 A-10  イギリスの雇用状況(Clark(1937)
  表 A-11  イギリスの雇用状況(Feinstein(1972))
 A-12 1931年のグレート・ブリテンにおける雇用と失業(Clark(1937)Feinstein(1972)の比較)
  表 A-13  イギリスの雇用状況(Clark(1932))
   A-14  イギリスの貨幣量(ケインズ)
  表 A-15  『貨幣論』における貨幣分類
  表 A-16   短期利子率と長期利子率の関係
 A-17   中央政府、地方政府、社会保険の連結収支勘定
    A-18   中央政府の予算と実績
  A-19  イギリスの中央政府、地方政府、社会保険の連結支出の内訳
    A-20  国際収支(Keynes(1928)
    A-21  国際収支表(Sayers(1976)
    D-1   時間経路

7-1  『貨幣論』の理論構造
15-1『貨幣論』、ヴィクセル・コネクション、および『一般理論』の関係
15-2  財市場メカニズム
15-3  『一般理論』の財市場メカニズムと関連する諸章
16-1 『貨幣論』と『一般理論』の関係