2013年8月31日土曜日

ケインズ学会・立教大学経済研究所共催 公開講演会  世界経済の危機的状況をめぐって*       



ケインズ学会・立教大学経済研究所共催 公開講演会       
世界経済の危機的状況をめぐって*  
                                   
(講演会は浅子和美氏、水野和夫氏とのパネル・ディスカッション。下記はその際に配布した私のレジュメ)
               平井俊顕                                                                         
                                 2012.10.26                      
       
1.資本主義はいずこへ

  ・リーマン・ショックによって、社会哲学および経済学に大きな転機が訪れた。・自己責任原則のもとでの自由放任を主張し、それにより資本主義は限りなき成長が可能となると謳ったネオ・リベラリズム、非自発的失業を否定し、完全雇用を当然視する前提のもと、脆弱なミクロ理論に依拠しつつ組み立てられた「新しい古典派マクロ」が溶解した。

・崩れ去った社会哲学、崩れ去った経済学の瓦礫の向こうに政治家 ― 崩落した現場の立て直しに迫られた政治家 ― が見出したもの、それがケインズであり、ルーズベルト大統領であった。・しかし、忘れてはならない。それを正当化する理論・政策が新たな次元で打ち立てられているわけではない。経済学者は右往左往しているというべきであろう(1つの問題設定:[「新しい古典派」からの借り物で理論武装していた]「ニュー・ケインジアン」による「オールド・ケインジアン」の政策採用という現実をどう評価するのか)。・ケインズの今日性を、メディア的な取り上げ方ではなく、より根源的に問う ことが肝要である。それは経済理論のあり方を問うという問題とも深く関係する論点である。

・経済政策論として重要な問題だと思われるのは、財政政策と金融政策の対照的な評価をどう考えるかである。前者には厳しい制約がかけられるが、後者では「ユルユル」である。・リーマン・ショック後の世界経済は、(i) ケインズ政策の復活期と (ii) 超緊縮財政路線の蔓延期という2つの対照的局面に分けることができる (2010年5月あたりが境目)。         2.資本主義考 - 社会哲学 ・資本主義の本質的特性として、(i) 動態性、(ii) 市場と資本、(iii)企業、   (iv)不確実性、および(v) アバウトさ(あいまいさ)をあげたい。・資本主義のもつ問題点として、(i) バブル現象 - 囚われる企業・人、   (ii)腐敗と不正、および (iii)格差問題をあげる。 ・資本主義システムのあり方 -「適正な資本主義」と「不適正な資本主義」を問うてみる(そのためには「倫理的概念」が不可欠である)と (i)ウォール・ストリートとメイン・ストリートの「適正な」あり方、   (ii)ビジネス・エシックスの不可欠性、(iii) 自由と規制のあり方、および   (iv)市場と政府の役割のあり方が問題になる。

・資本主義システムの評価にさいし、市場の特性についての徹底した考察が必要となる。とりわけ、(i) 市場の不在化現象 (市場重視の極限に出現する「市場の存在しない」商品)、(ii) 市場の不透明化現象 (巨大な影響力をもつ存在であるにもかかわらず、その実態を捕捉する機関の不存在) は市場を危うくする、(iii)再考を迫られる「市場」概念 - GDP分捕り行動の草刈場と化す市場、(iii) 再考を迫られる「自由」概念 - 誰かにとっての「自由」、誰かにとっての「不自由」という危険性 3. アメリカ経済 ・オバマ政権の最大の評価は、「グリーン・ニューディール」構想を打ち出した点に求められる。とりわけ、経済政策として財政政策 (フィスカル・ポリシー)を雇用政策の柱にすえたこと、である。この点を象徴するのがANRRAである。

・オバマ政権が遂行した重要な制度改革として、(i) オバマケアと(ii) ドッド=フランク法」がある。

・オバマ政権の抱えた困難は、(i) 2010年6月にはフィスカル・ポリシーが挫  折に至ったこと、(ii) オバマケアへの共和党・生命保険業界のみならず国民の半数の反対という状況、ドッド=フランク法への共和党・金融業界の妨害工作により大幅な遅延に至ったこと、である。

・この原因はユーロ危機によるユーロ首脳の均衡予算イデオロギー、およびアメリカ国内でのティー・パーティ運動である。その結果、11月の中間選挙での大敗となり、共和党の反対工作で動きがとれなくなった。

4. ユーロ危機の本質と現実 ・ユーロ誕生以降リーマン・ショックまでのユーロ圏経済は、「ヴィクセルの累積過程」「円キャリー」「金融のグローバリゼーション」の影響を受けて展開した。 ・ユーロ危機の本質は、ユーロ圏内での経済的不均衡(ドイツとPIIGS)であり実体経済の格差問題である。これは労働の生産性、技術力といった格差によって生じている。・トロイカが行ってきたのは、「ベイルアウトとその交換条件としての超緊縮予算の命令」であり、その結果、PIIGS経済は一層落ち込み、目指していた財政は改善されずに、デフレ・スパイラルに囚われており、ユーロ・システムは解体に突き進んでいる。・一番の問題は、(i) PIIGSに経済を立て直す政策手段が欠落していること、 (ii)トロイカはメンバー国経済の内需を減少させる手段しかとっていないこと、にある。

5. 日本経済のパフォーマンス 日本はマクロ・データ的には「失われた20年」とはいえない。実質GDP、PPPによるGDPはそれを示していない (図9-5, 6, 7)。・間接金融から直接金融 (・もしくは自己金融) へのシフト現象(有り余る資金の貸付先を新たに開発する必要に迫られた銀行の行動)にたいし、政策的対応の失敗がみられた。

・「失われた20年」とは、「金融のグローバリゼーション」により米英[米の場合ITが加わる]、およびBRICSが飛躍的に存在感を高めるなか、世界経済に占める日本経済のプレゼンスが低下したという現象のことである。

・継続する不安要因として、増大する「非正規雇用」、「産業の空洞化現象」(実体経済と無縁の記録的円高を阻止できない政府の責任)をあげることができる。

 6. グローバリゼーションの3局面 ・グローバリゼーションは、(i) 米英金融資本による主導権奪取としての「金融のグローバリゼーション」、(ii) 米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂としての「市場システムのグローバリゼーション1」、および (iii) 新興国 (BRICS) の出現としての「市場システムのグローバリゼーション2」の3局面で捕捉することができる。

 7.金融の自由化考 - 金融規制改革の必要性 金融の自由化には、既述の「覇権国家的意義」(=金融のグローバリゼーション) と「経済的意義」がある。後者は「金融のための金融」、すなわち、金融資本による利殖追究の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である。

・SBSの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(米英を筆頭とする)政府当局者と金融業会の「結託」ともいうべき活動の産物であり、政府が本来はたすべき国民経済の安定的成長を促進するというスタンスからの逸脱である。・金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係が重視されるべきである。

・金融は、一般的な財やサービスと異なり、金融機関がいくらでも創出が可能であり、「強制貯蓄」を可能にしている。すなわち、だれからのチェックも受けない場合、GDPからの受け取り分を異常なまでに高くすることができ、いびつな資本主義を生み出す危険性を秘める。

・この「レント・シーキング」的行為は、メイン・ストリートの発展に寄与すpるという金融本来の役割をないがしろにする危険性がある。・規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融市場に明確なルールを設定することはきわめて重要であり、それを放置することを金融の自由化と同一視するのは誤りである。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場の透明性を無視した環境下での競争は「強制貯蓄」を招来する危険性が高い。

 * 『ケインズは資本主義を救えるか - 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年