平井俊顕、ミネルヴァ書房、2007年, 412ページ
ケインズとケンブリッジ的世界
― 市場社会観と経済学 ―
まえがき
本書は,20世紀前半にあって世界の経済学の一大中心地であったケンブリッジを、その主導的な経済学者ケインズ、ならびに彼の同時代人を中心に据えながら、平明かつ簡潔に描くことを目的にしている。そのために、次のような問題の追究に重点がおかれている。
すなわち、(i) この時期、ケンブリッジの主要な経済学者は、どのような市場社会観を表明していたのか、(ii)ケインズもその有力なメンバーであり、戦間期にあって文学・絵画などの分野で華やかな活動を繰り広げた「ブルームズベリー・グループ」とは、どのようなグループであったのか、(iii) 経済理論,社会哲学(=市場社会観),政策立案,文化活動,哲学的思索等の諸側面で、ケインズが行った活動とはどのようなものであったのか、がそれらである。
ケインズたちの活躍した時代,それは第1次大戦で瓦解した「パックス・ブリタニカ」を回復させようとする努力が結局のところ挫折し,世界は安定したシステムを再構築できずに混乱と分裂を深めながら第2次大戦に突入していく,という時代である。
こうした時代状況におかれた資本主義経済にたいし、ケンブリッジの経済学者は、どのような評価を下し、そしてどのような方向への展開を希求したのであろうか。彼らは、市場社会の本性をどのように捉え,それにどのような価値判断を下し,そして人々にたいし、いかに行動すべきと問うたのであろうか.これが(i)の問題である。
一言で言えば、この点に関しての、彼らのあいだでの相違は、非常に小さい。というより、共通点が多いというべきである。経済の安定,失業対策,所得の不平等等の問題にたいし,政府の積極的な関与,弱者救済の必要性を唱道する社会哲学を彼らは共有していたからである。
何よりも重要なのは,彼らはこうした社会哲学に基づいて,当時の資本主義経済の抱える問題 ― とりわけ、失業問題や産業的変動 ― を理論的に解明することに知的エネルギーを注力し、そのうえでさまざまな政策的提言を行っていった、という点である。それゆえ,彼らにあっては、政策指向的スタンス(福祉国家的思想)はきわめて明瞭である.だが、この各人 ― 重要なのは、ケインズ、ピグー、ロバートソン、ホートリーである ― の理論は、たがいに影響を与え,また受けながら,そして激しい対立の様相をみせながら,進展していくことになるのである。
戦間期の世界的・イギリス的状況を前にして、その窮状を打開すべく,ケインズは、新たな経済理論・経済政策論,ならびに新たな世界システム構想を次々に提唱していった。これらの点で、彼に比肩する人物は皆無である。周知のように,ケインズは『一般理論』(1936年)を通じて,その後のマクロ経済学,経済政策論,ならびに社会哲学の領域で、「ケインズ革命」と呼ばれる深甚なる変革を引き起こすことになったが、それだけではない。彼は、戦間期に生じたイギリスならびに世界の経済問題をめぐる諸論争の中心人物であり、彼を抜きにこの期の経済問題を語ることは不可能といってよい。こうした経済学者、政策立案家という側面を中心にしながら、ケインズを立体的に描写する、というのが(iii)の課題である。
同時代に、文学的・芸術的活動を通じて、創造的自己主張を繰り広げたのが、「ブルームズベリー・グループ」である。本書でこのグループを取り上げるのは、それ自体の存在価値もさることながら、何よりもこのグループの男性陣の中心はケンブリッジ・マンであったからである。彼らの多く ― ケインズ、リットン・ストレイチー、レナード・ウルフ、ショウブ等 ― は、ムーア倫理学の影響を学生時代に強く受けている。また、グループには属さないが、ラッセル、ピグー、ホートリーも然りである。当時の知性史的状況を理解するうえで、そしてケンブリッジの知識人の実像(実生活および哲学的・倫理学的価値観)を理解するうえで、このグループの研究は欠かせないのである。そして何よりも、ケインズはこのグループの中心的存在であった。これが(ii)の課題である。
***
本書の執筆構成を紹介することにしよう。本書は4部で構成されている。
第I部「時代状況」は、以降の理解に必要な時代状況の紹介である。第1章「イギリスの経済的衰退」は,19世紀末から第二次大戦に至る世界史を,イギリスを中心にみたものである。ここではイギリスの経済的衰退を,覇権国,国民経済,経済主体の観点から取り上げ,「世界の工場」として世界を席巻したイギリスの覇権(いわゆる「パックス・ブリタニカ」)が崩壊していく過程を描いている。合わせて,同期間を「マーシャルの時代」と「ケインズの時代」に分けて,経済学との関連でとらえる節が配されている。第2章「第一次大戦前までのイギリス社会」では,19世紀後半から第一次大戦に至るイギリス社会を特徴づける「経済の相対的停滞,帝国主義,社会主義とニュー・リベラリズム」,ならびに社会生活が示されている。
第II部「ケンブリッジの市場社会観」(第3章から第6章)では,戦間期ケンブリッジの経済学者がどのような市場社会観(=社会哲学)を有していたのかが,その代表的人物、ピグー,ロバートソン,ホートリー,ケインズを対象にして、論じられる。彼らのいずれもが,市場社会を批判的な視点からとらえ,そのもつ欠陥をいかにすれば克服できるのか、に主たる関心を向けていることが明らかにされる。これらを通じ,ケインズと彼の同時代人の市場社会観が,通常想定されているのとは異なり,かなり近接していることが判明するであろう。
第III部(第7章から第9章)では,「ブルームズベリー・グループ」が扱われる。20世紀前半のイギリスの有力な個性的文化グループの精神風土 ― 彼らが共有する思想・信条,グループの特質,ならびに個々人の活動・業績 ― を,ヴァネッサ=ヴァージニア姉妹を中心に,クライブ・ベル、ロジャー・フライ、ダンカン・グラント、レナード・ウルフ、リットン・ストレイチー等を絡めて、多角的に検討する。このことを通じて,イギリス社会に占める彼らの位置(ならびにそのなかでのケインズの位置を暗示的に)示すことにする。経済学者がブルームズベリー・グループに注目するということはほとんどないが(わが国では、これは英文学者によって盛んに研究されてきた),ケインズを,そしてケンブリッジを、さらにはイギリス社会を、多角的にとらえるためには、これは不可欠の作業である。
第IV部「ケインズ諸相」(第10章から第17章)は,2つの部分で構成されている。
最初の部分は、第10章から第16章にかけてである。ここでは、ケインズの諸活動に焦点が当てられている。第10章「ケインズの生涯」では,彼の生涯の概観が示されている。第11章「『確率論』と「若き日の信条」」では、彼が1938年に、ブルームズベリー・グループのメンバーを前に語った回顧的反省である「若き日の信条」について,20代にその知的エネルギーの大半を費やして探究された『確率論』を踏まえながら、検討されている。この方法で、ケインズの思想的変遷を探ろうとする試みである。
第12章から第16章では,ケインズの多様な活動のなかでも,不朽の価値をもつ側面,すなわち経済学者としての活動に焦点が当てられている。
第12章「ケインズ経済学の形成過程」では、ケンブリッジ学派の景気変動論がマーシャル的流れとヴィクセル的流れに分けて概観された後、『貨幣論』(1930年)から『一般理論』(1936年)に至る彼の理論的変遷過程 ― これは経済学史上における最も重要な出来事の1つである ― が検討されている。
第13章「ケインズの講義」は,この変遷過程を、ケインズが行った講義から跡づけようとするものである。第14章「『一般理論』を読む」では,『一般理論』の平易な解説が試みられている。また、第15章「雇用政策と福祉国家システム」では、雇用政策および社会保障政策に焦点を合わせて、1940年代の政策立案家としての活動 ― これは、経済学者による経済政策立案の最もドラマチックな活動である ― の一端が扱われている。そして第16章「『一般理論』理解と戦後マクロ経済学の展開」では、戦後から1970年代くらいを対象に、ケインズの理論がどのように理解され、マクロ経済学の展開にどのような影響を与えてきたのか、についての簡単な展望が示されている。
第IV部のもう1つの部分は、第17章「試論:市場社会論と経済理論の関係」である。これは、本書が対象としてきた20世紀前半に限定することなく、現在に至る時期までを対象にして,支配的な社会哲学と経済理論がどのような関係をもって展開されてきたのかを、試論的に鳥瞰したものである.これは、マクロ経済学の現在的状況をいかに評価すべきかという問題関心と深く関係しており、その序論に相当する。詳しくは別の機会に譲りたい。
最後に、1つの補論「市場社会システム考」が配されている。これは,市場社会観についての拙見を要約的に示したものである。合わせて、便利と思われる付表「ケインズの活動と世界の情勢」を掲載しておくことにする。
***
最後に、本書を前著と比較しておくことにしよう。最初に『ケインズの理論 ― 複合的視座からの研究』(東京大学出版会、2003年)からみることにしよう。同書の中核をなしたのは、『貨幣改革論』(1923年)から『一般理論』(1936年)に至るケインズの理論的・政策論的変遷過程について、一次資料を利用しながら、克明に跡付けつつ、それについての理論的仮説を打ち出すという作業であった。同書第6章「『貨幣改革論』から『貨幣論』へ」から第16章「『貨幣論』から『一般理論』へ」にかけてが、当該箇所である。本書でそれに該当する箇所は、第12章と第13章である。
ケインズの経済学を論じるにあたり、『ケインズの理論』ではピグー、ロバートソン、ホートリーの経済学について、必要な範囲で紙幅を割いた。これにたいし、本書では、彼らの市場社会観(=社会哲学)に焦点を当てた章 (第3章から第5章)が設けられている。彼らの経済学自体、ケインズとの論争というコンテクストで扱われることが多く、単独での本格的研究は、今日に至るもきわめて少ないとはいえ、それでも少なからず取り上げられてきている。だが、彼らの社会哲学をめぐる研究となると、ほとんど絶滅状態である。この知的状況は、「ケンブリッジ学派とは何か」という問題を理解するうえでの大きなボトルネックになっている。
また『ケインズの理論』では、ブルームズベリー・グループを主題的に扱うことはなかった。これにたいし、本書では、第III部がそれに当てられている。
その他、『確率論』と「若き日の信条」を比較しながら、ケインズの思想的変遷を論じた第11章、ならびに、20世紀初頭から現在に至る時期を対象にしての,社会哲学と経済理論の関係を鳥瞰した第17章は、『ケインズの理論』では取り上げられていない論点である。なお、本書が伊東光晴氏(京都大学名誉教授)によって、「本年度のベスト3」(毎日新聞2003年12月)に選ばれたのは、望外の喜びであった。
次に、本書と同じミネルヴァ書房から刊行した『ケインズ・シュムペーター・ハイエク ― 市場社会像を求めて』(2000年)との関係についても、一言しておこう。同書では、題名の示す通り、ケインズ、シュムペーター、ハイエクの市場社会像を描写すること ― 後二者については、序論的に書いたものであり、本格的な立論は現在も思考中である ― が、1つの大きなテーマであった。本書では、それがケインズの同僚に対象を移して、行われている。もう1点、指摘しておきたいのは、『ケインズ・シュムペーター・ハイエク』では解説的に論じた「ブルームズベリー・グループ」、ならびに「若き日の信条」について、少し踏み込んだ議論を展開した、という点である。
***
本書は,各章をできるだけ簡潔で、読みやすいものにするように心がけた。多くの方に、ケインズやケインズをとりまく時代的コンテクスト ― とりわけケンブリッジ学派, ブルームズベリー・グループ, ケンブリッジの哲学 ― に興味をもっていただきたいと思ったからである。その結果は、読者諸賢の判断に委ねるほかはない。
各章の初出については「初出一覧」に掲載の通りであるが,その場合でもすべて大幅に書き替えられている。また,本書のもとをなすものは、様々な機会に執筆し、報告発表した論文であるが、そのさいに得られたアドバイスや議論にたいし,関係された方々に謝意を表す次第である。
2006年4月
ポルトの宿泊先にて
著者記
ケインズとケンブリッジ的世界
― 市場社会観と経済学 ―
目次
まえがき
第I部 時代状況
第1章 イギリスの経済的衰退 ― グローバル的、マクロ的、ミクロ的危機
第2章 第一次大戦前までのイギリス社会 ― 経済の相対的停滞,帝国主義,
社会主義とニュー・リベラリズム
第Ⅱ部 ケンブリッジの市場社会観
第3章 社会主義 対 資本主義 ― ピグー
第4章 自由主義的干渉主義 ― ロバートソン
第5章 厚生と価値 ― ホートリー
第6章 似而非道徳律と経済的効率性 ― ケインズ
第Ⅲ部 ブルームズベリー・グループ
第7章 ブルームズベリー・グループ
第8章 ヴァネッサとその周辺
第9章 ウルフ夫妻とリットン
第IV部 ケインズ諸相
第10章 ケインズの生涯
第11章 『確率論』と「若き日の信条」
第12章 ケインズ経済学の形成過程
第13章 ケインズの講義
第14章 『一般理論』を読む
第15章 雇用政策と福祉国家システム
第16章 『一般理論』理解と戦後マクロ経済学の展開
第17章 試論:市場社会論と経済理論の関係
補論 市場社会システム考
付表 ケインズの活動と世界の情勢
初出一覧
あとがき― 私の関心事
参考文献
人名索引
事項索引