2013年8月4日日曜日

社会哲学はいずこへ


社会哲学はいずこへ

1. はじめに

企業・家計・政府などの経済活動や市場システムのあり方に影響を与えるのは、経済学者が思うほど、経済理論というわけではない。企業家や政治家、それに他の社会科学者が、経済理論にさほど関心を示すということはない。だが誰でも、経済問題には関心を示す。人間は社会的動物であり、生きていくには、何らかの方法で衣食住を入手する必要がある。さらには、誰でも豊かで文化的な生活の享受を望んでいる。
では彼らは、経済問題に直面して、何に導きの糸を求めるだろうか。答えは社会哲学である。それは、「社会の根本的価値基準」・「社会の洞察と評価」・「社会のあるべき道」をめぐる考察の総称である。指導者であれ、庶民であれ、人は社会のなかで、上記に関して何らかの社会哲学の影響を受けながら、社会的・経済的活動を展開し、さまざま制度を創設してきたのである。
本稿で扱う社会哲学は、「市場システム」(= 資本主義) 、それもこの30年間に対象が限定されている。つまり、いまの資本主義を対象として、上記3点を批判的に考察することを目的とする。
 本稿は以下のように進められる。最初に、現在の資本主義システムがもつ3つの問題点に検討を加える (2)。続いて、資本主義システムのあり方を問うことにする。今後の社会哲学のあるべき方向を探るうえで重要だからである (3)
2. 資本主義システムの問題点
2-1 資本主義システムの長所・短所
資本主義システムは成長衝動を内蔵するシステムであり、その爆発力が資本主義化を促進すると同時に既存システム破壊する。それは不安定性を伴う動態的なシステムである。その「成長衝動」・「動態性」は、「市場」と「資本」を通じて実現される。さらに、「動態性」を真に担うのは企業である。企業は不確実な未来に向けて、莫大な資金・人材を投入して、商品・市場の開拓に乗り出していく。
「動態性」、「市場と資本」、「企業」は、資本主義システムのもつ長所である。市場という巨大なネットワークを通じて経済活動が展開されることで、経済主体は自主的行動を許され、無数の財・サービスが生産・交換され、さらには企業の活動を通じ経済の動態的発展が実現される、という長所である。
他方、資本主義システムには深刻な短所も認められる。第1に、動態的ゆえの不確実性・危うさ・脆弱性を有する。第2に、固有の「アバウトさ」(「あいまいさ」)を有する。第3に、効率性・自由を追求するあまり、不平等・格差の拡大を放任する傾向を有する。
以上、資本主義システムの長所・短所を原理的に挙げてみた。以下では、現在の資本主義システムが抱えている3つの問題点を取り上げる。これらは上記の短所に、多かれ少なかれ関係している。
2.2 バブル現象 - 囚われる企業・人
バブル現象とは、経済が何らかの要因で過熱し、ついには政府がそれを抑制しようとしても不可能となり、爆発・炎上してしまう状況を指す。こうしたことは昔から生じており、17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブル、18世紀ヨーロッパで生じた(ジョン・ローとともに知られる)株式バブルなどがある。
経済学では、バブルは例外的現象として処理されてきた。それは資本主義の抱える本質的問題ではないとされ、経済学の主要課題は正常なプロセスの分析にあるとされた。さらに景気変動や失業も、20世紀初頭になるまで例外的現象とみなされた。「古典派の二分法」や「セイ法則」にたいする経済学者の信頼は熱く、資本主義システムにおける失業問題への真正面からの取り組みは、ケインズの登場を待たねばならなかった。
それに、この20年、経済学の主流はケインズ以前の状況に戻る傾向が顕著であった。「新しい古典派」は、古典派の二分法やセイ法則を擁護し、非自発的失業の存在を否認するスタンスに立って景気変動を論じてきた。
皮肉なことに、同期間、実際の資本主義システムは不安定さの繰り返しと増幅に見舞われてきた。代表的なものに、80年代末から90年代初めにかけての日本のバブルとその破裂、90年代中葉から21世紀初頭にかけてのアメリカのドットコム・バブルとその破裂、2000年代のアメリカの住宅バブル、サブプライム・バブルとその破裂がある。いずれの場合も、バブルはマネー・サプライの異常な膨張とそれを利用しての過熱した投機活動に、またその破裂はこうした動きを抑制することに失敗した当局の政策に、起因している。
「新しい古典派」は、こうした事態への基本的認識を欠いている。資本主義システムのもつ「不安定さの繰り返しと増幅」を全面にすえた分析がいまほど必要とされている時はない。
バブルが経済システムにとり危険なのは、それが経済社会で活動する人間の心性質を「過剰なまでに」突き動かすからである。ライバル企業が、不動産や株式・金融資産などの異常な高騰を利用して巨額の利益を得ているとき、「バブルは必ず破裂する」といって座していることは、企業組織のトップにあってはほとんど許されない。ライバル他社に比べ財務・給与・配当状況の悪さが際立つことになり、経営幹部、株主からの激しい不満が押し寄せてくるからである。
 社員にあっても、同僚が多額の注文を取り付けているとき、「バブルだから必ず破裂する」といって客の質を選別することは許されない。結果は金額でのみ評価される環境にあるから、給料・ボーナスの大幅カットを受けたり、最悪の場合、解雇されたりするであろう。
 こうしたことは人間組織に通底しており、ライバルが儲けているときに静観することはできないという人間の心に根ざしている。バブルが続けば、多くの人はそのなかで踊り、少なからぬ人は踊り狂うことになる。そのなかで、人は知らず知らずのうちに、モラル・ハザードの餌食になっていく。バブルは人間性を狂わせる。すべての人が濡れ手に粟的な利殖の獲得に熱中し、そしてその過程で生じる明白な不正行為 (例えばLBOや禿鷹ファンド的行為) までもが正当化されるような倫理観(「どのような手段を使おうとも、儲ける者が勝者、路頭に迷うものはビジネス才能に欠ける者」といった倫理観) が横行するようになる。
それゆえ、バブルの抑止を企業家・個人・市場に委ねることはできない。それは
政府に求めるしかないが、当の政府がバブルの暴走を抑止できていない。とりもなおさず、これは資本主義システム・政府の機能不全である。それゆえ、なぜ政府機能が不全なのかを探り、資本主義システムを制度的に改革することが必要である。
リーマン・ショックに端を発する今回のアメリカのバブル経済の崩壊は、金融の自由化・金融のグローバリゼーションが招来したシャドウ・バンキング・システム(以降、SBSと略記)の拡大に大きく由来する。野放図な金融の自由化により、その暴走を止めることができないようなシステムの展開を許容していったからである。バブルの暴走を阻止し、資本主義システムを制御可能にするためには、金融システムの改組は必須である。アメリカで昨年成立した「金融規制改革法」はこうした認識に基づいている1
2-3 腐敗と不正
資本主義システムは、市場を通じての財・サービスの交換を基本にするため、効率的・合理的であり、かつ参加者の自由・対等性・公平性が保証されている。だが、他のシステムより優れているとはいえ、腐敗と不正から免れているわけではない。
1つは帳簿操作である。資本主義システムにあって、すべての経済活動は貨幣で評価され記帳される。それらの集計で経営状況判明する。だが、帳簿にはいろいろな落とし穴が潜む。例えば、本来は赤字である業績を黒字にみせる様々な操作手法が工夫されており、経営者巨万の利得を手にすることもしばしば生じている。こうした行為を止めることはかなり難しく、の利益が合法的なのか、非合法的なのか識別は、ほとんどの場合不可能である2それに何よりも非合法である場合、訴追手続きが必要となるわけで、たとえ国側が勝利したとしても、氷山の一角である。
 もう1つは金融に関係する。資本主義システムは金融抜きには成立し得ない。実体経済がある程度の大きさになると、生産・サービス活動に必要な資金は外部に依存せざるを得なくなり、そこに金融の存在価値・本来的役割が存する。
だが、金融は不正を働く余地きわめて大きい分野である。金融がより大きな自由を享受するにつれ、不正を働く余地は拡大していく。金融に関連する腐敗・不正行為の代表的なものとして、次の3点をあげておこう。
(ⅰ) 強制貯蓄 (信用を創出する権利を手にしている金融機関が、必要とする財・サービスを思いのままに取得できる方法)
(ⅱ) 株式市場の悪用 (インサイダー取引、デマ情報を流しての株価操作、LBOM&Aなど)
()  市場の不存在と不透明化による利益の収奪 (近年、粗製乱造された「証券
化商品」)
2-4 格差問題
資本主義システムは経済活動の基盤を市場におく。経済学者は、そのメカニズムをモデル化した一般均衡理論に、絶大なる信頼を寄せてきた。だがこのモデルは、財産の分配状況を所与としたうえでの立論であり、分配状況を問うわけではない。 これと関連するが、経済学者は「正義」を「交換的正義」としてとらえる。市場メカニズムが交換という行為により、「正義」を実現するという考えである。この考えでは、ストックとしての分配状況への価値判断 (「分配的正義」)は排除されている。「市場の自由な作用に委ねれば、経済システムは効率的になる」(「パレート最適」) という思想がある。これも、財産の分配状況は所与として論じられている。 
財産の分布(ならびに所得の獲得方法に大きな差がある社会にあって、市場の自由な作用のみに委ねる場合、実際には、一層の格差を生み出しがちである。この30年間、「市場原理主義」(「自由放任主義」の現代版) に駆り立てられた世界は、その結果、大きな所得格差(貧富の格差)をもたらしてきた。このことは、ジニ係数その他の数値で明らかになっている。先進国アメリカ、イギリスなどでの所得格差の拡大は著しいし(特に、金融セクターへの富の偏在)、「新興国」BRICSにおいてはさらに一層顕著である3
3.資本主義システムのあり方を問う
― 「適正な資本主義」と「不適正な資本主義」
「適正な資本主義」・「不適正な資本主義」は、「非科学的」との批判を受けるであろう。「適正さ」という基準は曖昧さを逃れられないからである。だが、それでもなお、この概念は現実の資本主義システムを捉えるうえで不可欠である4
ここでは「適正な資本主義」を標榜するうえで重要と思われる4つのポイントを取り上げてみよう。
3-1 「金融部門」と「実体経済部門」の「適正な」あり方
資本主義システムは本性的に動態的である。成長衝動を秘める企業は、必要な資金を外部から調達する必要がある。金融部門はそのために要請されてくる。
金融部門は、本来的には、実体経済部門の円滑な展開・成長のために必要とされている。だが、金融部門はそれと無関係に、専ら自己利益獲得のために活動しがちである。
貨幣・信用を売買する市場は、自己増殖を拡大していく可能性を秘めている。信用創造自体、中央銀行や金融機関が「恣意的に」生み出すことができ、しかもそれが公益のためになされる保証はどこにもない。資金調達の手段である債券や株式も、それがストックとして蓄積されてくると、投機的対象に組み込まれる。近年異常な拡張をみせた「証券化商品」になると、資金調達の手段からはほど遠い様相を呈している(「GDPを「強奪する」手段」とすらいえる)。
実体経済部門とかけ離れ、金融部門がGDPの益々多くの割合を掌中にするという近年の傾向は、「適正な資本主義」ではない。金融市場の規模とGDPとには自ずと「適正な比率」があるべきであり、それを逸脱する状況を防止すべく、政府による監視は不可欠となる。
「不適正な資本主義」が横行するなか、忘れ去られた感が否めないのは、労働倫理観の崩壊である。資本主義システムには勤勉な労働(額に汗して働くことで収入を得る)と濡れ手にあわ的労働の2種類が存在する前者は、ウェーバーのプロテスタンティズム的精神に属する。後者は絶えず他者をだます、他者にババを渡す行為への誘惑を宿しているいや宿しているだけではなく、そうした行為を正当化すらする倫理観である。金融工学の美名のもと、誰も責任をとることのない証券化商品氾濫させても自らがババを引かないように立ち回ればよい、だまされた方が無知なのだ、といった倫理観である。
3-2 ビジネス・エシックス
資本主義システムの動態性を引っ張るのは企業である。企業は利潤が見込めそうな領域を開拓・創造していくことで、自らを成長させるとともに、資本主義システムの発展を牽引していく5
この点を考察するさいに軽視されがちな問題がある。今日の資本主義システムでは、大多数の人間は企業組織に組み込まれている。それゆえ、これら企業はいかなるビジネス・エシックスをもって活動しているのかという問題が重要なのである。
この点に関連して、「証券化商品」の多層的展開、レヴァリッジの手法、ヘッジ・ファンドの活動などを通じSBSGDPの多くのシェアを奪うまでになった資本主義システムのあり方問われるべきである。これらの活動が巨大化することで、ビジネス・エシックス自体がそれに翻弄されているという事態が、大きな影を落としているからである6
「自己責任に基づいた意思決定によって未来を切り拓く、失敗した場合は市場で淘汰されることで自らの責任をとり退出する、こうした行動により、資本主義システムは人間社会に効率性自由正義成長を達成できる」と、いやというほどマスメディアを通じ、宣伝されてきた。これは「市場原理主義」がつねに唱えてきたものだ。しかるに、その先頭を走ってきた大企業が、「大きすぎて潰せない」(“Too Big TFail”以降、TBTFと略記を楯政府に支援を要請し、しかもメリル・リンチやAIGのボーナス問題にみられるようなモラル・ハザードを露呈させてきた。こうした不正堕落利己主義が、先進国の企業内に蔓延しているという事態は、現在あるようなビジネス・モデルでは、けっして資本主義の将来を任せられない、ということを示唆する。
3-3 自由規制
資本主義システムの利点として、「市場」で自由な意思を有する経済主体が取引を行えるという点があげられる。確かにそれは、他の経済システムにつきまとう恣意性を免れることができる利点である。とはいえ、だからといって無制限な自由化が資本主義システムを最善にする保証はどこにもない。
個人の自由が「可能なかぎり」重視されるべきである、というのは当然である。プライバシーへのいかなる人、いかなる機関、いかなる社会、そしていかなる国家の介入・干渉拒否されるべきというのも、しかりである。だが、そこにはつねに、「可能なかぎり」という条件がつく。個人や企業の自由があまりにも大きくなり、例えば1998年のLTCMにみられたことだが、100人程度のヘッジファンドの失敗が世界の金融システムを瓦解させるに至るまでの自由行動をとることは許されるべきではない。自由には社会の安定を損なわないという制限があって然るべきである。「相対取引」 (OTC極端になると、その不透明さが「市場の不透明さ」、あるいは「市場の不存在状況」増すことになり、経済システムが混乱に陥る危険性高まる。
 わたし達は自由化のもつ意味、意義を立ち止まって考えるべきときにきている。近年、マスメディアやネオ・リベラストの唱道のまえに、わたし達は「自由」という言葉、「規制緩和」という言葉の魔力に呪縛されてきた感がある。だが、わたし達は自由とともに、「平等」がそれといかなる関係にあるべきかを考える必要がある。無制限の自由では平等・という問題に対処することはできない。無制限の自由化が「不適正な資本主義」をもたらすような場合、「適正な資本主義」という原点に立ち戻る必要がある。
3-4 政府の役割
これまで今日の資本主義システムがいかなる問題を抱えており、それにたいし、どのような価値観をもって対処していくべきかをみてきた。なかでもビジネス・エシックスは、国民の倫理観、価値観と深く関わっており、その是正は教育を通じてなされていく必要のある問題である。
 それ以外の点については、(資本主義システムがもつ不可避的な問題はさておくとして政府の登場を待たねばならない。すなわち、資本主義システムは市場での取引に基盤をおくべきであり、かつ資本の自由な移動が保証されている必要があるが、それは無制限の自由の容認ではありえないからである。
 政府は無制限の自由が引き起こす資本主義システムの暴走を制御できるような、さまざまの制度を設計していく責務がある。とりわけ、金融部門の暴走が実体経済部門を無視し、GDPのうち取り分の拡大を自己目的化することのないような制度設計が望まれる。「適正な資本主義」の実現のためには、貧富の格差拡大防止のための施策が打ち出されることも、政府には要請されている8
4. むすび
今日の資本主義システムは、この30年間の金融の自由化 (ならびにそれを後押ししたネオ・リベラリズム)によって生み出された金融システムが、リーマン・ショックにより深甚なる打撃を受けることを通じ、実態部門を大いなる苦境に陥らせてきている。この点はとりわけ先進国地域に顕著である。
 この事態は、資本主義システムが無条件の自由化によっては非常に危ういシステムに堕していく危険性があることを示唆している。それは財産格差・所得格差を著しく拡大させてきた。それは金融システムをTBTFで救済し続けることを通じ、モラル・ハザードを引き起こしてきた。それは、金融工学による証券化商品の粗製乱造により、GDPの「分捕り」を自己目的化する行為を増長させ、そのことが資本主義システムの「ビジネス・エシックス」(経営倫理と労働倫理の双方を含む)を歪めてしまった9
本稿で述べたことは、今日の資本主義システムが陥っている問題点の指摘に目を向けようとするものであって、それ以上のものではない。だが、問題の適正な解決法は、この延長線上に存在すると思うのだが、いかがであろうか。
1) だが、この問題は主要国間の協力なくして解決することのできない問題である。
2) 不正経理はその一例であり、2000年頃に発覚したエンロン事件はの代表的事例である。会計監査法人アーサー・アンダーソン会計事務所はそれへの加担のため倒産に追い込まれた。
3) 経済成長が停滞してきたわが国でも、このことは妥当する。アメリカの場合、2006年度、1%の最富裕層が全所得の22%を占め、過去80年間で最大になっている。また1979-2002年の税引き後所得は、1%の最富裕層の場合、111%上昇したのにたいし、その他の階層では第2階層の48%が最高で、最下層の場合5%である(CBOデータ)。最近のNYTFootnoted.comによるゴールドマン・サックスをめぐる調査では、リーマン・ショック後も巨額の所得・資産を享受しているさまが明らかにされている(118日付。今日、格差の是正の必要性とそれを解決できない場合に陥る資本主義世界の危機を訴える声が、世界中の指導者のあいだで日増しに強くなっている(『エコノミスト』[イギリス]120日号)。
4) 人間の使う概念はすべて曖昧さを逃れていない、という哲学的問題はさておくとして、である。
  5) リカードウ1817]の理論は、このことを前提に展開されている。
6)『フィナンシャル・タイムズ』2009313ではアングロサクソン型の企業経営への経営者自身の反省の弁が取り上げられている。オブザーバー』(2011116スイスの銀行家エルマーによる世界中の資産家やヘッジ・ファンドの税回避などをめぐる情報がウィキリークスに渡されるというニュースが流れ(事実、翌日渡された)
 7) ミル1859]における「自由」概念を参照のこと。
  8) Center on Budget and Policy Prioritiesの研究によると、2009年に実施された景気刺激策は450万人の人々を貧困から救った(『ニューヨーク・タイムズ』 1月18日号)緊縮の掛け声が強くなるなか、忘れてはならない貴重な情報である。。
 9) 金融工学のクォントが異常なボーナスをもらう事態は正当化できるものではない。技術畑、生化学、薬剤などで働く研究員の給与は、そこで発揮される高度の知識にもかかわらず、そうしたボーナス支払いを受けてはいない。
参考文献
平井俊顕(編)[近刊]『どうなる私たちの資本主義 - 現代市場社会の「解体新書」』SUP上智大学出版。
J.S. ミル[1859]『自由論』岩波書店、1971
ミルフォード[2009]『アメリカが隠し続ける金融危機の真実』青春出版社
D. リカードウ[1817]『経済学および課税の原理』(上)(下)、岩波書店、1987