平井俊顕 『ケインズ・シュムペーター・ハイエク』ミネルヴァ書房、2000年、392ページ
まえがき
本書は、20世紀前半の主導的な経済学者であるケインズを、家庭環境、思想・文化環境、経済理論の構築、経済政策活動、市場社会観等の諸側面から検討することにより、立体的なケインズ像を提示すること、ならびにそれらを通じて同期間のイギリス経済社会の状況の一端を探ること、を主たる目的としている。あわせて、ケインズに負けず劣らず大きな経済理論的・思想的影響を及ぼしてきた、そして様々に比較されることの多い2人の経済学者シュムペーターとハイエクの市場社会観を示しておくことで(いずれもイギリス経済社会をその市場社会観展開の主たるモデルとしている)、経済学にとっての根源的な問いかけたる「市場社会論」の序論を提供したいと考えている。
本書がケインズを中心に論じることにした主たる理由は次の点にある。ケインズの活躍した時代-それは第1次大戦で瓦解した「パックス・ブリタニカ」を回復させようとする努力が結局のところ挫折してしまい、世界は安定したシステムをもつことなく混乱と分裂の度合いを深めながら第2次大戦に突入していく、という時代である。こうした時代状況を打開すべく、ケインズは新たな経済理論・経済政策論、ならびに新たな世界システムを次々に提唱していった。これらの点で彼に比肩する人物は皆無である。第1次大戦から第2次大戦にかけての戦間期におけるイギリスならびに世界の経済問題の中心にケインズは常に位置しており,ケインズを抜きに,この期間の経済問題を語ることは不可能であるといってよい。そればかりではない。周知のように、ケインズは『一般理論』(1936 年) を通じて、その後のマクロ経済学、経済政策論、ならびに社会哲学の領域で「ケインズ革命」と呼ばれる深甚なる変革を引き起こしていったのである。
本書の執筆構成を紹介していくことにしよう。
第1章「「パックス・ブリタニカ」の弱体化と崩壊」は、19世紀後半から第2次大戦に至る世界史の変遷過程をイギリスを中心に論じたものである。本書が取り扱う経済思想家ならびに文化グループの活動・思索した時代状況・環境を最初に示しておきたかったからである。産業革命の達成を通じて「世界の工場」として世界を席巻したイギリスの覇権(いわゆる「パックス・ブリタニカ」)が崩壊していく過程を描こうとしている。
第2章「ケインズ(1)-生誕からヴェルサイユ弾劾まで」では、ケインズの少年期から青年期を、父ネヴィルの日記を通して、またその後からヴェルサイユ講和会議に至るケインズの生きざまを、画家ダンカン・グラントに宛てて認めた書簡を通して、描いたものである。いずれもきわめてプライベートな資料であり、かつその時点で記されたもののみが語ることのできる新鮮さが、そこにはある。
第3章「ケインズ(2) -新たな経済学の創設と政策構想」では、多様な活動を誇ったケインズのなかでも、最も不朽の価値をもつ側面に焦点が当てられる。とりわけ『貨幣論』の執筆から『一般理論』の完成に至るケインズの理論的変遷過程-これは経済学史上における最も重要なドラマの1つである-の検討、ならびに1940年代の政策立案家としての活動-これは経済学者による経済政策立案の最もドラマチックな活動である-が扱われる。前者については『ケインズ研究-『貨幣論』から『一般理論』へ』(東京大学出版会、1987年) や、それを拡大・精緻化した論稿 `A Study of Keynes's Economics'(1997-1999) を発表しているので、それらを参照していただきたい1 。
後者については、第3章では概略を述べるにとどめ、続く2章で戦後体制の構築をめぐる具体的な事例を取り上げることにする。
第4章「国際主義とナショナリズムの相剋-救済問題」では救済問題の立案過程を検討しながら、そこに見え隠れするケインズのナショナリズム的側面に注目を払う。また第5章「価格の安定化をめざして-一次産品の国際規制案」では一次産品問題の立案過程を検討する。この立案の根底にはケインズの市場社会観がしっかりと根づいている点が注目される。これらの立案はイギリス側の公式案となり、ケインズ自らがイギリス代表としてアメリカとの交渉に臨むのであるが、アメリカを前にしての大英帝国の惨めな敗退を、身をもって味わうことになる。なお戦後体制の構築をめぐっては、ケインズの経済学・社会哲学が革命的に成功する重要な領域がある。雇用政策ならびに社会保障計画がそれである。これらについては、他の著作のなかで論じたばかりなので2 、そちらを参照いただければ幸甚である。なお、以上の4編のもとをなす基本資料は、筆者が翻訳に携わった『ケインズ全集』第27巻「雇用と商品」に収録されており、翻ってそれらはこの領域に関心をもつ人にとって、いささかの役に立つかもしれない。
第6章「ブルームズベリー・グループ」では、20世紀前半のイギリスの支配的な文化グループであった同グループの精神風土-彼らの共有する思想・信条、グループとしての特質、ならびに彼ら個々人の業績-を、ケインズを中心にしつつ、ストレイチー、ウルフ夫妻、フォースターを絡めて多角的に検討する。これらの検討を通じて、イギリス社会のなかに占める彼らの位置づけ、ならびにそのなかでのケインズの位置づけを明らかにしていきたい。 第7章「回顧的反省-「若き日の信条」考」は、ケインズ自らが1938年にブルームズベリー・グループのメンバーを前にして語った回顧的反省のエッセーの検討を通じて、ケインズの思想的変遷を辿ろうとするものである。また「補論 遺言の語るもの」は1941年2月にケインズが作成した遺言状の検討を通じて、ケインズの交遊関係を改めようとするものである。「ブルームズベリー・グループ」の特異な人間模様が表れていて興味に尽きないものがある。
第8章から第11章では、今世紀の指導的な経済学者・思想家であるケインズ、シュムペーター、ハイエクの市場社会観(社会哲学)を取り上げる。彼らは市場社会をどのようなものとして評価あるいは批判していたのか、そこで展開されている市場、競争、価格等を、どのように理解していたのか、また社会主義や共産主義をどのようにとらえていたのかが検討される。
第8章「ケインズの市場社会観-似而非道徳律と経済的効率性のジレンマ」では、「自由放任の終焉」をはじめとする1920年代に書かれた諸論稿を中心にケインズの社会哲学である「ニュー・リベラリズム」を検討する。第9章「シュムペーターの市場社会観(1) -「創造的破壊」を通じた進化過程」では主として『経済発展の理論』に基づきつつ、また第10章「シュムペーターの市場社会観(2) -「文明としての・歴史としての」資本主義社会」では主として『資本主義・社会主義・民主主義』に基づきつつ、彼の市場社会観を検討する。第11章「ハイエクの市場社会観-「現場の人」と情報伝播としての「価格システム」」では、「社会における知識の利用」、「競争の意味」等の1940年代に執筆された諸論稿をもとにしつつ、ハイエクの市場社会観を検討する。
3名はほぼ同時代を生きた学者であるが、それぞれ独自の経済理論・社会哲学を築き上げた。シュムペーターとハイエクはほとんど同じ学問的・社会的環境で育ったにもかかわらず、その社会哲学には著しい相違がみられる。反面、いずれもが新古典派の正統派であるマ-シャル=ワルラス派経済学にたいして批判的な経済理論・社会哲学を打ち立てた学者であるという点を共有しているのも興味深い。彼らの立論の検討を通じて、今日の市場社会を理解するうえで非常に貴重な示唆が得られるであろう。
各章の初出については「初出一覧」に掲載した通りであるが、その他、報告の機会や調査にさいし得られた協力等にたいし、以下の関係各位に謝意を表する次第である。
第1章については、専修大学社会科学研究所のプロジェクト「高度産業社会と国家」(正村公宏教授〔専修大学〕・鶴田俊正教授〔専修大学〕主査)に参加するなかで執筆・報告された。
第2章のもとになった資料「ジョン・ネヴィルの日記」、ならびに「ダンカン・グラントへのケインズの手紙」は約10年ほど前に、それぞれケンブリッジ大学図書館とブリティッシュ・ライブラリーで閲覧したものをもとに、当時執筆したものである(前者は今日ではマイクロフィルム化されている)。関係各位のご協力に謝意を表する。
第3章に関連する領域については、非常に多くの議論を筆者自身行ってきたし、また望外に多くの反響を受けてきた。なかでも経済学史学会、経済理論史研究会、ケインズ研究会(長谷田彰彦名誉教授〔東京学芸大学」主宰)、専修大学社会科学研究所等での報告に参加され、活発な議論を戦わせていただいた方々、また書籍・論文上でさまざまな批判を寄せていただいた方々に謝意を表したい3 。
第4章および第5章については、「経済思想・政策史研究会」(西沢保教授〔一橋大学〕主宰)で1998年5月に報告を行った。第8章については京都大学「ケインズ研究会」(瀬地山敏教授・八木紀一郎教授〔京都大学〕主宰)で1996年2月に報告を行った。貴重なコメントをお寄せいただいた参加者の方々に謝意を表する。
なお補章「遺言の語るもの」は、今から10年ほど前に、当時のキングズ・カレッジ図書館(ケンブリッジ大学)のマイケル・ホール博士からいただいた「ケインズの遺言」をもとにして、入手直後に執筆したものであるが、今日まで公表することなくきたものである。同博士のご厚情に感謝したい。
また本書で語られていることの多くは、勤務先である上智大学経済学部の講義やゼミナールのなかでも、折にふれて述べてきた。参加された学生諸君に謝意を表したい。
本書の構想の出発点は、「ブルームズベリー・グループ」とケインズをめぐる文化史的な関心にあった。そのような話をある場所でしたとき、根岸隆先生(東京大学名誉教授)が著作としての刊行を強く薦められたことを、鮮明に覚えている。結果として出来上がった本書のなかにそのような当初の視点が活かされていることは、以上の執筆構成が示す通りである。第8章-第第11章については、兼光秀郎先生(上智大学名誉教授)から刊行の都度、短くも鋭い読後感をいただいてきた。そして「あなたご自身の見解は?」との問いかけをその都度受けてきている。この問いかけに明快に応えられる日が近からんことを(「あとがき」でスケッチ風には応えてみることにした)。また本書で展開されているようなテーマは、何よりも故早坂忠先生(東京大学名誉教授)が強く関心をもってこられたものである。ご存命であれば、先生はどのように批評されたことであろうか4 。
私事になるが、本書を学者的わがままにたいして常に寛容で協力的であり続けた妻総子に捧げることをお許しいただきたい。
1999年3 月15日
1)`A Study of Keynes's Economics' (『科学研究費研究成果報告書』No.06630010, pp. xxx+747としても、1998年8 月に公表済みである) は、『ケインズ研究』で言及している箇所については、その精緻化を図ったうえで、「ヴィクセル・コネクション」、「経済学の歴史( 新古典派) 」、「『一般理論』についての私の見解」、「ケインズ理解のスペクトラム」、「『一般理論』後のマクロ経済学」、「ケインズの市場社会観」、「晩年の政策活動」、「イギリス経済の歴史」、「ケインズの講義」などについての検討を追加したものである(その大部分は、これまでに発表してきた諸論稿に基づいている)。この精緻化・増補版の執筆については、その後、「『貨幣論』と『一般理論』の関係」(『経済学論集』東京大学、1989年第 3号)、「私のケインズ研究」(『経済と社会』第6号、1996年夏季号) をはじめ、いろいろな機会で言及することになったが、結局のところ、1998年6月に始まり、1999年4月に終結した `A Study of Keynes's Economics (I)-(IV)', Sophia Economic Review, Vol.43, No.1 (Dec. 1997), Vol.43, No.2 (March 1998), Vol.44, No.1 (Dec. 1998), およびVol.44, No.2 (March 1999) として、統一的なかたちでの公表となった次第である。
出発点は『ケインズ研究』の英訳版 A Study of Keynes, March 1988, pp. xvi+pp.254 (mimeo.) である。これは第 3版 p. 200 で言及したものであり、後年、Skidelsky のJohn Maynard Keynes―The Economist as Saviour 1920―1937, Macmillan, 1995 の`Unpublished Papers' (p. 651) に掲載されたものである。
2)「ケインズの雇用政策-政策における「ケインズ革命」をめぐって」(西沢保・服部正治編『イギリス百年の政治経済学』ミネルヴァ書房、1999年所収) 、および「福祉国家システムの構築-ベヴァリッジとケインズ」(西沢保・服部正治・栗田啓子編『経済政策思想史』有斐閣、1999年所収)。
3)わが国での論争の概要については拙稿 `Recent Japanese Studies in the Development of Keynes's Thought: An Evaluation'(『経済学史学会年報』第36号、1998年) を参照されたい。
4)なお、「私のケインズ研究」( 『経済と社会』第6号、1996年夏季号) で述べたように、筆者は『貨幣的経済学の系譜-ヴィクセルからケインズへ』(仮題)の刊行を考えている。A Study of Keynes's Economics、そして本書とともに、この企画もスタート以来ほぼ10年が過ぎようとしている。
目次
市場社会像を求めて
ケインズ・シュムペーター・ハイエク
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まえがき
第1章 「パックス・ブリタニカ」の弱体化と崩壊
1.相対的弱体化の過程-19世紀後半から第一次世界大戦まで
A.パックス・ブリタニカの相対的弱体化
B.第1次大戦
2.戦間期-パックス・ブリタニカの崩壊
A.ヴェルサイユ講和会議
B.英米経済の比較
C.世界経済を揺るがした3つの重要問題の経緯
D.「覇権」の視点から
第2章 ケインズ(1) -生誕からヴェルサイユ弾劾まで
1.少年期・青年期-父ネヴィルの日記を中心に
A.少年期
B.青年期
C.フェロー試験の頃
2.ドンからヴェルサイユへ-画家ダンカンへの手紙より
A.同性愛
B.第1次世界大戦
C.ヴェルサイユ講和会議
第3章 ケインズ(2) -新たな経済学の創設と政策構想
1.「カサンドラ」-1920年代
2.『貨幣論』から『一般理論』へ-1930年代
A.2つの流れ
B.理論的変遷の過程
C.「ケインズ革命」
3.政策構想の主役-1940年代
4.補論:「マ-シャルの時代」と「ケインズの時代」
第4章 国際主義とナショナリズムの相剋-救済問題をめぐって
1.当初の展開-救済問題と商品政策の密接なる関係
2.「中央救済・復興基金」構想-同種の路線
3.方針の変更-レンド- リ-ス制度の継続を希望: 大蔵省と商務
省の対立
4.「連合理事会」構想-若干の歩み寄り
5.「国連救済復興機関」に対するケインズの反応
-「キマイラ」(Chimera)
6.ナショナリズムの発露-英領直轄植民地の復興をめぐって
第5章 価格の安定化をめざして-一次産品の国際規制案をめぐって
1.「原材料の国際的統制」(第5次草案)
2.「一次産品の国際的規制」-4草案の比較検討
A.第7次草案
B.第6次草案
第6章 ブルームズベリー・グループ
1.メンバーの概観
2.ケンブリッジ
A.「深夜会」(「ミッドナイト・ソサエティ」)
B.「アポッスル・ソサエティ」
3.ロンドン
A.スティーブン姉妹
B.「ブルームズベリー・グループ」
4.「ブルームズベリー・グループ」の特質
5.補論:ヴィクトリア社会の諸相
A.経済と政治
B.社会生活
C.「教育改革」-時代精神としての「ジェントルマン
シップ」
第7章 回顧的反省-「若き日の信条」考
1.「メムワール・クラブ」
2.青年期の信条
A.1903年(20歳)の頃
B.1914年(31歳)の頃
3.1938年(55歳)
A.合理性への懐疑
B.「宗教」
C.ベンサム主義
D.慣習への回帰
第8章 ケインズの市場社会観-似而非道徳律と経済的効率性の
ジレンマ
1.資本主義の本性
2.資本主義メカニズムについての認識-安定的経済観 対
不安定的経済観
A.自由放任主義的社会哲学・経済学批判
B.ケインズの社会哲学
3.共産主義・社会主義・国家社会主義をめぐって
A.共産主義
B.社会主義
4.思想的立場-ニュー・リベラリズム
5.補論:その後のケインズ-1930年代・40年代
第9章 シュムペーターの市場社会観(1)-「創造的破壊」を通じた進化
過程
1.シュムペーターの問題意識
A.2つの命題
B.「シュムペーター・ツイスト」-ワルラスとマルクスにた
いするスタンス
2.資本主義社会の本性
A.「創造的破壊」を通じた断続的な進化過程-「経済発展の
理論」
B.経済主体、競争、均衡、「価格の機能」をめぐって
第10章 シュムペーターの市場社会観(2)-「文明としての・歴史として
の」資本主義社会
1.資本主義社会の「積極的」側面
2.資本主義社会の「消極的(=自壊)」側面
A.階層的要因-牽引者層・支援者層の消滅・弱体化
B.擁護制度基盤(私有財産制度と契約の自由)の喪失
C.社会心理学的要因-敵対的社会心理の醸成
3.社会主義社会の到来
A.青写真
B.資本主義社会との比較
第11章 ハイエクの市場社会観-「現場の人」と情報伝播としての「価格シ
ステム」
1.市場社会の本性
A.経済主体-現場の人の知識
B.「価格システム」-情報の伝播機能
C.競争の機能-「予見せざる変化」の動因
D.リアリズムとアイデアリズムの葛藤:ステ-ジⅠ
2.自生的秩序としての市場社会-リアリズムとアイデアリズムの
葛藤:ステージⅡ
補章 遺言の語るもの-1941年2月
参考文献
「市場社会」考-あとがきに代えて
初出一覧
「市場社会」考
-あとがきに代えて-
本書では、ケインズ、シュムペーター、ハイエク達が資本主義社会(=市場社会)をどのようなものとして把握していたのかに、主たる焦点を当ててきた。こうした検討を通じて、筆者自身は市場社会をどのようにとらえようとしているのかについて、スケッチ風に述べることで本書を閉じることにしたい。
市場社会の本質-市場社会とはあらゆる物が商品として市場で取引さ
れるようになっている社会のことである。何よりもそれは、労働(および土地) までもが商品化した社会として特徴づけることができる。財は各人の私有財産であり、その処分権は所有者に帰属する。原則として、その権利にたいし何人も干渉することは許されない。市場社会は私有財産の保護と契約の遵守を基本として成立している。
人間社会のこのような市場化(=経済が社会を支配・規定していくという現象)は、長い年月をかけて進展していった。この現象は、分業の進展と、それによって必然的になってきた貨幣を媒介とする取引の浸透を機軸として、次第に人間社会の周辺部から中枢部へと浸透していったのである。16世紀に生じた「大航海時代」は、重商主義的国民国家を生み出し、この過程を飛躍的に押し進めることになった。
とはいえ、真の意味での市場社会が出現するに至ったのは19世紀前半のイギリスにおいてである。その最大の特徴は、労働者階級と産業資本家階級の出現にあるといってよい。産業革命の発生によって、人々はいわば「挽き臼」に投げ込まれ、工場生産システムのもとで働く労働者と彼らを雇用する資本家が階級として成立することになったからである。こうして市場メカニズムという経済的論理が社会の他の論理を圧倒し、いわゆる「経済は社会の上に君臨し、すべてを支配・規定」するような社会が人類史上初めて誕生したのである。
以降、今日に至るまで、世界はイギリスの後を追いかけて市場社会の形成に邁進してきたといっても過言ではない。当初はドイツ、アメリカが、そしてその後を追って日本、さらに近時では韓国、台湾等のNIES諸国、さらには現在では東南アジア諸国、中国がその後を追いかけて、産業化、市場社会化を押し進めてきている。このトレンドは21世紀も継続するのみならず、その帰結( 資源の配分、所得格差の拡大) はかなり深刻な問題を引き起こす可能性を秘めている。
こうした市場社会を特徴付けるのは、何よりもその動態性(=ダイナミズム) にある。そしてそれは貨幣経済の枠組みのもとで生じている。
市場社会のダイナミズム-市場社会は成長をその本質とするダイナミ
ックな社会システムである。それはたんなる循環的な状況に留まっていることのできない社会である。それゆえ市場社会は動態的なものとしてとらえねばならない。
市場社会は二重の意味で動態的である。一方で、市場社会は、分業の進展と競争を通じて、そしてそれらが誘発する技術革新を通じて、生産の増大・成長をもたらす。他方で、市場社会は、その同じ力が既存のシステム( それは伝統社会であったり、既存の産業であったりする) を浸食・破壊していくという特性を有する。市場の論理は凄まじい力で自己を貫徹させようとする傾向(「解き放たれたプロメテウス」) を有しているのである。つまり、市場社会は成長衝動を内包するシステムであり、その爆発力が既存のシステムを破壊するために不安定さ(変動) を内在化させた社会機構である。
市場社会のダイナミズムは、何よりもイノヴェーション、すなわち革新的企業の発生によって支えられている。そして、その後を多数の企業が追いかけるのである。これが競争のもつ動学的な意味である。それは静学的な意味での価格ではなく、動学的な意味での価格、つまり高利潤の問題である。高い利潤率分野をめざし資本は群生的に進出していく。そうした分野へ、企業は資金、人材を投入することで参入を試みようとする。そして何らかの突破口が発見されると雪崩のように新規参入が開始されることになるのである。こうしてダイナミックな意味での市場競争が展開される。
したがって「利潤」という概念は現実的な基盤をもっている。企業は高利潤を求めて現に行動しており、もし利潤を生むことができなくなれば(損失をこうむり続けることになれば)倒産を余儀なくされる。
市場競争において価格のもつ動学的な意味は、新規産業への参入のためのツールとしての役割を果たすという点である。市場社会のダイナミズムを指導し規定するのは成長産業である。そしてそこでの価格とは本来的に動学的なものである。後発企業は、先行企業に対抗するために、付加的な機能の追加とともに価格の引下げを武器にしていくことが必要である(収穫逓増過程の進展)。価格メカニズムの本質とは、静態的な資源配分を担うものではない。その本質は動態的な資源配分を担うものである。高い価格、したがって高利潤は資本・人材を引き寄せる先導役となる。そこでは「オークショニア」ではなく「企業者」が積極的な役割を演じる。そして資本・人材が移動していくことにより産業構造も変容を遂げていく。市場競争が静学的な価格による競争というかたちをとるのは成熟(もしくは停滞)した産業においてである。そこでは企業の「動学的」競争を通じての淘汰が完了しており、価格は静学的・防衛的・消極的な意味を帯びることになる。
貨幣経済としての市場社会-市場社会は本来的に貨幣的である。資金
を調達する点で有利な立場にいる者は、そうでない者よりも絶対的に有利な立場に立つ。銀行が一般企業よりも優位な社会的・経済的立場にいるのはそのためである。かつて資金は、貯蓄から供給されていたが、今日ではそれが主役とはいえなくなっている(もしくはその地位は相対的に低下している) 。
今日の市場社会は本来的に信用経済である。「信用」が本質的な重要性を担っている社会である。それは貨幣経済の進展の必然的な産物であるが、。この特徴は信用は無限に弾力的であるという点である。信用創造機能の多様な展開(銀行、証券、クレディット) がみられる今日の市場社会は、一面で発展への可能性を秘めているが、反面、貨幣価値(そしてその裏返しとしての物価)の不安定に翻弄されやすい社会である。自由放任にしておくと、市場社会は非常に不安定なものになる可能性がある。
市場社会では貨幣でどのような商品の購入も可能である。貨幣はいつでも売ることができるが、商品はいつでも売れるとはかぎらない。貨幣が売れるのには何の制約条件もないが、商品が(適正価格で)売れるためにはいくつかの厳しい制約条件がつく。とりわけ重要なのが、その商品にたいする有効需要の存在である。この点は市場社会の根本原理をなすものであり、今後の市場社会(脱高度消費社会)を悩ませる問題として残ることであろう。戦後の先進国経済はこの有効需要の亡霊を克服することに成功してきたといえるが、この問題は再びわれわれを悩ませるに違いない。市場社会は貨幣を売る人をけっして拒絶しない。札びらを切れる人間は、たとえ心の底でいかに軽蔑されようとも、企業にとっては、そして市場社会にとっては何よりも大切な存在である。彼らにたいし企業は、そして市場社会は「三顧の礼」をもって遇せざるをえない。
貨幣経済の落とし穴-貨幣は適切に管理されれば市場経済を発展させ
る力を有している。それは市場社会のもつダイナミズムを顕在化させるうえで有益な役割を演じる。だが管理を誤れば、市場社会を暴走させてしまう危険性も、同時にはらんでいる。貨幣が重視される結果、そのもつ流動性が市場社会の実体を投機の渦に巻き込んでしまう可能性がある。市場社会は貨幣経済である。そして何よりも信用経済である。しかし、貨幣が実体経済を投機の渦に巻き込むようなことがあってはならない。そうならないためには、貨幣にたいする適切な管理は不可欠である。
株式市場が発達しすぎると、それが実体経済を翻弄する危険性があることを強調したのはケインズであった。アメリカの株式市場は極端に短期的な行動をとっている。そして敵対的企業買収(M & A)が平然と行われている。企業組織自体が「商品」的な扱いを受け、その極端な場合には投機の対象となる。経営者の首も非常に短期の業績によって吹っ飛ぶから、長期的な見通しをもって運営を続けることを非常に難しくさせている。これは経済の正常な発展を非常に損なう現象である。今日のヘッジ・ファンドにみられるような投機者の存在は、まさしく美人投票的であり、1時間、いや1分先の市場の動きを読み、それに先んじるように行動することで巨万の利ざやを稼ごうとしている(そのために「金融工学」に基づいたプログラミングを組み込んだコンピュータが駆使されている)。彼らにより巨額の短期資金が世界中をかけめぐることが、はたして市場社会の健全な進展といえるであろうか。それは、実体経済を投機者の泡のなかに巻き込んでしまう非常に危険な行為である。これを阻止するような施策は不可欠である。
企業-かつてベンサムが述べたように、企業活動の本質は将来にたい
する冒険的な投資活動にある。それは不確実な将来に自らの存在を賭けるという特徴をもっている。とりわけ成長する経済社会においては、そうであり、かつ彼らの活動は本質的な重要性をもっている。ソニーやホンダといった企業の活動はそうした典型である。
企業はある程度は合理的であり、かつ臨機応変な行動のとれる存在である。だが、反面、経済全体が熱狂的になるときには、きわめて不合理な行動に走る危険性をもっている。景気が加熱し、同業他社が拡張行動に出たとき、企業は追随的な行動をとるのが通例である。企業も「社会心理的」存在である。同業他社があることでもうけていることが分かると、組織としての企業は神経質になり、その後を追おうとする。営利を追究するという企業の本性は、そのとき合理性を失うことがままにしてある。バブル時のように、すべての企業が投機的行動に走るようなときに、ひとり一社だけが座していることは難しい。目前で異常なまでの活気が呈せられているのに乗り遅れることは、ほとんど耐えられぬことであるからだ(それに社内での派閥的対立が存在することも看過しえない)。市場による競争というものは、つねにこのような不合理性を引き起こす危険性をもっている。ミクロ的・短期的には合理的にみえたとしても、それがマクロ的・長期的には不合理な行動であることはままある。だが個別企業がそのことに合理的に・冷静に対処することは、きわめて困難である。活発な動きをみせる者がここでは称賛されるからである。今回のバブルで大多数の経営者がとった「愚かで次元の低い」行動は、そうしたものであった。こうしたなかで、「合理的な経営管理システム」に立つ企業組織といった神話は崩壊してしまった。銀行が信じられないほどでたらめな貸付に走ったり(担保もとらない融資、プロジェクトの真偽をろくに調べもしないで行われた巨額融資等)、大企業が我を忘れて「財テク」活動に狂奔したりする行動をみせたのは、昔のことではない。平成のできごとなのである。
以上のような非合理的行動は、不況時の今日ににおいてもとられている。各企業が人員整理とか過剰設備の廃棄とかを遂行するのは、極端な赤字( 販売不振) に苦しんでいる以上、個別企業的には合理的である。ほとんどの経営者は責任をとることも、とらされることもなく、新しい経営者にバトン・タッチがなされる。そして「合理化」の名のもと、最も安直なリストラで当面の苦境を切り抜けようとしている。多くの企業がバブル時に犯した「罪」を悔いる方法は、こうしたやり方である。だが、大多数の経営者が右にならえ方式でこのような行動に出る結果、マクロ的には需要不足を引き起こすという結果を招いている。不況時における市場社会のもつ欠陥が、明瞭に露呈しているのである。これを救えるのはやはり政府しかないのである。ただし、こうした不況下にあっては、非常に長けた見通しをもつごく少数の「革新的」企業家があらわれ、多数の企業家とは逆の拡張的行動に出ることがありうる。
寡占はさほど心配する問題ではない。技術革新により、新産業が発生することで、どのような寡占産業もおいてきぼりを食い、やがては衰退していくからである。細かいことに気をとられているあいだに、市場社会は劇的な変化を遂げてしまい、規制しようとする対象自体が消滅してしまう可能性が高い。
政府の役割-市場社会における企業組織のもつこうした特性(いかに
不合理である場合でも、一団となってそのような方向に突っ走ってしまうという集団心理的性向)は市場社会を非常に不安定にする要因である。それは貨幣経済のもつ脆弱性を直撃する危険性がある。これを止める力は政府にしかない。
市場経済における主要な経済主体が民間企業であることは事実である。しかし、その意義とともにその限界についてももっと配慮すべきである。企業も家計も合理的ではないが、とりわけ企業がそうである。家計行動の場合、かなり慣習的要素が効いているという意味で合理的存在、ないしは突発的な行動には走りにくい存在だといえる(家計費の内訳を考えてみよ。食費、光熱費、教育費、将来の事態に備えての貯蓄等でほとんどが埋まってしまう)。これからも政府による舵取りの重要性がなくなることはないであろう。産業革命期のイギリスにおいては、その暴力性を抑えるべく、さまざまな行政改革・制度改革が必要とされた。市場経済の円滑な発展とは、同時に国家ないしは政府の市場メカニズムへの介入の過程でもあった。まして後発国の場合には、政府による指導のもとで、先端技術を慎重に導入していく必要があった。このことはドイツ、日本、そして韓国や台湾にも妥当することであり、けっして市場メカニズムに自由に振る舞わせることによって経済の発展に成功してきたわけではない( いずれの国も、かなり経済的に強くなって初めて対外的な自由化を唱えはじめるという点で、共通している) 。ソ連のように国家が180 度責任を放棄した社会では、マフィアとインフレのもと、激しい所得格差、弱肉強食が渦舞く、きわめて不安定な経済になっている( このような事態は近いうちに何らかの暴発を引き起こすことであろう) 。中国のように国家が賢明な舵取りを行うことで、混乱を抑えながら市場社会化に成功してきている国もある( 中国の今後の問題は、この舵取りがいつまでこのようなかたちでできるかどうかにかかっている。何らかの政治的変革が必要となることであろう) 。さらに、世界の市場化は、後進国経済を非常に不安定なものにしてきている( かつての一次産品の不振、伝統社会の破壊等) 。これらの点は、今日の世界的な市場社会化現象を考察するさいに、自由放任論者、規制緩和論者によって看過されてきている。市場社会は、完全な自由放任と完全な社会主義を両端にもつスペクトラムの中間(middle way)にしか位置しえないのである。難しさは、中間のいずこが最適であるかの見極めにある。