金融の自由化と不安定性
平井俊顕 (上智大学)
1. はじめに
この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「市場にすべてを任せる」という「ネオ・リベラリズム」(サッチャリズムやレーガノミクス)であった。政府による経済への介入は効率性を阻害し発展を妨げる、規制は可能なかぎり撤廃するように構造を改革すべし、という思想である。「ネオ・リベラリズム」の信条に基づいて、金融、労働、資本の分野での自由化が、文字通りグローバルなスケールで進められてきた。そのなかで最も重要なのが金融の自由化である。本稿では、それがどのように進められ、それがどのように世界経済を不安定なものにしてきたのかを、具体的な経緯 (第2節)、その批判的評価 (第3節)、そのことのもつ問題性 (第4節)、ならびに「金融規制改革法」審議の現状と問題点 (第5節)に、焦点を合わせて述べていく。
2. アメリカの金融自由化 ― 「グラス-スティーガル法」の換骨奪胎化と「グラム-リーチ-ブライリー法」
概要 - 1933年に施行された「グラス-スティーガル法」 (以下、GS法と略記)は、長きにわたりアメリカの金融システムの根底を規定する法であった。1920年代のアメリカは金融的不正の横行した時代であり、そのことが大不況の到来に大きな責を有することがルーズベルト政権によって認識され1、金融機関の行動に強力な規制をかけるべく施行されたのがGS法である。同法は、(i) 金利の統制 (「レギュレーションQ」)、(ii) 銀行業と証券業の分離、(iii) 州際間業務の規制、の3本柱で構成される。
GS法の適用緩和を求める動きは、1960年代に銀行が市債市場への参入を求めて行ったロビー活動を嚆矢とする。1970年代になると、逆に、証券会社が利子を支払う貨幣勘定、小切手の利用、信用の提供などを始めるかたちで銀行の領域に参入していくことになった。これに際し「証券保管振替機関」 (DTCC) の果たした役割は大きい。1970年代-1980年代、電子化は大手の証券会社のみが可能であり、個人投資家はいわゆる「ストリート・ネーム」 によって取引をしたため、それは銀行の部分準備率のように機能した。証券会社はこれを利用して新たな資金を獲得していくようになったのであるが、翻ってこのことが銀行を焦燥感に駆り立てることになった。
議会でも、1980年代からGS法を緩和しようとする法案はいくどか出されてきた。金利統制の撤廃が一番早く、1986年のことである。続いて1995年、州際間業務の規制が「リーグル-ニール法」によって撤廃された。銀行業と証券業の分離が解除されたのは一番遅く、1999年の「グラム-リーチ-ブライリー法」 (以下、GLB法と略記) によってである。
銀行業と証券業の分離規定の緩和化 - 以下、GS法がどのように緩和され、ついには廃止されるに至ったのかを、銀行業と証券業の分離規定に焦点を合わせてみていくことにしよう。
規定緩和に向けての動きは、FRBによってGS法第20節の拡大解釈(すなわち分離規定を緩和する方向での解釈)によって火がついたといってよい。1986年12月、同節にある、銀行が証券業に「原則的に携わる」のを禁止するという条項を、総収入の5%までは許容される、としたのがそれである。さらに1987年春、FRBは、銀行がいくつかの「証券引き受け」業務を扱える旨の決定をくだしている。
1987年にグリーンスパン (元J.P.モルガンの役員) がFRB議長に就任して以降、GS法の規定緩和に向けての動きは加速化していった。1989年には、上記の証券引き受け業務は、総収入の10%にまで拡張されることになった (最初に認可されたのはJ.P.モルガン)。FRBはさらに1996年12月、銀行持ち株会社が証券会社を子会社として保有することを、25%までという条件で認可した。 1998年2月になると、トラベラーズ保険会社 (社長はS. ワイル)とシティ・コープ (頭取はジョン・リード) の合併話がもち上がったが、これは当時の法律下では不可能であった。だがグリーンスパン、ルービン、クリントンといった政府首脳にたいし猛烈なロビー活動が展開され、同年9月、FBRはついに両社の合併に同意を与えるに至ったのである。
以上がアメリカで展開された「金融の自由化」運動である。FRBはさらにGS法第20節の「原則的に携わる」の「原則的に」を拡大解釈していき、GS法の形骸化をもたらしていった。その最後の鉄槌がGS法自体の廃止を求める猛烈な運動であり、その結果1999年11月、GLB法の成立をみるのである。
GLB法の推進者達 - GLB法を成立させるのに積極的な役割を演じたのは、ワイルやリードといった金融家のほか、ルービン、サマーズ(庇護者はルービン)、グリーンスパン、グラム上院議員 (共和党)といったネオ・リベラリスト達である。同法の策定者はサマーズとグリーンスパンであったが、これは「シティ・グループ認定法」の別名で知られる。
2000年7月に財務長官を辞任したルービンは、シティの経営執行委員会委員長に就任した。その在任中、彼は「債務担保証券」(CDO) をはじめとするリスキーな投資ビジネスにシティ・グループを導いていった (因みに現在の財務長官ガイトナーは、当時サマーズの庇護下にあり、ニューヨーク連銀の総裁であった。2008年9月、彼はリーマン・ブラザーズを倒産に追いやったが、巨額の公的資金を投入することでシティ・グループを救済している)。
グラムであるが、彼は2000年12月の「商品先物現代化法」(以下、CFM法と略記) の成立にも深く関与している。同法は、エネルギーの先物取引および「クレジット・デフォルト・スワップ」(以下、CDSと略記)の合法化をもたらす契機になったものである。
CFM法の制定されるまえ、商品先物取引委員会 (CFTC) にあって、委員長B. ボーンは、OTC(Over-the-Counter. 相対取引)デリヴァティブ (とりわけCDS) がどこからの規制も受けることなく販売されていることに警戒感を抱き、その規制の必要性を訴えていた。だが、この動きはグリーンスパン、ルービン財務長官、サマーズの猛反対のまえに挫折し、その後、逆に規制緩和への動きが加速化することになった。その成果がCFM法なのである。レーガン、G.H.ブッシュ政権時のCFTC委員長であったウェンディ(グラムの妻)は、CMF法を成立させるため強力な運動を展開した。彼女はその功績でエンロンに迎え入れられることになる。
エネルギー取引が監視対象からはずされたこと(いわゆる「エンロンの抜け穴」)で知られるCFM法の最大の特徴は、「シングル・ストック先物」が許容された点である。このことで、より巨額のレヴァリッジが可能となり、投機行為のさらなる拡大につながったのである(同法は2000-2001年のカリフォルニア州の電力危機に大いなる責があるとされている)。
エンロンであるが、同社は1990年代からデリヴァティブ取引に積極的であった。1999年には「エンロン・オンライン」を設置し、デリヴァティブ取引を急激に拡大させたのであるが、その後大規模な不正会計が発覚し、ついには倒産に追い込まれ、いわゆる「ドットコム・バブル」の崩壊をもたらした。
グラム2はその後、大手投資銀行UBSの幹部として迎えられた。彼は、同社のCDSの拡大を推進するうえで中心的な役割を演じたとされる3。
3. 世界金融システムの不安定性
金融の自由化がもたらした世界経済への影響を、われわれはどのように評価すべきなのであろうか。たしかに資本が高い利潤率を獲得できる地域に移動できる可能性を開いたことで、そうでなければ機会のなかった地域の経済を活性化させ、経済成長をもたらした、というのは金融の自由化の演じたポジティブな側面である。
しかしその側面をめぐる考察は他の機会に譲ることにし、ここでは金融資本による「濡れ手に泡」的な過度の投機的行為が世界経済を非常に不安定なものにしてきたという点、そしてその程度が時を追うにつれてひどくなっていったという点に焦点を合わせる。とりわけ、世界経済を不安定なものにするうえで最大の要因となった「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化を取り上げることにし、そのうえで実際に生じた2つの事例をみることにする。
「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化 - 1980年代に本格化した金融の自由化は、「シャドウ・バンキング・システム」(以下、SBSと略記) を生み出すことになった。それまでアメリカの金融システムは、銀行業の投機的活動を抑制すべく1933年に制定されたGS法のもと、FRBの監督下におかれていたのであるが、既述のような規制緩和運動の結果、どの機関の監視からも逃れ、自由に (= 好き勝手に) 行動できるヘッジ・ファンド、「投資ビークル」(SIV)、「プライベート・エクィティ」などの金融機関が多数生まれることになった。彼らが資金を調達する方法として編み出していったのが(MBS [住宅ローン担保証券]、CDO、CDSなどに代表される)「証券化商品」であり、レヴァリッジである。
監視を逃れたこれらの金融機関は巨額の資金をもとに (それに、クォンツによる金融工学の手法を利用しつつ)、投機活動に邁進していくことになった。彼らが巨額の利得を獲得し続けたため、FRBの監督下にあった銀行も、「投資ビークル」に象徴されるオフ・バランスの手法などにより、SBSに参入していくことになった。こうして金融の自由化は、グローバル・レベルで巨額の資金を用いて短期的投機行動を展開する、そしてその活動を規制する機構が欠落した金融システムであるSBS ― それはグローバリゼーションの申し子であり鬼子である - を誕生させることになった。こうしたSBSの肥大化は、世界の金融システムを非常に不安定なものにしていくことになった。
金融自由化の行き過ぎは、これまでも世界経済を危機的状況に陥れることがあったが、2008年9月、ついに世界の金融システムは破裂し、今回の世界経済危機をもたらすに至った。はたして、このようなSBSは、社会の、そして資本主義システムの発展にとり望ましいものなのであろうか。これらの金融機関が、科学的・客観的技術との評価を受けてきた金融工学的手法を武器に展開する投機的活動は、いかなる意味で正当化されうるものなのであろうか。
以下では、金融自由化の行き過ぎが引き起こしたグローバルなレベルでの経済的不安定性を2つの事例でみることにしよう。1つは 1997-1978年のアジア金融危機、もう1つは今回のサブプライム・ローン危機である。4
アジア金融危機 ― 1997年、マクロ・ファンドにより引き起こされたアジア金融危機は世界的な広がりをみせた。ドル・ペッグ制を採用していたタイは、世界的にドル高(円安)が生じてきたためバーツ高になり、輸出が不振に陥り始めていた。そこに目をつけたヘッジ・ファンドがバーツを売り浴びせたため、ついにバーツは切り下げられることになった。それまで短期で借り入れたドル資金に依存して経済成長を続けていたタイ経済は、返済負担の急増により深刻な不況に陥った (他方、ヘッジ・ファンドは膨大な投機益を手にした)。この不況の波は、マレーシアやインドネシアへと伝播していった。
それに連鎖して生じたのが、(1998年の) ロシア金融危機である。ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、「ビッグバン」型の資本主義化を強行したものの失敗に帰しており、1997年当時、激しいインフレと財政危機に襲われ、最悪の経済状況にあった。ロシアは必要な資金を国債の発行で調達していたが、これに目をつけたのが、かの有名なヘッジ・ファンド「ロングターム・キャピタル・マネジメント」(LTCM)である。
LTCMは創設者に、オプション価格を決定する「ブラック-ショールズ式」で有名なノーベル経済学賞受賞者2名が含まれていることで有名であった。企業規模は高々150名ほどであったが、初期の成功ぶりに世界中の銀行が「白紙小切手」を切るばかりの勢いを有していた。LTCMは資産50億ドルの「中立型ヘッジ・ファンド」であったが、1998年には1000億ドルをコントロールし、1兆ドル のポジションをとるに至っていた。
だがLTCMの投資行動は、ロシア政府の国債デフォルト宣言で頓挫し、放置すれば世界的な金融危機を到来させる危険性が高まった。そこでFRBはニューヨーク連銀の指導のもと、1998年9月、ウォール街のメガバンクにLTCMへの緊急融資をさせることで、この危機を切り抜けたのである。
サブプライム・ローン危機 - 2008年秋、深刻な経済危機として現出したのがサブプライム・ローン危機である。 2005年以降、高金利のサブプライム住宅ローンが信用力の低い低所得者層を対象に貸し付けられるようになった。大手金融機関はこの住宅ローンを買い上げ、これを担保に数多くの「証券化商品」が「パッケージ」として階層的に組成されていった。それらはムーディーズをはじめとする最高の権威を有する格付け会社から、きわめて安全な証券との認定を受け (サブプライム住宅ローンからの証券化商品の80%にトリプルAが与えれられた)、世界中に販売されていった。金融機関はといえば、審査らしい審査もすることなくサブプライム住宅ローンを貸し出し、それをもとに階層化された証券化商品を組成する、さらにそれに格付け会社が最高の格付けを与える、その結果として証券化商品は高利回りの商品として人気を集める…。こうした負の連鎖が続いたのである。
4. 「金融自由化」考
上記に示したごとく、「金融の自由化」は「金融資本の自由化衝動」を起爆剤とするものであった。それは、アメリカの銀行界がGS法の規制下におかれている状況を打破し、その規制にかからずに発展していく証券業界との競争に対抗するための、さらには世界の金融市場を自己の支配下におくための、活動であった。このような衝動に政府の有力者 (ルービン、グリーンスパン、サマーズ等) は同調し、(既述のように) FRBや財務省は、GS法第20節の拡大解釈を通じ、その骨抜きを促進していき、ついにはGLB法とCMF法を成立させることに尽力したのである。
覇権国家的意義 ―金融の自由化は、超大国アメリカが世界支配を維持・継続していくうえで、彼らに残されている数少ない方法であると考える政府当局者の認識とも符号するものであった。1980年代の惨めな経済的パフォーマンスに苦しんでいたアメリカにあって、金融をテコにした世界への影響力の復権・拡大は、政府当局者(レーガンをみよ)にとってまたとない方法・機会であると考えられた。IMFや世界銀行を通じた「ワシントン・コンセンサス」 (「構造調整プログラム」)の推進や、1990年代に生じたソ連ブロックの瓦解に伴い、同地域の多くの政権がアメリカの経済学者 (最も有名なのはハーヴァード大学教授A. シュライファー [庇護者はL.サマーズ]) を招聘して、資本主義の「ビッグバン」的導入の遂行[この試みは、最悪の経済パフォーマンスをもたらすことになった] も、それと軌を一にする動きであった。
これらの運動を強烈に後押ししたのが、「ネオ・リベラリズム」、ならびにファイナンス理論や「新しい古典派」からの「知的権威」であった。「ネオ・リベラリズム」はその表向きの顔とは裏腹に、非常に権力志向的なイデオロギーを漂わせている。「自由」の唱道者として、自らが考える自由が実現できていない国にたいしては、ときには「構造調整プログラム」により、ときには軍事力により介入するというのが「ネオ・リベラリズム」の特徴である。その意味で、「ネオ・リベラリズム」は「ネオ・リベラリズム+パワーイズム」なのである。
さらに政治力学的には、これらの運動は金融資本と金融政策当局との露骨な「ギブ・アンド・テイク」 ― 巨額の見返りを前提にする、金融資本と金融政策当局との「超」親密な関係 ― を機軸に展開されてきた「クレプトクラシー」(Cleptocracy)といえよう。
経済的意義 ― こうした「金融の自由化」は経済的にみると、どのような意義を有するものなのであろうか。金融の自由化は金融機関が資金の調達を自ら創造していくことのできる空間の拡張である。「証券の商品化」が多層化され、レバレッジも拡大していく。こうして獲得された資金をもとに、金融機関は投機的な利潤追究をかぎりなく展開していく。しかもそれは経営幹部同士での利得の分捕り合戦の様相を呈しており、「企業の社会的責任」(CSR)といった認識を完全に喪失するまでに至っている。
ヘッジ・ファンドによる、世界のなかの弱った地域に目をつけ、そこに投機的攻撃を仕掛け、巨万の利得を得ようとする行為、当該国に多大の損失を与えることを意に介さない行為 (それは当該国の経済システムに問題があるとする姿勢)- こうしたことが近年、露骨なまでにみられた。
こうした「金融のための金融」、実体経済を無視した投機行為は本来あるべき金融の役割 - 実体経済を成長させるうえで必要な資金を融通するという受身的役割 - からはかけはなれた、金融資本による利殖追究の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である。この結果、ケインズのいう「実体経済が投機的渦に巻き込まれる」事態が生じたのである。
SBSの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(アメリカを筆頭とする)政府当局者による活動の産物でもあった。これは、金融業界と政府当局の「超」親密な関係が結ばれることにより、政府当局者が本来依拠すべき国民経済の安定的成長の促進というスタンスからの逸脱である。政府は金融界とは一線を画すべきであり、国民経済全般の福祉を第一義的に考えて政策運営に臨むべきである。然るに、「金融の自由化」に邁進する運動過程にあって、アメリカをはじめとする諸政府は金融界と一体化して(グルになって)きたのである。その代償が、ヘッジ・ファンドの暴走、「証券の商品化」の多層化であり、今回のメルトダウンであった。
5. 「金融規制改革法」をめぐって
近年にみられるこうした国際経済の不安定性がSBSの肥大化に起因するものであり、これを金融当局の規制下におくことが国際経済の安定化のためには必須であるという認識は、オバマ大統領によって強く抱かれていた。
オバマの「金融規制改革法案」 ― オバマ大統領は2009年6月に「金融規制改革法案」の概要を公表した。これはGLB法 (1999年) の廃止、ならびにGS法(1933年) の現代的復興を意図したものである。
同法案は、FRBの権限の大幅な強化(FRBはたんなる中央銀行ではなく、システミック・リスクをも監督する機関になる)と消費者を保護する「金融消費者保護庁」(CFPA)の創設を大きな柱としている。これらの機関により、証券化商品、金融デリヴァティブ、先物取引などに広範な透明性をもたらし、ヘッジ・ファンド、格付け会社、投資銀行等の活動を監視・監督すること等が謳われており、まさにSBSの消滅を意図する内容になっている。
メガバンクの立ち直り ― 巨額の公的資金が投入されることで、真っ先に救済されたのはメガバンクである。そればかりか、FRBはその後、ゼロ金利政策ならびに量的緩和政策をとり続けてきたのであるが、メガバンクはただ同然で借り入れた無尽蔵の資金を、中国、ブラジル、インドといった新興国に投資したり、あるいは一次産品に投資することで、巨額の利潤を手にすることができた(いわゆるドル・キャリー)。メガバンクは、それにより公的資金を返済した後、オバマ大統領の金融規制改革法案の成立を阻止すべく、猛烈な運動を展開してきている。5
広がる不公平感 (差別待遇) - これに比し、金融の超緩和にもかかわらず、アメリカの実体経済は失業率の高どまりに象徴されるように、改善に向かっているとはいえない。とりわけ問題になっているのは、不動産価格の下落による住宅ローンならびに商業用不動産ローンの焦げ付き、ならびに差し押さえ物件の激増である。このため、多数の地方銀行は厳しい経営状況に直面しており、倒産件数は1992年の貯蓄貸付組合 (S&L) 危機以来の水準に達している。それゆえ、地方銀行によるクレジット・クランチはかなり深刻である。
こうした状況は、政治的不安をアメリカ社会にもたらしかねない。オバマ政権は、メガバンクの救済にたいしては巨額の公的資金を即座に使ったものの、中小企業の救済についてはなおざりにしてきたという謗りを免れないからである。事実、大統領が中小企業支援を明確に表明したのは(TARPの資金を利用しての)「中小企業刺激パッケージ」案からであり、それは12月8日に至ってのことなのである。
下院での可決 - 大統領の金融規制改革法案の概要発表 (6月) の後、金融規制改革法案をめぐっての両院での審議の進行はきわめて緩慢であり(2008年9月の「緊急経済安定化法」[Emergency Economic Stabilization Act] と比べるとその差は歴然である)、1年3ヶ月を経過してもいまだ成立をみていない。
こうした状況下の12月11日、ようやくのことで金融規制改革法が下院で可決された。それは次のような内容を有しており、オバマ大統領が6月に発表したものと同じ線に沿うものである。
(1) 「消費者金融保護庁」の創設 ― 不正な金融商品・サービスからの消費者保護を目的とする。
(2) 「金融安定協議会」の創設 ― 巨大金融機関の監視を目的とする。
(3) 破綻した大手金融機関の清算処理を行う枠組みの設定。
(4) 信用格付け会社の改革
(5) OTCデリヴァティブの規制
(6) ヘッジ・ファンドの規制
同日、オバマ大統領はこの法案の可決を歓迎するとともに、上院で審議中の金融規制改革法案の可決をすみやかに行うように要請した。こうしてようやく、GS法の現代版の実現に向けての大きな一歩が踏み出されたことになる。
問題点 - とはいえ、同法案には、当初オバマ・民主党陣営が可決を望んでいた原案にたいし重要な変更が施されている。
そのなかで最も重要な「抜け穴」となる可能性が高いのが、デリヴァティブ規制をめぐるものである。マーフィ民主党議員の提案した修正条項は、「投機目的ではなく、市場変動にたいするヘッジとしてデリヴァティブを用いる非金融会社」の行動を許容するものになっている。これにはボーイング、キャタピラー、GE等、多くの企業によって展開されたロビー活動が効いている。
そのなかで最も重要な「抜け穴」となる可能性が高いのが、デリヴァティブ規制をめぐるものである。マーフィ民主党議員の提案した修正条項は、「投機目的ではなく、市場変動にたいするヘッジとしてデリヴァティブを用いる非金融会社」の行動を許容するものになっている。これにはボーイング、キャタピラー、GE等、多くの企業によって展開されたロビー活動が効いている。
「消費者金融保護庁」の権限も当初案よりかなり薄められている。元来は、モーゲッジやクレジット・カードを申請する消費者を監視する機能が同庁には求められていたのだが、98%の銀行やクレジット組合は、これまでどおりの監視下におかれることが了承されたのである。
上院での審議 - 上院はいまだ審議中であるが、一番の問題は可決する法案が出来上がるかいなかである。11月に銀行委員会委員長のドッド上院議員6(民主党)によって金融規制改革法案が提出されたのであるが、そのさい、シェルビー上院議員(共和党)を筆頭に両党の委員会メンバーは次に示すいくつかの論点に難色を示した。これらは、両党から選ばれた2名ずつで構成されるチームによって検討されることになった(カッコ内は、上院で決まりそうな方向の予測)。
(1) 消費者金融保護庁の創設 ...(この創設自体危うい。)
(2) 大企業の清算処理の仕方 …(特殊な破産法廷の創設になる可能性が高い。)
(3) 銀行を1つの屋根の下で規制すること。
(4) いくつかの金融商品取引を、透明性を増すために市場に移すこと。
(2) 大企業の清算処理の仕方 …(特殊な破産法廷の創設になる可能性が高い。)
(3) 銀行を1つの屋根の下で規制すること。
(4) いくつかの金融商品取引を、透明性を増すために市場に移すこと。
1月20日の再開後どのような方向で決着を迎えるのかは、いまのところ不明である。しかし、最近ドッド議員が今年かぎりでの引退を表明するという事態が生じた。大方の予想は、ドッドはこの改革法案の成立に全力を傾けるであろう(選挙の憂いはなくなるし、大きな歴史的名誉となるから)、というものである。だから、メガバンクの復活により困難の度合いは増してきてはいるが、何らかのかたちでの可決が見込まれている。共和党側の大物議員シェルビーとの仲も悪くはなく、両者は法案の成立に協力していくことを、12月に表明していることも、その見込みを下支えしている。
否決されるとすべてがダメになる。通過した場合、「コンファランス」で両案のすり合わせが行われた後、ようやく大統領の署名で法案の成立となる。通過の場合でも、成立までにはまだ時間を要するのである。
懸念される現状 ― 現時点で、われわれは次の事実に眼を向ける必要がある。
(1) メガバンクは巨額の公的資金を得ることで破滅を免れた。
(2) メガバンクはゼロ金利を利用したドル・キャリーで空前の利益を上げてい
(2) メガバンクはゼロ金利を利用したドル・キャリーで空前の利益を上げてい
る。
つまり、リーマン・ショック以降、メガバンクにたいする規制の必要性は繰り返し唱えられてきたものの、いまだに何の規制もなされておらず、SBSは野放し状態におかれている。公的資金で救済されたメガバンクはゼロ金利をもとにしたドルキャリーで大もうけをしており、巨額のボーナスが社員に支給されている。
アメリカの金融界は実体経済を回復させることには無頓着である。このことが、政府・FRBが行ってきたことはメガバンクを救済することだけであり、両者はグルになっている、という大衆の不満に油を注いでいる。それに(既述のように)FRBとメガバンク、財務省とのあいだには、人的にも強力な癒着関係が露骨なまでに認められるのである。
アメリカ社会は2つの勢力 - 巨大金融界と大衆 - のあいだの深刻な抗争へと発展していく危険性をはらんでいる。
つまり、リーマン・ショック以降、メガバンクにたいする規制の必要性は繰り返し唱えられてきたものの、いまだに何の規制もなされておらず、SBSは野放し状態におかれている。公的資金で救済されたメガバンクはゼロ金利をもとにしたドルキャリーで大もうけをしており、巨額のボーナスが社員に支給されている。
アメリカの金融界は実体経済を回復させることには無頓着である。このことが、政府・FRBが行ってきたことはメガバンクを救済することだけであり、両者はグルになっている、という大衆の不満に油を注いでいる。それに(既述のように)FRBとメガバンク、財務省とのあいだには、人的にも強力な癒着関係が露骨なまでに認められるのである。
アメリカ社会は2つの勢力 - 巨大金融界と大衆 - のあいだの深刻な抗争へと発展していく危険性をはらんでいる。
こうした情勢下にあって、オバマ大統領は1月14日、「金融危機責任税」
(Financial Crisis Responsibility Tax) 案を打ち出した。その意図は大統領の次の発言に明瞭である。
「この目標を達成しようとする私の決意は、その継続をアメリカ国民 - 彼らはこの不況で厳しい困難に直面し続けている - に負っている当の企業で、巨額の利潤と「節度を欠いた」(obscene) ボーナスについての報告をみるとき、高まるばかりである」。
「金融規制改革法」案の審議進行の遅れ、しかも可決されてもみられるであろうかなりの骨抜きと、改善がみられない実体経済下で苦しむ大衆の不満・不公平感に直面し、支持率の低下がみられるオバマ政権が、SBSの消滅により金融危機の再発を防止するという本来の決意を、新たなかたちで表明したものといえる。
6. むすび
以上、この30年間に生じた金融の自由化と、それが資本主義システムにもたらす不安定性の増大という問題を、世界資本主義の中心たるアメリカを対象にみてきた。わたし達は金融を抜きにして資本主義システムの存続を考えることはできない。しかし、だからといって金融を自由放任の状態のままにおくならば、より深刻な経済破綻が今後も生じる恐れがある。このじゃじゃ馬をコントロールしながら、「正しい資本主義」を維持・発展させていくことができなければ、資本主義の将来はきわめて危ういものとなるであろう。
1) この事実の解明に大きく貢献したのが「ペコラ委員会」(Pecora Commission) である。
2) グラムは1996年には共和党の大統領候補を目指したことがある。今回はマケイン陣営の主要な支援者であり、マケインが大統領に当選した暁には財務長官の椅子が用意されていたとされる。
3) UBSは今回の金融危機にさいし大きな痛手を受け、2008年10月、スイス政府から、60億スイス・フランの公的資金の注入ならびに720億スイス・フランにおよぶ不良資産の買取を受けた。
4) 世界的な影響を及ぼすことはなかったものの、アメリカ国内において生じた金融不安定性現象として重要なものにS&L危機(1990年前後)、ドット・コム・バブル (2001年頃。エンロンに象徴される)がある。
5)金融規制批判の代表的ロビイストとして、「アメリカ銀行家協会」(American Bankers Association) 、金融規制賛成の代表的ロビイストとして、「アメリカ公共権益調査グループ」(U.S. Public Interest Research Group)がある。
6) ドッドは民主党中道派に属するが、長年、彼自身、ウォールストリートに勤める多くのビジネスマンから支援をうけてきている。
6) ドッドは民主党中道派に属するが、長年、彼自身、ウォールストリートに勤める多くのビジネスマンから支援をうけてきている。
参考文献
(多くの題材をインターネット上から得ているが、煩雑さを避けるため、そのソースは省略する。)
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アタリ, J. (林昌宏訳) [2009],『金融危機後の世界』作品社。
Bateman, B., Hirai, T. and Marcuzzo, M.C. eds. [2010], The Return to Keynes, Harvard University Press.
Krugman, P. [2008], The Return of Depression Economics and the Crisis of 2008, Penguin Books.
モリス, C.(山岡洋一訳)[2008],『なぜ,アメリカ経済は崩壊に向かうのか』日本経済新聞出版社.
Turner, G.[2008], The Credit Crunch, Pluto Press.
浜矩子[2009],『グローバル恐慌』岩波新書.
平井俊顕 [2009],「資本主義 (市場社会) はいずこへ」『現代思想』5月。
平井俊顕 [2009],「経済学はいずこへ」『現代思想』8月。
平井俊顕編 [2009],『市場社会論のケンブリッジ的展開』日本経済評論社。
若田部昌澄[2009], 『危機の経済政策』日本評論社。
(次のブログをオープンにしている。