2013年8月30日金曜日

平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ー 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年7月、2800円



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平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ー 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年7月、2800円

 この本の刊行の経緯と概要を要約すると下記のようになる。出版社からある連絡を受けたので、フォルダーをみていると出てきたもの。


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 世界経済の激動――とりわけ2008 年前後から現在(2011 年12 月)を、主としてアメリカ、EU(付随的に日本)を取り上げつつ、今後、資本主義経済がいずこへ向かおうとしているのか、それをどのように評価していけばよいのか、そしてそれを規定する社会哲学はどのような動きを示しているのか といった問題を、社会哲学、経済理論・経済政策の領域から批判的に検討を加えつつ追究すること、これが本書の主たる目的です。
 
 執筆の直接的契機となったのは、2008 年秋のリーマン・ショックです。『現代思想』(2009 年5 月)に発表した「資本主義(市場社会)はいずこへ」はその最初の報告です。同時期、月刊誌『統計』([財]日本統計協会)から連載依頼がありました。本書は上記の問題意識のもと、執筆・公表してきたものに大幅な加筆・修正を施してできあがっています。
 近年専門化が進行するあまり、経済学者は専門にこだわる傾向が認められます。それには長所もありますが、欠陥も大きいと思われます。本書では「深い教養主義の重要性」が強調されています。
 本書は社会人、学生諸君を読者対象に、私の考えるところをまとめた啓蒙書です。興味を惹く内容が含まれているとすれば、筆者としてそれに優る喜びはありません。忌憚のないご批評を歓迎いたします。

目 次
第Ⅰ部 資本主義・社会哲学・ケインズ
  第1 章 資本主義はいずこへ
  第2 章 社会哲学はいずこへ
  第3 章 「ケインズの今日性」を問う
        ――瓦礫の向こうに
第Ⅱ部 アメリカ・EU・日本
  第4 章 苦悩するアメリカ経済
  第5 章 オバマ政権の経済政策をみる
  第6 章 健康保険改革
  第7 章 金融規制改革
  第8 章 ユーロ危機
  第9 章 自縛の日本経済
第Ⅲ部 資本主義・自由化・グローバリゼーション
  第10 章 資本主義を考える
  第11 章 金融の自由化と不安定性
  第12 章 グローバリゼーションを問う
第Ⅳ部 ポスト・リーマン・ショック
  第13 章 世界経済のいま
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ケインズは資本主義を救えるか

危機に瀕する世界経済

平井俊顕著


本書での基本的メッセージ

▼資本主義システムの評価にさいし、市場の特性についての徹底した考察、倫理的概念が必要不可欠。再考を迫られる「市場」概念、「自由」概念。
▼オバマ政権の経済政策を評価する ― 財政政策、オバマケア、ドッド=フランク法を中心に。成功と挫折。
▼ユーロ危機の本質と現実 - ハーメルンの笛吹き状態

・ユーロ圏の現状 ― ユーロ危機のなか、ドイツはしぶしぶリーダーシップをとらされ、いまでは理念として「フィスカル・ユニオン」「バンキング・ユニオン」「ポリティカル・ユニオン」をドンキホーテ(といっても安売りの店ではありませんぞ)よろしく目指し、実際には「ベイルアウトと超緊縮予算の強要」で現状維持を図ろうとするも、足元では(それとも指の間から落ちる砂のごとくか)メンバー国は塗炭の苦しみのなか、統合どころか、バラバラに分解しようとしている。

▼日本経済はマクロ的には「失われた20年」ではない。だが、世界経済のなかでのプレゼンスを決定的に落とした点でそうである。
▼シャドー・バンキング・システムの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(米英を筆頭とする)政府当局者と金融業会の「結託」ともいうべき活動の産物であり、政府が本来はたすべき国民経済の安定的成長を促進するというスタンスからの逸脱である。金融市場に明確なルールを設定することはきわめて重要である。

▼自己責任原則のもとでの自由放任を主張し、それにより資本主義は限りなき成長が可能となると謳ったネオ・リベラリズム、非自発的失業を否定し、完全雇用を当然視する前提のもと、あやしげなミクロ理論に依拠しつつ組み立てられた「新しい古典派マクロ」は溶解してしまっている。
▼崩れ去った社会哲学、崩れ去った経済学の瓦礫の向こうに政治家 ― 崩落した現場の立て直しに迫られた政治家 ― が見出したもの、それがケインズであり、ルーズベルト大統領であった。
▼だが、忘れてはならない。それを正当化する理論・政策が新たな次元で打ち立てられているわけではない。経済学者は右往左往しているというべきであろう。
▼経済政策論として重要な問題 ― 財政政策と金融政策の対照的な評価を考える必要性。前者には厳しい制約がかけられるが、後者は「ユルユル」であり、しかも政策的効果が喪失している